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ブログを次のところに移転します。 まあ、いろいろしてみるのもいいかと思います。 忙しいときに、そんなことをしなくても、と思いましたが、他の方の気持ちを煩わせるのもどうかと思いまして。 http://ameblo.jp/tenchihirosato/ こちらでも、よろしくお願いします。
今日、ご本部の布教功労者報徳祭にお参りしました。 よく思うのですが、その時々に、よく会う先生がおられるのです。 今日は、平尾教会の芳野先生に、何度もお会いしました。 芳野先生には、「元気塾」で呼んでいただき、お話をさせていただいたり、クリエイトの研修会に来ていただき、お話をしていただきました。 芳野先生も布教功労者ですね。 福岡の先生方のまとめ役的先生です。 九州の先生では、南八幡教会の先生や日田教会の先生にお会いしました。 どちらの先生も、過去いろいろお世話になっています。 こうした先生方にお会いできるのが、ご本部参拝の楽しみでもあります。
人が他の動物と違っているところは、他の人や動物を助けてあげることができるところです。 教祖様は、「牛馬は、わが子が川に落ちて溺れていても助けることができない。人間が見れば助けることが出来る。人が人を助けることが出来るのが人間と思って、信心せよ」と教えられています。 逆に言えば、人を助ける気がない人は、人間でないとも言えます。 人を助けるところを大きくしていけば、神になっていきます。 教祖様も、「人一人助ければ一人の神、十人助ければ十人の神」と言われています。 人を助けさせていただくことが、人間にとってとても大切なことなのです。 斎藤一人さんが、「今日一日、人に優しくしよう」と自分に言い聞かせて生きていくと、だんだん幸せになっていく、と言われています。 人に優しくする、と言うのも、人を助けることになるのです。 このお道は、白神先生も言われていますが、人を助けて、己が助かるのお道なのです。
大阪教会初代白神先生は、目が見えるおかげを頂いた感激をもって、世の難儀な人を救いたい、神様に恩返しがしたい、と大阪で布教を始められました。 しかし、激しいお勤め、修行により、命を縮められました。 白神先生が、病床に伏し、代参をたてられた時、教祖様は、 「白神は、時節を待たず、みだりに心を煩わすな、と言い聞かせておいたのに、世を憂えるあまり、自ら心を痛めて、かくはなったのである。 今となっては、どうしようもない。 しかし、世のため、人のために、身を犠牲にしたのであるから、生きても神、死にても神。 皆、死ぬのを嘆くけれども、月でも見よ、雲が隠すことがある。 この二十日になっても良くなければ、二十四日が安心のできる(亡くなる)日じゃ」と語りました。 白神先生は、我が身を省みて、無理をしたら健康を害するから、無理をしないようにしよう、とは思われなかったのです。 そこまで、人のためを思い、神様のお役に立ちたいと思われていたのです。 逆に言えば、そこまで思われたからこそ、神になられたのです。 人のことを思わず、自分のことばかり考えて、神になれることはありません。 人の助かりを願う、神様に少しでも恩返しがしたい、その思いが、人間の一番尊い思いであり、神心なのです。 その心になれたとき、その人は、神でもあるのです。
昨日は、ほぼ1日、芸備教会へのお参りで運転しました。 睡眠時間を5時間ほどとっているので、眠くありませんでした。 やはり睡眠時間は大切なのでしょう。 一方、睡眠時間を減らす修行をされた先生方もおられます。 湯川誠一先生は、1日1時間睡眠の修行をしておられます。 睡眠時間を減らすのは辛いことですが、その辛抱でお徳が積めるのでしょう。 小倉教会の桂松平先生も、甘木教会の安武松太郎先生も、日田教会の堀尾保治先生も、激しい表行でめぐりを取り払われたと言われています。 ですから、睡眠時間を減らすのも、徳を頂く上には、意味があることのように思いますが、一方、眠ることも、意味があることです。 眠っているときには、魂が神様のところへ行って、エネルギーを頂いているようにも思うのです。 ですから、眠ると元気が回復するのです。 そう考えると、睡眠時間は確保した方がいいことになります。 睡眠をとることで、くもまっか出血になりにくくなるとも言われています。 肉体面でも、睡眠時間は心してとるようにすることがいいと思います。 そこで、御用と睡眠の兼ね合いが問題になります。 寝食を惜しんで御用する方が、ごひれいを頂かれることに間違いありません。 我が身を省みないで、人のことを思う思いが、御用の上では一番大切なものです。 しかし、我が身を大切にすることも、必要なことです。 いま、私は、睡眠時間をなるべく確保しながら、御用しようと思っています。
最近、やる気が落ちてきていたので、早く寝るようにしてきました。 10時には寝るように。 そうしても、なかなか、やる気が復活しなかったのですが、早く寝るのを続けていましたら、やっとやる気が出てきました。 やはり、エネルギー切れしていたのでしょう。 疲れたら、休まなければいけませんね。 あのまま突っ走っていたら、ダウンしてしまうのでしょう。 そういうことで、今日も、もう11時になりましたので、もう寝ます。 メールとか、返事が後れたりしているのですが、そこは御勘弁願います。
