まずぼくの知り合いの失敗談から
ベトナムで事務所をかまえ働いていたIさん(日本人男性)は、信頼できるベトナム人女性と出会い、いろいろとお世話になっていた。男と女といっても、70才のおじいさんと日本語を学ぶ大学生の娘なので色恋沙汰ではない。
Iさんは日頃お世話になっているお礼をしたくて、その娘さんを日本食レストランに招待したり、有名ホテルのラウンジで甘いものをごちそうしたりしていた。
日本語を勉強している学生に日本食を食べさせてあげたい、高級な店で(Iさんにとっては格別高い料金ではないけど)おししいものをごちそうしたい、そういった善意からの招待だった。
でもその善意は相手をよろこばすどころか、かえって相手に重荷を与えただけにすぎないことにやがてIさんは気付く。その大学生がベトナム人にはめずらしくIさんに本音を語ったからだ。
前にも日記でちらと書いたが、ベトナムに割り勘はほとんど存在しない。Iさんが招待しておごったことには何も問題はないのだが、問題はその代金が通常のベトナム人の感覚では高すぎたことだった。ベトナムではおごってもおごられても礼を言ったり恩着せがましいことも言わないが、常々そのお返しをする機会を考えている。返せもしないような高額な食事をごちそうになったりすると、善良な人ならよろこびよりも困惑のほうが大きくなる。このお礼をどのようにして返せばいいのかと。
ベトナムにも金持ちはたくさんいる。そういった人との付き合いなら別に気にすることはないだろうが、一般的な暮らしをしている普通の人々と付き合うなら、彼らがいつか次の機会に無理なくお返しができる程度の店を選ぶべきだ。そしてそのほうが絶対によろこばれる。高級な店では押し黙っているかもしれないが、庶民の店では「なんじゃこのチェーは。あたしゃもっとおいしい店を知ってるぞい。今度つれていっちゃる」とか、「日本人のくせにええ店しっとるやんけ。いけるやんかこのフォーは」などと会話もはずむでしょう。
とある金持ちの外国人に自分の給料1ヶ月分ぐらいの食事をおごってもらって、たのしい時間をすごせるか?ぼくは過ごせない。プライドが傷つけられるだけだ。
Iさんはぼくもよく食事に連れて行ってくれた。もちろん他のベトナム人もいっしょに。けどもう高級店には行かない。どこにでもあって安い、けどおいしい店に連れて行ってくれた。ぼくはそんなIさんが好きでい。
ビオラさんリクエストにより、ベトナム人歌手ミータムの歌詞を翻訳します。ベトナムではどえらく有名な女性歌手です。私は恥ずかしながら聴いたことがないのですが、ビオラさんに送ってもらったベトナム語の歌詞を訳しながら、メロディーを想像するのはなかなかたのしかったです。
原文も合わせて掲載しておきます。ベトナム語がわかる方、誤訳等がありましたらご指摘お願いします。
幼いころを思い出す
家族の愛情に包まれた暮らし
子守唄で寝かしつける母の面影をずっと覚えている
幼いころを思い出す
家族の愛情に包まれた暮らし
やさしく教え諭してくれた父をずっと覚えている
涼やかで澄んだせせらぎのような母の言葉を
私が大人になるようにと言ってくれた父の言葉を
父母の愛情は深く刻み込まれ、私が歩む人生の糧となる
幼いころをずっと覚えている
ずっとずっと忘れることなく
決して忘れない
たとえ私がどこに流されて行こうと
母の愛情は海のように果てがなく
父の愛情は空のようにはるかに
※
母がくれた言葉を忘れはしない
父がくれた言葉を忘れはしない
たとえ喜びがあろうと悲しみがあろうと、
もしくは頂に登ろうとも
愛情のこもったやさしい母の言葉をいつまでも忘れない
愛情のこもった父の教えをいつまでも忘れない
私は誰よりも父と母を愛しているから
ベトナム語で「オム」とは「抱く、抱きしめる」という意味です。バイクタクシーはセーオムといいます。バイクの後ろに乗ると運転手をオムするのでセー(車)オム(抱く)というわけです。
お触り可の飲み屋はビアオム。これは説明不要でしょう。
オムの用語説明はこれぐらいにしといて本題に入ります。ぼくはハノイでこう思いました。好きな人をぎゅっとオムするときほど、人生で貴重な瞬間はないのではないかと。
これは真理だ、揺るがぬ真理だ、そう思ったぼくは、身近な人たちにこの真理を伝えました。そしてその中のばかな数人は信徒となりました。こうしてできたのが
「オム真理教」です。
現在信徒4名です。門戸はいつでも広く開けております。みなさん、いかがですか?
ベトナム語に bui という言葉がある。味覚に関する形容詞であるのだが、辞書によると嗅覚や触覚にも関係のある言葉のようだ。ベトナム語辞典(ブイ・カック・ヴィエト他編、言語辞典センター、1992)によると、
bui : Co vi ngon hoi beo beo nhu vi cua lac, hat de, dua……
であり、ベトナム語辞典(ヴァン・タン編、ハノイ科学出版社、1991)によると、
bui : Noi thuc an co bot, co vi beo va thom, nhu lac, vung……
と書かれている。
ピーナッツ、栗、胡麻、椰子のようにほどよく油っ気があり、よい香りがし、そして美味しいといったところか。buiはたったの一語で、旨味、芳香、食感(油)を同時に喚起させるなかなか曲のある言葉のようだ。
buiの語感をあますことなく包括する日本語はちょっと思いつかない。ためしに越日辞典(文化出版社、1997)を引いてみると「香ばしい」と書いてあった。「香ばしい」もいい線いっているが、「油っこさ」が伝わってこない。他言語の辞書も引いてみる。
越英辞典(ブイ・フン編、世界出版社、1995)
bui : have a nutty flavour, tasty
越英辞典(ダン・チャン・リエウ他編、ベトナム社会科学院、1994)
bui : having a buttery taste
越漢辞典(何成他編、南条印書館、1960)
bui : 芳香可口
「nutty」、「buttery」ともになかなかおもしろいがいま一歩。「芳香可口」は油っこさが伝わってこないし、四語(二語?)も使っている時点で反則。英語も中国語も日本語同様buiの訳出には苦労しているようだ。
Lac cang nhai cang thay bui.
これはどの辞書にもよく出てくる例文である。「ピーナッツは噛むほどに旨味が出る」。無難な訳としてはこんなところか。
しかしこれではbuiが包含する「芳香」、「ほどよい油っこさ」という語感がこぼれおちてしまっている。かといってその語感を余すことなく伝えようとすれば、長ったらしいリズム感の欠けた間抜けな訳文になってしまうだろう。
身も蓋もない言い方をすれば、翻訳不能であるのだ。もちろん実際に翻訳する際には、一語一語に拘泥してストイックに正確な訳に努めることよりも、原文の持つ雰囲気、フィーリング、リズムを再現することの方がずっと重要であるとは思うが。
buiのように「翻訳不能」な言葉は世界中の言語にあまた存在するであろうが、理解不能であるわけでは決してない。そして、日本語の語彙系統では扱いにくいこのような言葉にこそ、異文化に触れる新鮮な驚きがそっと埋められているに違いない。
「あんたかっこいいね、映画スターみたいや」
こんなセリフを言われたことがあるか?
