今日は勤務市の人権教育研究大会でした。
全体会では西脇北高等学校の生徒たちが、はつらつとした声で発表。
震災ボランティアを経て、「どうせ~」と思っていた心が
「自分にもできることがある!」とどんどん前向きに、
元気になっていった体験を語ってくれました。
発表された3人の生徒が、事前にとてもよく考えて
内容を工夫されていたのが伝わってきました。
分科会では僕は司会をさせてもらいましたが、
いろんな方にどんどん発言していただいたので
ほとんど何もしなくて良かったです。
準備、計画してくださった運営の方々には本当にお世話になりました。
おかげでいい会になりました。
では、最近書いている読書メモの続きを書きます。(^0^)

『人はなぜ学ばなければならないのか
あなたが「学ぶ」ことの意義を語ろう』
(齋藤孝、実業之日本社、2011、1500円)
今日が第3回。最終回です。
(第1回はこちら)
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『人はなぜ学ばなければならないのか』
3
(p199~最後まで。)
・「他者性」を自分の中にどれだけ多く取り込むか。
それが「学ぶ」ことの非常に重要な要素。
・(かつて)日本人の場合、
腰を立てることと 音読して覚えること、
そして学ぶ構えは 全部セットだった。
そんなふうに、学ぶことは体に刻みつけること、
要するに 身体的な行為となっていた。
・学ぶときに腰が砕けていて、
身体が斜めに傾いていたら、
「姿勢を正しなさい」
と必ず先生に注意された。
それは、学ぶときは「中心感覚」を持ちなさいということ。
腰を立てる、背筋を伸ばすとは そういうこと。
・そのうえで、声に出して覚える。
つまり、先生の身体のリズムで、
先生に言われた言葉を復唱する。
そうすることにより、先生の身体性を自分の中に写し取る。
・私の場合、ストップウォッチを使い、
「次の作業は20秒で」
などと 学生を追い込みながら学ばせる。
そういう形で身体を活性化させて学ぶことにより、
学びの成果がスポーツのようにはっきりと現れるようになる。
・いま教えたことを、その場でやらせてみて、
成果をその都度チェックする。
もし言えなかったりしたら、練習時間を何分か与えて、
また言わせてみる。
そんなふうに、知的な活動においても
スポーツと同じようなことを要求する。
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斎藤孝さんならではの、
「身体論」とミックスした「学び」論。
非常に、うなづけることが書いてありました。
身体で学んだことは忘れない。
自転車の乗り方とかが、そうですよね。
僕はこの音楽会の前になって久しぶりにドラムをたたきましたが、
こういう楽器の演奏能力も、ちょっとやるとカンが戻ってきて
前のパフォーマンスを発揮することができます。
受験勉強とかを一生懸命しても後になって覚えていない、
というのは、頭だけ使って体を使ってないんでしょうね。
そうそう、僕の場合、受験勉強で「関連する絵」とかよく描いていました。
これも、頭だけでなく体を使って学ぼうとするひとつのあらわれであったかも?
社会のノートに「中臣鎌足」の顔の絵とか描いていたのは
けっこう覚えています。(^^)
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