「私が間違えることは、人の命を間違えることだからです。」 ~『風に立つライオン』
前回の日記の続きです。前回、実話をもとにした小説『風に立つライオン』について、少しふれました。今日は小説の中身について、少しだけふれます。そこから、「教育」への警告も、読み取ることができます。 『風に立つライオン』(さだまさし、幻冬舎、2013、1645円)この本の主人公は医師です。しかし、医師の生き様や、人々への接し方から、教師という職業についても、考えることができます。次に引用するのは、自身も医師である主人公の父親の言葉です。======================・「いいかい、患者や患者の家族は お前という人格に対して頭を下げているのではないのだ、 お医者という幻想に対し平伏しているのだ。」(p58)======================教師に対しても、同じことがあるのではないか、と思います。「自分が偉いからだ」などと勘違いしないように、謙虚にいなければ、と反省します。 次は、別の医師の言葉です。======================・普通、お医者はね、みんな自分のできるやり方で患者を治そうとするんだな。 もっと良い方法や、自分より上手な人がいても そららへはなかなか患者を回さない。 ここが問題なんだ。(p82)======================自分のやり方に固執するのは、教師もです。もっと良い方法や、自分より上手な人がいてもそららへはなかなか任せない。自分が自分がと思っているうちは、子どもを本当に幸せにはできないかもしれません。方法は無数にあり、人も無数にいる。無数に対して、自分が一番、などと、確率的には(笑)、なかなかありえないんじゃないでしょうか。そうはいっても、ベストではなくベターにすぎないと割り切って、自分でできることをしていくぶんには、いいかもしれません。ここでもまた、やはり謙虚にいなければ、と反省しました。 最後に、222ページから、引用します。これもまた別の医師の言葉です。僻地の診療所の医師の言葉です。======================・分からないことは「分からない」と言える勇気が要ります。 医師は私だけなのです。 私が間違えることは、人の命を間違えることだからです。(p222)======================教師もまた、子どものいのちを預かっている存在です。未来に対して大きな可能性を持っている子どもたち。その子どもたちに対する責任を、軽く考えてしまっている自分がいます。「私が間違えることは、人の命を間違えること」重い言葉です。それだけの責任を感じて、教育を全うすることができるでしょうか。いや、できるできないの問題ではなく、少なくとも、しようとすることができるでしょうか。「間違いは誰にでもあること」「教室は間違えるところだ」という、この意見に僕は賛成なのですが、でも、大きなところでは教師はやはり間違えちゃいかんのじゃないか、と思います。大事なところで間違えることは、「人の命を間違えること」ととらえることも、できるんじゃないでしょうか。それだけ大きな責任を感じて、間違えちゃいかん、と思って仕事をするのも、必要なのではないでしょうか。 引用した3つの箇所は、小説のストーリーとしては全然山場ではないところです。しかし、僕としては、非常に心に響いたところです。 この本には、主人公である青年医師の生き方だけでなく、アフリカの少年兵が置かれている状況や、東日本大震災の被災当時の圧倒的な描写により、心が引きずり込まれるところがいくつかあります。「生き方」について考えたい、すべての人に、おすすめです。 『風に立つライオン』(さだまさし、幻冬舎、2013、1645円)