世の中ハンサム・ボーイは多しといえども、ここまで言われたことのある人は、あまりいないだろう。そんじょそこらのハンサム・ボーイでは、まあ聞かずに終える人生だ。世の中そんなに甘くないのだ。
だが私は言われたことがある。
ベトナム中部の街、クイニョンの屋台で。
夜もふけてうすぐらい屋台。ホビロン(北部風に言えばチュンビッロン)を食べさせてくれる屋台だった。ホビロンとは、あの有名な孵化しかけのアヒルの卵を茹でたやつ。ビールのつまみに最高なのだ。隣には酔っ払いのじいさん。私が外国人だと知り、ろれつのまわらない英語で話しかけえてくる。当時(約10年前)私はまだ挨拶程度のベトナム語しか知らなかったのだ。私も面倒だが無視するわけにもいかぬので、英語で答える。じいさん、周りの人たちに自分が英語を話せることを示せて得意そう。私並にへたくそな英語だったが。そしてじいさんは言う、冒頭のセリフを。
「ユ アー ベリベリ ハンサム ライカ ムービー スター!」
一生に一度聞けるか聞けないかのセリフなのだろうが、とくにうれしくはなかった。へべれけじいさんに暗い暗い屋台で言われても・・・。
賭けてもいい、じいさん、見えてないでしょう?
数年前のハノイで、日本語を勉強するベトナム人学生とベトナム語を勉強する日本人学生の交流会が催された。場所は東京大学のベトナム研究拠点、正式名称は忘れた。私も人数あわせのために半ば無理やり参加させられた。
参加者は双方10名づつほど。女性が7割ほどを占めていた。ベトナムの男子学生にはかのヴォー・グエン・ザップ氏の孫がいてびっくりした。独立闘争の英雄ヴォー・グエン・ザップの孫が日本語を勉強しているとは・・・。
ベトナムの学生はみな日本語が非常に上手だった。日本人学生のベトナム語よりもうまい。自然、場の会話は日本語が多くなる。情けなや、我々日本人学生・・・。
議題、というかただの雑談の話題は男女関係へとうつろう。ベトナムでのデートは必ず男がすべて金を出すね、そうね、日本では男が出す金額のほうが多いと思うが、女が出すこともあるね、そうなの?、そうよ、といった他愛もないことをうだうだ語り合う。正直、退屈な私・・・。
半分聞き流していると、話題はいつのまにか日本人女性によるベトナム男性礼賛となっている。ベトナム男性はすごく優しい、親切、マメ、誠実・・・越南男児、まんざらでもない顔。越南女子、社交辞令でも日本男児を褒める気配なし。数少ない日本男児、反論する度胸もないのか従順に耳を傾けている。何やっとんねん、お前らは!反論せい、反論せんか!!日本男児に立ち上がる気力なし。これやから有名大学のエリートどもは使えん。しょうがない、俺が代弁してやろう、越南男児、越南女子、そして日本女子どもよく聞け、俺の日本語とベトナム語ちゃんぽんの熱弁を!
「ベトナムの男性は確かにやさしい。細やかな心配りもできる。でもそれは結婚する前までだ。あくまで結婚する前までだ。結婚後の越南男児を見よ。働かない、家事もしない、おまけに妻を殴る蹴るの狼藉三昧。もちろんすべての人がそうではない。結婚後もやさしく、一生懸命働く夫もいる。だが、そうでない人がたくさんいるのも事実だ。しかもプライドだけは高い。職がないとかいうのは言い訳だ。選ばなければ職はいくらでもある。でも、肉体労働をするぐらいなら、妻を働かせてぶらぶらしてるほうがマシというわけだ。こんな男性がやさしいか?」
しーん・・・・・・。
場は静寂、まことに静寂。ちょっと言い過ぎたか?
越南男児、うつむく。越南女子からも反論なし。日本女子、ちょっと敵意のまじった眼で私をねめつける。日本男児、心の中で拍手(たぶん)。しかし表向きは場に合わせて白けた振り。卑怯者め!
