「サポーター」
民主、党員・サポーター12万人減 政権陥落の影響大正直言ってこれまでもこれからも国民に関係のある事象に関してなら(つまり政権にあるかどうか)ともかく民主党という団体に顧慮することはない。しかし珍しくも記事見出しをリンクしたのは「サポーター」といっても随分違うなというのを改めて感じ、また書いておこうと思ったからでしてな。よその党の事はよく知らないが一番判りやすい大きな違いはまずサポーター資格の日本国籍の有無、年齢制限でこれらに関してはどう確認をとるのかという問題があるが、もう一点明らかに差異があるのが年会費。J-NSC自民党ネットサポーターズには会費がなく例えば総会や公式OFF会の際に「できれば自民党員になってくれると嬉しいです」程度の案内がある程度で、党員であるか否でネットサポーターズとして何らの区別は受けることがない事は割合と最初の頃からのJ-NSC会員でかつ自民党員ではない*私が証明できる。*実は与党になったら自民党員になりますと公言していたのだが、主に佐賀県武雄市の問題でペンディングにしている自民党が野党のいわばどん底の時に発足したネットサポーターズだから爆発的に会員が増加することもなくまた国会議員の認知も未だ乏しく地方議員に至っては殆どご存じない。言うまでもなく各級選挙の折には初めからご説明申し上げることになりがち。この理由は明らかで、J-NSC会員になるにはネット経由、個人が自分でWebから住所氏名などを打ち込みあくまでも個人として加入するからで、中にはある程度業務で加入した人もいるだろうけれど何せ会費が集まらない団体だから所謂議員後援会や政治団体と違って義務や義理もない。つまり職場や何かの組合や職域団体で一括登録のようなことはない。(自民党議員に対して入ってたほうが動向を掴めるからどうだということはあるかもしれないけれどそれは一般的な会員とはちと違う事情だよね)参加経緯理由も色々だろうけれどその活動も特に何も強制されないから自分の都合の合う時にできることをできる分だけやり、何かをするもしないも誰も監視していないし無論何もせずとも構わない。会員になると会員証が届きメルマガが配信されるが、まあそれだけと言っていい。選挙の折には公職選挙法の説明とか時々稀に選挙区支部へのお手伝いの口もかかるがその時も基本的には何をするか、しないか自体個人に委ねられている。ネットサポーターズの名簿?的なものは国会議員事務所には渡っていないはずでこの推測は間違いないと思うのは会員になってから選挙が統一地方選を各一回とすると10はあったと思うけれど電話は来ない。(来なくて幸いとは思っている会費がないから野放図なのかもしれないけれど、翻って考えればその分自由でいられるとは思ってもいる。但し仮に会費くださいとなっても3年いた実感で言えば払う。自民党が諸々考えれば持ち出しのこうした団体を立ち上げたのには当時野党であったという事情の他にやはりこれまでの支持団体は無論資金面での支え含めて大事ながらまた別の層は一体何を考えているんだと思い始めたのもあると思ってもいる。例えば地元ではしがらみがあって顔も出せない、仕事が忙しく各種会合にはいけない、家族に知られると色々あるなどの理由含めて関心はなくはないがとっかかりがないという人は案外多い。自分で言うのも何だが私自身も自民党に限らないが50過ぎまで政治家の事務所や選挙事務所に行ったことがなかった。政治に関心はそれなりあったけれど政治家に関心が乏しかったともいえる。無論当時の仕事の都合もあったわけで、郊外の小さな飲食店街とその近くにある地方議員その他の政党関係事務所に出入りするとその日のうちに誰かに聞かれるというとても札幌とは思えない場所柄もあったけれど、主な理由はそれだけではない。やはり一番大きい理由は伝手が全くない場合に自民党を案じていてもじゃあどうするという方法がなかった。個人の危機感を共有したいと思う方ではないけれど、その私にしても何かしたいがじゃあどうすりゃいいのだというのが一番大きなきっかけだった。だから会員とは書いてきたがやはり心情は「ネットサポーター」で、加入当時とは違い隠居だから身上は自由になったがこれで案外暇がないからやれることが限られている。何か他にやれたことがあったのではないかと選挙の最中も後も考えるが中々改善もできていない。しかしそれでもJ-NSCを辞めようと思ったことは一度もなく、一つにはまた次今度はちゃんとやれることがあるかもしれないというのもあるが、もう一つはやはり自分で決めて入ったことだからこの先も続けていきたい。もしもネットから離れる事があるのならその時が潮時かもしれないが、今の生活ではほぼ唯一の外界との接触機会でもあるからしばらくはその時は来ないと思っている。とここまで書いてきてああそうかとひとりごちたのは先に書いた自由さが続けてこられた理由なのだなとようやく判ったところでもある。