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カテゴリ:黒ひょうさんの司法試験~総合編~
僕が去年落ちてから今年受かるまで気をつけていたこと、それは、「今、自分のやっている勉強はやるべき勉強なのか否か」ということでした。
司法試験の勉強(特に論文)はゴールが非常に見えにくくなっています。 それは択一のように解答が発表されないことに起因していると考えられますが、それがために、受験生の中には論文合格には必要のない、むしろ有害とすらなりうる知識(「ぜい肉」)を溜め込んでいる人がいると思います。 たしかに、最近発表された論文や学者の基本書などは法律をかじった者にとっては、知的好奇心を大いに刺激してくれる、非常に甘美な代物です。 しかし、果たして、それが合格というゴールに向かう道なのかといえば、僕は違うと思っています。 「答案に吐き出すことのできない知識は無駄以外の何物でもない」 これは、周りの合格者のアドバイスや3回の論文経験を経て自ら体感した、僕の結論です。 論文試験は人を計る試験ではなく、答案を計る試験です。 すなわち、書面主義。 答案に書き表せないことは、どんなに知っていようと無意味なのです。 ですから、最新の論文などを読んでいるときに、「今、頑張って(「試験」)勉強しているんだ」と思うことは、違うと思うのです。 なぜなら、最新の論文に書かれていることは学者ですら未だまとめきれていない話題に溢れているからです。 そんな最新知識・話題を、一受験生が答案に書き表せるまでに消化できるか、答えは否です。 答案に吐き出すことができない以上、最新論文を読むことは「試験」勉強していることにならないというわけです。 では、いつ最新論文を読めばいいのか? それは、論文後発表までの間です。 あの期間は試験勉強しなくていい開放された時期ですから、たっぷりと心行くまで基本書なり最新論文なりを読み込めるのです(実際に僕も今年の夏はちょくちょく読んでいました)。 ここまで書いてきて僕自身思うことは、試験に要求されている勉強と法律の勉強とは異なるということです。 前者はあくまで司法試験という資格試験に受かるために必要な勉強であるのに対し、後者は法律を追及するための(いうなら学者になるための)勉強であるのです。 どちらの勉強が司法試験に合格するために必要な勉強なのか…。 答えは自ずから明らかでしょう。 去年の僕は後者の勉強を、今年の僕は前者の勉強をしていました。 今、司法受験生として頑張っている人は自分がやっている勉強はどちらの勉強なのか、常に考えながら勉強してもらいたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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