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カテゴリ:本と映画と音楽
少女を愛する人は、野生動物か美術品の人形を愛する人のようであってほしい。
対象を神聖化して、保存状態をよくするため異常な努力をし、対象を害するものを徹底して憎む。 たとえば手荒れのする家事、雑事をしようとしたり、少女らしくない服を着せようとしたら激怒する。 大人の階段を上らせるような悪い友達ができそうになったらこっそり抹殺しかねない。 そして、もう、そっとそうっと観察して、ときどき手が届きそうなところに来てくれたら涙を流して喜ぶ。 それを見つかって気持ち悪がられ、面白がられ、そんな自分を限りなく恥じ、それでも離れられない。 お前は少女の健全な育成に命かけてる善人なのか変態なのかどっちなんだ。 それが自分でも分からない、という情けなさ過ぎる人であって欲しい。 ルイス・キャロルの「少女への手紙」は模範例だと思います。 少女が少女らしいままであるよう、細心の注意を払いながらのおびただしい量の文通。 「ロリータ」は少女の脆さを度外視しすぎ。 一見少女に振り回される情けない男の話のようですが騙されてはいけません。 (映画は特にそれを強調してたのかもしれないけど。) 昔「少女と恋愛する方法」という大真面目なサイトがあり、本も出していたのですが、寝ませんよ。 寝たらだめですよ。決まってるじゃないですか。だって寝たら壊れちゃいますよ。 いくらロシアの少女が体格いいっていっても、寝たら壊れますよ、肉体的にも精神的にも。 壊れたらニンフェットも廃人か病人だろう かつて魅力的だった人が病人や廃人になるのを愛でるのが趣味だとしたら、それは変態。 対象が本質的に壊れるようなことを一方的に渇望するのは恋愛じゃなくて快楽主義だろう。 つれない少女に振り回されて、と自己憐憫に陥ってるけど、変態で犯罪者。 こういう人が子どもを虐待する若い母親を世に送り出すわけです。 少女の敵は時間と俗っぽさじゃなくてお前だろう。 主人公に対し、このようにわたくしは思うのです。 作者ナボコフに対しても言いたいことがあります。 強姦され続ける少女が、ニンフェットとしての魅力を湛えられ続けるかどうかよく考えろと。 少女売春被害者の「売春婦だった私へ」とか「シーラという子」の続編とか読めよと。 自由意志で援助交際してる少女にニンフェットがいると思うか渋谷に見に来いと。 説得力とリアリティーについて構成がいただけません。「香水」と対照的。 私はすべての創作物に対して何より説得力を重視します。 芸術とは説得力のあるなしだと思います。 絵で言うと文章は画力で、テーマは描かれたものです。 画力のある人が美人を描いたら胸を打たれるわけではないのです。 ちなみにサド侯爵が文学としてすばらしいという意見にも共感しかねます。 尿道に火箸で絶叫はいただけません。リアルにそんなこと書かれても。説得されたくねえ。 "くびれと腹筋物語"&人妻からの返信 楽天自腹列伝 楽天ブロランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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