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こんにちは 日本共産党 熊谷あつ子です
任期4年の議員生活も折り返し地点となりました。2年の間、市民のみなさんと力をあわせ、国民健康保険料の一部引き下げや妊婦健診の公費負担の拡大など、実現することができました。 引き続き、教室の冷暖房、議員の税金海外旅行の廃止、30人学級、留守家庭子ども会の利用料廃止、市内の駅のバリアフリーの実現、過大規模校の解消など、選挙中にかかげた公約の実現にむけて全力でがんばります。みなさん、ごいっしょに力をあわせ政治を変えていきましょう! ▼福岡版・派遣村−「いのちとくらしの相談会」に参加しました ![]() 大企業による雇用破壊が深刻です。今年は東京・日比谷の「年越し派遣村」で年明けをむかえましたが、福岡でも3月1日天神・警固公園で「いのちとくらしの相談会」を開催。私も参加し、生活保護の相談などに応じました。 ※掲示板、書き込み、トラックバックは、別の形で紹介させていただくか、予告なく削除させていただくことがあります。論争・演説等への要望はできるだけ下記へお願いします。 熊谷あつ子の日記 [全402件]
昨日と一昨日は東京に出張しました。毎年の政府交渉です。私の発言テーマは「保育」「障害者」「教室冷暖房」です。保育は綿貫元議員が発言してくれて、よかったです。 20日は朝から咳が出るなど、調子が悪かったのですが、参加。 途中から熱発しているのが解りました。でもしょうがありません。 帰宅後、熱を測るとなんと38℃もありました。夫に「インフルエンザかな」と言うと、「明日の朝まで熱が高かったらそうだろうな」と言われました。今朝測るとやはり38℃近い体温です。 早速今朝診療所へ行き、インフルエンザ反応をすると、間違いなく「新型インフルエンザ」でした。3日間くらいは休まないといけません。 ここずっと休んでいなかったので、「神様がくれた休日という贈り物」と思って休むことにします。
今は亡き父のカラオケの「十八番」は「北国の春」だった。夫を亡くした母は来年で3回忌を迎え、今はデパート通い、病院通い、同窓会やいとこ会など毎日が忙しそうだ。時々父を思い出しては涙することもあるが、その回数はめっきり減った。その母がカラオケを始め、つい最近発表会に出演したのである。「洋服はなににしようか」「美容室に行っとかなきゃ」などなど用意が大変。しかもそのための練習に通いつめ、とうとう当日を迎えた。私は「たぶんドキドキしているだろうな」と思い、前日「がんばってね」と電話すると、「かっちゃ兄ちゃんが(母の弟)11月大分に来るのよ。私がカラオケに出るといったらびっくりしていて。」と嬉しそう。なんでも自分がこうして出る度胸があるのは、「やはりあつ子の母親だからなんやろうね」ということらしい。 私がカラオケが好きなのは、どうも両親ゆずりのようである。そして市会議員までなったのも、親ゆずりなのかも知れない。 さてさて、母はこうして元気でいる。あの世で父はほっとしているでしょう。父に頼りきりだったことを、あの歳で自分でやるようになったのだから。
私が初当選した後、毎週の日曜版に「こんにちは、熊谷あつ子です」というニュースを入れ始めて、今週号ではや122号となりました。このニュースは熊谷あつ子議員の日々の活動を広く知らせようということで始まりましたが、今では私の活動のみならず、地域の名所、また支部の活動の交流、川柳、「人」シリーズなど多岐に渡っています。 実は「100号記念の会をやりたい」といっていましたが、総選挙と重なりできませんでした。それで今日になったわけです。 総勢50名ほどの参加でした。今度参議院選挙区の予定候補になられた「篠田清さん」が来てくださり、挨拶していただきました。私もこの間の自分自身の活躍ぶりを報告しました。その後このニュースを書いてくださっているお二人に感謝の意味で「紙とインク」をプレゼント。お二人はお互いの苦労を譲り合うようにして、作っているお話しをしてくださいました。その後は皆さんでフリートーキングです。 私は、席をまわりながら、いろいろな厳しいお話も受けました。でも全体として、次の2期目に向けて頑張らねばという雰囲気でありました。 今日は午前は団会議。13時30分までありました。12月議会の質問の準備にかからなければなりません。また、この11月は質問の準備のために調査もし、保育のことで文章でまとめることをすることや資料調査もしようと思います。とにかく勉強あるのみです。
今年の委員会出張は福島県郡山市、新潟県新発田市、栃木県宇都宮市でした。第2委員会の総勢12人と教育委員会の4人、議会事務局2人で18人です。 はじめに行ったところは小中一貫校の湖南です。これは郡山市内にあります。過疎地の中で4つの小学校を統合し、その学校をどこにつくるのか、すでにあった中学校と合併するのか、いろいろあったようですが、結局は中学校に併設する形で小学校を建設したようです。建て方は「照葉小学校」に似ていました。でも住民の心意気は大変大きく、木材まで寄付し、それが随所にありました。 翌日は新発田市。迎えてくれた議長さんの話に感服。すごいな。大きさを感じました。「雪はわれわれの生活にとっては命がけです。毎年雪かきのための予算が2億円かかります。ときには3億円です。雪かきするだけで何も生まれない。でも雪は解けて川に流れて肥沃な土地を作り、それが「コシヒカリの生産に繋がります」と言われますと「なるほど」と思いました。 今日は「宇都宮美術館」に行きました。ここは「指定管理者制度」。市が直営しているわけではありません。館長さんは福岡市の美術館やアジア美術館とも交流があるらしく、今日はご本人は休みというにも関わらず、来られてまして、ごあいさつを受けました。 宇都宮は「餃子」が有名。駅前で食べました。お土産も「餃子パイ」です。
昨日児童福祉審議会の専門委員会が結論を出しました。3回の論議の中でどのような結論がでるのだろうか、当日の朝まで心配でした。 福岡市は待機児童が多く、その多くは認可外保育所に入所している現状です。待機児童数が多いと言われるのは自治体としても、忍びないわけです。本市としては「なんとかこの数字を減らしたい」と思うわけです。それで国の最低基準を満たしていない認可外の保育所にも「もう少し基準を上げれば」つまり、福岡市が独自に作った基準に合えば「認証保育所」として認め、さらに支援しますということを今回は考えていたのではないでしょうか。 しかし、認証保育所の弊害は東京都をみればわかります。民間の企業が保育を「市場」として、つまり儲けの場として参入してきており、これまでこどもたちに家庭的保育をしてがんばってきて、儲けるとか考えてきていない良心的な認可外保育所が認証保育所となり、企業から淘汰されていっている現状があります。そのことを不十分ですが、専門委員会で述べました。同じように認証保育所については反対の意見を言われる委員もおられました。私は「認証というものをつくるのではなく、認可外の保育所には特別な支援が必要だ」と思っていましたので、そのことを発言しましたが、結論はそのようにまとめられていたのでほっとしました。 これで十分なのか、いつも気になります。でも本当にたくさんの方々からの、いろいろな支援が私にあったからこそこうして言えたのです。本当にありがたいです。 その専門委員会の前には「児童福祉審議会」がありました。多くの質問と意見をを述べました。その帰り道、ある女性の委員さんから「よく勉強されていますね」と言われました。それは少しうれしかったですね。
第2委員会に移ったおかげといいましょうか、いろんな役回りがやって来ます。先に書いている児童福祉審議会の委員もそうですが、今日のは「民生委員、児童委員、主任児童委員の補充について、ひとりひとりを審議して市長に答申するという」委員会の委員になりました。しかもその委員会の委員長は慣例で市会議員がなるようになっているらしく、市会議員は私のみで今日は委員長を務めました。 式次第は形式があるようで、それを淡々と進めればいいのですが、滞りなく終ろうとした時、やはり委員さんから「民生委員の過重負担」のご意見が出ました。 私も決算議会では民生委員さんの負担問題には触れました。民生委員さんはボランティアです。法律があるらしく、440世帯を超えてはならないというのがあるようですが、越えてところもあります。生活保護世帯数や70歳以上の高齢者がいる世帯数がこの基準に関係あるようです。ある男性の民生委員さんは、赤ちゃん訪問が大変と言っていましたが、今日参加の委員さんからも同じような意見が出ていました。本当に大変ですよね。本市は共働という名で本来行政がやるべき仕事を地域に広げています。「地域の共和」といいますか、お互いと助け合って、どこにどのように暮らしているのか地域の人が知るのはいいことです。しかし、それは自覚的なもの。行政が押しつけるものであってはなりません。 その後は、先日伺った認可外保育所に行き、再びお話を聞き、6時半からは新聞の拡大に回りました。今日は5人の方に読者になっていただきました。
かねがね行きたいと言っていた もうコスモスも終わりだし、平日だしと思っていましたが、船に乗る人は多かったですね。 義父は歩きが多い所が心配です。能古の島に着き、バスでアイランドパークに行きました。バスの中でも若い人に席を譲っていただきありがたく思いました。 しかし、着いたのですが、その後は能古の島の先っぽのところまで歩けるのかどうか心配でした。門をくぐると左にきれいなコスモス畑が見えました。そこまで行き、その後は電動クルマ椅子を借りましたが、これが的中でした。なにしろ、これで義父が歩けなくなることはありませんでした。また私は時間の制約を感じることはありませんでした。(長い歩きの時間、心配なんですが、でも早くしてほしいなんてね) いつもなら5時間ぐらいかかるところが、11時15分出発、3時15分後渡船場に帰還でした。 きれいな景色でした。「熊谷さん」と声かけるものあり。東区のYさんでした。ご夫婦で写真の撮影に来られたとか。なつかしい話に花が咲きました。 実は今日ほどストレスの感じる日はありませんでした。関係が悪いある二人の仲裁に出かけ、その後は「児童福祉審議会」で発言したことを快く思っていない人に電話したこと。でもいろいろあることが発展につながる、「何事も勉強です」と前向きに思いがんばります。 |一覧| |