私の発言は感情的になったこともあり、誇張されている。ベトナム人男性、そんな悪人ではない。けど、半分図星でもある。だから越南男児も女子も反論できなかったのだ。
実際、働かない男は驚くほど多い。一家の家計は女性が支えているというケースは、全然稀ではない。ベトナムに専業主婦はほとんどいない。共働きか妻のみ職を持っているかのどちらかだ。
日本では働かない男はクズ扱いされ、非常に風当たりが強い。でもベトナムでは働かなくても別にどうってことない。非難もされない。そしてベトナム女性は本当に働き者なのだ。
いいなあ、越南男児・・・。
覚悟
|
[ コラム ]
|
私は旅行会社で働いている。外国人のお客さんも多く、ベトナム人も私の知り合いを中心にたくさんいる。
日本のパスポートを持っているということでどれほど優遇されているか、ベトナム人の査証手配をするとよくわかる。ベトナムパスポートで査証を取らずに行ける国は本当に少ない。
先日もフランスの査証(シェンゲン査証)手配をした。日本パスポートを持っていれば、査証はもちろん要らず、パスポートを持って行くだけでいい。しかしベトナムパスポートだと、査証が必要で、しかもやたらと提出する書類が多い。
申請書、パスポート、写真、往復航空券。ここまでは理解できるが、まだまだ必要書類がある。銀行残高証明書、旅行保険の証券、宿泊証明書、日程表、外国人登録証のコピー。さらに今回はフランス大使館の判断で、雇用証明書と休暇証明書の提出まで求められた。これだけの書類をそろえるのは一苦労だ。でもまだフランスはマシなほうで、これがイギリスだと銀行残高証明書は受けつけず、過去6ヶ月の出入金記録のある銀行通帳の原本(!)提出が求められる。もちろん就労や留学査証ではなく、ただの観光査証でこれなのだ。
フランスもイギリスも、まだ代理申請は認めている。しかしアメリカとなると、代理申請も認めていない。しかも面接(!)が必要なのだ。英語ができない人はどうしろというのか。一言も英語を知らなくとも、英語の申請書を自分で記入せねばならない。しかもアメリカに滞在するわけではなく、米国内空港で乗り継ぐだけでも、査証を事前に取得せねばならないのだ。あまりに非道すぎる、そう思いまっせ、アメリカさん。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「世界市民」と言う人たちがいる。国という「想像の共同体」に縛られ、ナショナリズムやレイシズムに囚われていては、戦争や様々な面での不平等さは解消されず、そんな世界では人類に未来はないと。望ましい未来を築くには「世界市民」としての連帯が不可欠だと。
しかしベトナムに行き、「ぼくたち同じ世界市民」と言っても、誰が共感するだろうか。おそらく多くの人が首を傾げて、「いや、俺はベトナム人だ」と答えるだろう。もしくは「○○族だ」と言う人もいるかもしれない。イラクやアフガニスタンでも同様であろう。そして、皮肉屋さんならこう言うかもしれない。
「そうか同じ世界市民か、では同志、国籍を交換しよう」
実際、「世界市民」という思想に共感しているのは、経済先進国で恵まれた境遇を享受している人たちだけだ。そして「世界市民」を唱えている人たちのなかで、「いいよ」と言える覚悟のある人がいったいどれだけいるのか。素晴らしい思想であることは認めるが、口にするには相当の覚悟がいる言葉だろう。そして、そのような覚悟を胸に発言し行動している人なら、私は本当に尊敬する。
「英語に標準語はない」
何かの本でそう読んだことがあります。その根拠として、以下のような説明がなされていたと記憶しています。
アメリカ、イギリス、シンガポール、ナイジェリア、オーストラリア・・・。それぞれの国で話されている英語はそれぞれの特徴があり、どれが正しくてどれが標準と決めることはできない。さらに世界の多くの人々が己の母語が通じない相手とコミニケーションする手段として、英語を用いている。日本人と中国人、タイ人とイタリア人が英語で会話をする。日本語でもなく中国語でもなく。そのような「世界言語」であるため、標準がどうのこうのというより、通じ合えばそれでよし。英語とはそういう言語なのだ、と。
日本人は英語の発音が下手だと言われています。おそらく多くの日本人がそう自己採点していると思います。私もその一人です。実際、私の英語は文法も発音もデタラメ。でもたいていの場合、それでも通じました。デタラメ過ぎて通じなかったこともありますが、多少のデタラメだったら大丈夫。英語は「ぶれ」に強く、許容範囲の広い言語なのです。上記の本の影響もあり、デタラメだって別にかまへん、通じりゃええねん、そう曲解して開き直っていた私ですが、ベトナムでさっぱり理解できない英語に出くわしてしまいました。
