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![]() ↑ 1999年のこの賀状がぼくの手元になぜかある・・・ 比古太は年賀状のことを 「生存証明書」と呼んでいた。 1年に1度 年賀状が知人からきて ああ、彼もまだ生きているのかと感じ、 自分も生きてるという証で 年賀状を出すわけだから そこには「謹賀新年」など不要だ! とか何とか屁理屈を構築していたようだ。 ぼくは年賀状を書くのが大嫌いで 年賀状を大量に色つきでプリントできる黄色い箱にはいって 豆電球のようなのがあって 絵具のようなのがあって 名前は忘れたが、すぐ買ったが、すぐ飽きた。 (あの年賀状作成道具の名前、だれか思い出して!) 1990年前後に第1回福岡自然農塾を主催したときは すごい数の年賀状が寄せられて困惑したことがある。 いつか自慢話をしようと思うけど 福岡の地に「自然農塾」なるものを強引に開催したのは ぼくとMさんの二人によるものなんだ。 思いついたのは大阪の新幹線に向かうエレベーターの中だった。 その時歴史は動くとかみたいな番組をNHKでやってるけど 思いつき(=ひらめき・直感)で世の中が動くのを感じた。 話がずれていってるね。 お尻=「粉瘤」の痛さを我慢しながらだから あまり長いことパソコンの前にはすわれないんだ。 2004年、年賀状から完全撤退したよ。 親父が亡くなって喪中という機会を利用してね。 ところで 2003年の正月には親父は年賀状を書いてないと思う。 最期のガンとのたたかいの最中だったから。 2003年1月5日だったと思うが 佐世保市民病院に二度目の入院をはじめた。 水玉のアスコットタイをしてお洒落してた親父。 その40数日後に地上を去った。 2002年の年賀状が最後のものとなるわけだ・・・ 2000年、2001年の賀状はあるが、 2002年は見当たらない・・・ 年賀状や葉書スライドショー 比古太美術館手紙展示室 ![]() ↑ あれ!これも1999年だ・・・ いくつかのパターンを描いてたようだな・・・ [比古太美術館関連記事]カテゴリの最新記事
うちにもB4サイズのプリントゴッコありますけれど、確かに使い道が無い・・・・・・・(2010.09.02 17:01:33)
ねちょくんプラスさん
>年賀状を大量に色つきでプリントできる黄色い箱にはいって >豆電球のようなのがあって >絵具のようなのがあって > >↑「プリントゴッコ」ですね。 ----- ↑ ありがとうございます。 「プリントゴッコ」か・・・・ どわすれしてました。 歴史を調べます。 (2010.09.02 18:23:39)
放蕩詩人さん
> うちにもB4サイズのプリントゴッコありますけれど、確かに使い道が無い・・・・・・・ ----- ↑ 放蕩さん、あれってハガキ専用じゃなかったんですか? B4とは大きいじゃないですか! 何かに使えそうじゃないですか! (2010.09.02 18:28:57) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |