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カテゴリ:鹿児島の城と麓
2月11日、"歌う仲間のコンサート”会場の近辺は市来麓の一村である東市来麓(長里麓)の一角にあった。
私はお昼ご飯もそこそこにその麓を散策した。 会場の“こけけホール”(日置市東市来文化交流センター)のまん前に島津さんの墓地跡を発見。島津氏第十代当主 島津立久(しまづたつひさ)公の墓地跡である。 島津立久(1432~1474)とはどういう人だったのか。講談社の「日本人名大辞典」によると、「室町時代の守護大名。薩摩・大隅・日向守護。第9代島津氏当主忠国の次男。寛正3年(1462年)市来氏を討つ。応仁の乱では、東軍細川方に属したが出兵はしなかった」とある。 当主を務めたのはわずか4年間だけで、43歳で没したそうだ。 ここ市来竜雲寺に葬られたが、後に鹿児島市の福昌寺に改葬された。 ここには、墓の祠だけが残されている。 麓に残る石垣 石垣の上に植垣がある。鹿児島の麓によくある風景である。 鶴丸小学校に残る市来鶴丸城の石垣。 今も残る石柱の門。 ここを散策しながら、しばし昔に思いを馳せることが出来てなんともいえない幸せな時間を過ごすことだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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