ベトナムでも普段から外国人と英語で会話する機会の多い人は、理解可能な英語を話します。ここで問題にするのはそのような実践経験はほとんどないが、英語の勉強はしているというベトナム人です。
私はハノイで英語の家庭教師をしているという男子大学生に会い、彼は何事か早口で話しかけてきました。私はまったく理解できないばかりか、何語を話しているのかさえ分かりませんでした。いままで相手の英語が理解できなかった経験は自慢じゃないが山ほどあります。英語のニュースを聞いてもチンプンカンプン、その程度のレベルなので。でも解らないなりにも英語が話されていることぐらいは理解できました。
「何語で話してんの?」
「えっ!?英語やけど・・・」
ベトナム語の会話で彼が英語を話していたことが判明しました。気を取り直して耳を傾けてみると、確かに英語だった。でもほとんど解らない・・・。
何度か同じような経験をし、「なぜ一部のベトナム人の英語が理解できないか」という疑問に、私は自分の英語力の未熟さを棚上げして、私なりの回答を出しました。
結論から言うと、ベトナム人の英語と日本人の英語は非常に相性が悪い、最悪のマッチングだということです。そしてその相性の悪さが如実に現れるのが末子音です。例えば「mac」、「mat」、「map」、「mach」。アメリカ人なら「マッ(ク)」、「マッ(ト)」、「マッ(プ)」、「マッ(チ)」と、()内は微かに発音するのだと思います。日本人なら「マック」、「マット」、「マップ」、「マッチ」でしょう。ではベトナム人ならどうか。
ベトナム人なら「マッ」、「マッ」、「マッ」、「マッ」です。正確に言えばそれぞれ微妙に違う「マッ」なのですが、日本人の耳には同じ「マッ」に聞こえます。ベトナム語では末子音は発音しないので(発音しなくても口や舌はc、t、p、chの位置に動かす)、英語にもそのルールを適用してしまう傾向があります。逆に日本人は末子音の発音を強調し過ぎてしまう。日本語にはn以外の末子音で終わる単語がないからです。
「パッポー、パッポー」
ホテルのレセプションでそう言われて、理解できる日本人がどれほどいるでしょうか。私は何度も聞き返してやっと理解できました。彼が「パスポート」と言っていることを。
「アイックリ、アイックリ」
これは「アイスクリーム」のことでした。
多少デタラメの英語でもかまわない、通じればいいのさ、私はいまでもそう思っています。でも逆方向にずれたデタラメ英語同士だと、お互い通じない。許容範囲の広い英語といえども、やはり範囲はあるのです。
おそらく通常の観光でベトナムを旅行する場合は、外国人との会話に慣れない「純粋越式英語」にはあまり遭遇しないと思います。ですが、もし幸運にも遭遇することがあったら、想像力を駆使して相手の英語の末子音を補い、自分の英語はわざと末子音を落として話してみたりという「高等テクニック」をたのしんでみてください。もしくは「純粋日式英語」で相手も面食らわせてやりますか。
「子供の結婚」 タック・ラム著 岩井訳
初夜
きょうは一日本当に疲れた。花嫁側の人たちは夜になってようやく帰り、ぼくの家では芸者を呼んで、ドンチャン騒ぎが夜中まで続いた。エビのような口元をした数人の芸者が、ぼくの頭を撫でてはくすくす仲間内で笑い合うのだ。本当に腹が立つ。
こんな夜更かしは今までしたことなかったので、眠たくて眠たくて今にも目蓋がくっつきそうだ。ふとお金のことを思い出し、財布と紙の包みを開けてみると、3ドンと300スーが入っていた。やった! どこに隠そうかと算段していると、母がどこからか駆けつけてきて、電光石火でお金をひったくって行ってしまった。残念でならなかったけど、あえて苦情は言わなかった。
ベッドに入ってうつらうつらしはじめたとき、母が来てぼくを引っ張り起こして言った。
「嫁がいるのになんで独りで寝てるんだい!」
そして母はちょっとしたアドバイスを耳打ちしてくれたので、ぼくはすこし意を強くすることができた。ぼくは大胆にも寝間着のまま、手探りで妻の待つ寝室へと向った。
寝室のドアの前まで来たが、ぼくは全身が震えて胸がドクンドクンと高鳴り、逡巡するばかりでそこから一歩も踏み出せない。根性を見せるときじゃないか!