御霊のことについて考えると、輪廻転生が頭に浮かびます。 教祖様は、お孫さんの桜丸様が亡くなられた時、「次は寿命長久のところに生まれ変わるよう願え」と言われました。 そのままをとれば、生まれ変わりを言われているように思います。 一方、スウェデンボルグなどは、人は死んだら、ずっとその御霊であり、生まれ変わりはないという考えのようです。 しかし、一般では、生まれ変わるという説が多いように思います。 死んだらそれで終りで、御霊としては生きない、という説は、信用の置けるものではありません。 生まれ変わるにしても、生まれ変わらないにしても、御霊として生き続けるのですから、御霊を磨くことが要ると思うのです。 教祖様は、「信心は本心の玉を磨くものぞや」と言っておられます。 本心の玉=御霊を磨くのが信心なのです。 本心の玉が磨かれれば、神様のお働きが受けやすくなります。 神様を表せるようになるのです。 そのことを目標に、信心していきたいと思ってます。
三宅美智雄先生から、御霊についての異議を頂きましたので、御霊について思っていることを書きます。 まず、御霊が生きている人間の信心によって助かるということです。 これは、教祖様が養子に行かれた家の御先祖の御霊様方が出てこられて、「あなたが来てくれたので、この家も立ち行くようになり、私たちも助かった」と言われたことから、推測したことです。 やはり、先祖の御霊様は、肉体を持った子孫が信心することにより、助かることが出来るのだと思うのです。 御霊同士で助けることが出来るのであれば、肉体を持った子孫に縋ることはないと思うからです。 それと、合楽教会の初代教会長が、「御霊に働けというのは、死人に舞台に上がって踊れ、と言うようなものだ」という神様からのお知らせを頂かれたそうです。 これに対して、私は、すごいお徳を頂かれた御霊は働くことが出来る、ただし、それだけのお徳を頂かれた御霊は、そんなに多くはない、ですから、ほとんどの御霊は、生きた人間に働くことは出来ない、と考えています。 そういう考えから、前のブログでの発言になりました。
今日は、月例祭の後、バザーがありました。 毎年恒例のバザーであり、信者さんでなくても、このバザーを楽しみにして下さっている方も多くいます。 そして、品物を出して下さる方も、信者さんでない方も多くいます。 その意味では、広く地域に開放されたバザーになっています。 ご婦人たちを中心に、バザーの準備が進められていました。 一方、私は、ほとんどバザーにタッチしなくなりました。 以前は、会場設営の時などに、出向いていましたが、先生は、お結界を離れないようにすることが、徹底してきまして、そのようにさせていただいています。 今日も、バザー会場にさえ行きませんでした。 「洗心」に載せる写真も、弟に撮ってもらいました。 そのようにして、お結界に座る時間を増やすことは、どういう意味があるのでしょうか。 教祖様は、「私がここを動くと、世の氏子が怪我、過ちをするかもしれない。どうか、世の氏子に、怪我、過ちのないように、本当のおかげが受けられるようにと願っていると、私は、ここを動く暇がない」と言われました。 そこまでのお思いであられたのです。 その願いを受けている金光教の教師は、その願いに沿って、座らせていただくのですが、なかなかそこまでの思いにはなれません。 そこで、せめて形だけでも、座らせていただこうと思うのです。 しかし、その形さえ守ることは至難の業です。 ですから、出来るところで座らせていただく努力をしているのです。 決して、完璧には出来ません。 しかし、出来ないなりに、お詫びしながら、させていただけるだけさせていただくことで、神様は、その真を受けて下さるように思うのです。
「かに家」では、名前のごとく、かに尽くしの料理でした。 お直会で神様のお話をしなければならないのですが、かにを食べると、みんな無口になると言われるように、かにを食べるのに夢中になってしまいます。 と言っても、最近は、本当に食べやすくしてくれているので、そんなに夢中にならなくてもよく、適度にお話が出来ました。 そして、最後に、叔父が、私にお話を、と言って下さいました。 私は、これが本当の私の御用なのだろうな、と思って、話させていただきました。 「約2年前に、叔母さんが剥離性大動脈瘤になって、倒れたとき、すぐ叔父さんがメールでのお取次を頂かれて、助かったと思っています。 その8ヵ月前に息子が京都の大学を受けに来たとき、叔父さんがいろいろお世話をしてくださり、その時から、2,3日に一度は、メールが来るようになりました。(なぜか、ここで笑いが起こる) それで、叔母さんが倒れたときには、スピーディーにお届けが出来ました。 神様は、叔母さんが、このとき倒れるのが分かっておられましたから、その前に、息子を通して、メールでお取次が頂ける状況をつくってくださっていたのだと思います。 そして、おかげを受けられ、叔父さんも、信心や先祖供養を思い立ち、こうしてお墓の建碑式も仕えられ、今日使った神棚は、叔父さんの長男さんのところでお祀りされるようになり、長男さんも神様を拝まれるようになってくださることが、祖父母も一番喜んでくれていることだと思います」 と話させていただきました。 叔父さんの子供さんやお孫さんが集まった席で、このようなお話が出来、よかったと思いました。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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