膝はまだ震えていたけど、意を決してドアを押すと、ベッドの端に腰掛けていた妻にばったり遭遇した。くわばらくわばら。 ぼくはとても直視することができず、そんなものは存在しないかのようなふりをした。ぼくの目は鶏を探していた。母は、部屋に入ったらまず頭を折った鶏を探し、それをすぐに食べれば妻はもうぼくに危害を加えることはない、と教えてくれたのだ。
それなのに当惑の末やっと鶏おこわが置いてある場所にたどり着いたと思ったら、なんてこったい、鶏の頭はどこかに消えちゃって、ひょろひょろの首だけが寂しく残されているじゃないか。
ヤバ過ぎる! この女、鶏の頭を食べちゃったのか? だとしたら、ぼくをいじめ殺しかねないぞ。椅子に腰掛け考えてみるが、熟考すればするほど不安が抑えられなくなって、どうすればいいのか分からなくなる。
ぼくはずっと待っているというのに、どうして彼女は眠ってくれないんだろう。目は二つとも閉じられているが眠ってはおらず、頬杖をついて鶏をじっと凝視し振り向こうともしない。
ベッドの竹が軋む音がしたと思うと、しばらくして豚のような鼾が聞こえてきた。やっとほっとして、ぼくはベッドに近寄った。目を大きく見開いて妻がぼくの何倍大きいか見当してみると、優に四倍は超える。なんたるデブ!
勇気を出してそっと妻の傍らに身を横たえ、死力を尽くしてやっと掛け布団をすこし引っ張ることができた。どうやらさっき、彼女は酔いで眠りに落ちたらしい、ごそごそ動いて咳払いをしていたかと思うと、突然腕をぼくの首の上にドスンと落とした。ぼくは息ができなくなって、必至に押しのけて、なんとか九死に一生を得る。
急いでベッドの隅に退避し、身体を丸めて咳をするのもためらいながら息を殺す。ぼんやりと、妻がぼくの髪を鷲づかみにして、薪をかち割るみたいにぼくをぶん殴るシーンを想像した。まるでテオの母親のドゥンおばさんが、旦那を叩きのめしているときのように。
そして、ぼくは眠りの淵へと引きずり込まれていった。
おわり
(風化紙、27号、1932年12月)
「子供の結婚」 タック・ラム著 岩井訳
家に帰る
昼時に花嫁宅を辞した。巡察の若い男が数人面倒を起こしてきた。すでに4ハオも渡したというのに、彼らは満足しないのだ。父は怒って紐を引き千切り、花瓶ごと机をひっくり返した。
連中は罵り喚きながら走り去って行った。
家に着いたけど、あっちの儀式が終わればこっちで儀式が待ち受けている。もう疲れて膝に力が入らないけど、まだまだ終わらない。これから行われる婚姻の儀がもっともヤバイのだ。
ぼくは既に恥ずかしさの絶頂だというのに、紳士淑女の皆様方は、「夫は小さいのに妻はでかい」とか、「夫はネズミ、妻は巨象」とか、「夫があんな子供では何も分かっちゃいないのよ」など、好き勝手に品定めしてくださる。
本当に恥ずかしい。さらに儒者がすべて漢読みで朗唱したとき、ぼくが木偶の坊のように呆然と立ちすくんでいたら、人々の間からクスクス笑い声がもれた。チラッと柱の陰に隠れているスー嬢を見てみると、彼女は口をもぐもぐ動かしながら熱心に拝んでいたが、何を祈願しているのかぼくには知る由もなかった。
つづく