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オーストリアの洪水
日本ではあまり報道されなかったが、今年のオーストリアの5、6月には雨が多く、国中のあちことで洪水に見舞われた。 特にヨーロッパの家屋は地下室(ワイン蔵、洗濯場、物置)を備えていることが多いので、水が出ると被害は深刻なものとなる。 そもそも例年初春の雪解け水による洪水は、この地域にはつきものである。オーストリアの山沿いの谷あいの村などはしばしば洪水の被害にあう。また特に雪が多かった年は、暖かくなると一気に雪が溶けて洪水による被害がでる。そうした雪の量や、さらに地形による要因が強いが、その一方で、日本のようなコンクリート剥き出しの堤防を作らないヨーロッパの治水のありかたも一つの要因となっている。オーストリアのヴァッハウ渓谷などを歩くとわかるが、ドナウ河の水位と堤防の高さの差がほとんどなく、4-5メートルの増水で水が溢れそうなところをよく見かける。もちろん全ての流域にわたってそうなっているわけではないが、しかし河川の景観を保持するためにも、また日本の台風時のような集中豪雨なども稀であることなどからも、趣味の悪いコンクリート堤防を作らずに、自然な形での治水能力の確保が方針になっている。 しかし近年ヨーロッパでも、かつては見られなかったような天候不順が起こることが多くなってきた。頻発する洪水に対して、どのような対応を取るのか注目されるところだ。
最終更新日
2009年08月01日 19時36分31秒
小沢征爾からヴェルザー・メストへ ウィーン国立歌劇場指揮者を交代
ウィーン国立歌劇場監督は、G.マーラー以来さまざまな政治的な影響力のもとで話題となる地位であるが、1992年から2010年まで18年間この座に君臨するイアン・ホレンダーの卓越した指導力・経営能力は、あのカラヤンを凌ぐものであった。ホレンダーはユダヤ系のルーマニア人で、始めは技術者になるべく大学教育を受けていたが、学生運動に加担したため放校となり、ウィーンにやってきて声楽の勉強をはじめる。卒業後はKlagenfurtやSankt Poeltenの劇場で歌手やアドヴァイザーとして働いていたが、特に彼が評価されたのはオペラのエージェントとしての才能で、彼自身それに関連するイヴェント会社も経営していた。彼が転機を迎えるのは、Eberhard Waechterが1991年にウィーン国立歌劇場の監督になり、そのアドヴァイザーとして迎えられたときである。そして翌年の1992年にWaechterが急逝すると、その後を受け継いで劇場監督となる。就任当初は契約などについてマスコミから様々な攻撃を受け、関係が良くなかったが、彼の革新的な姿勢が次第に評価され、ウィーンの音楽界に隠然たる力を持つようになる。特に前任者のWaechterが、きわめて保守的でかつての演出を新たに再演する方向、ウィーンで以前採用されていたアンサンブル方式へ傾いていた方向を完全に否定し、前任者のカラヤンやDreseが示した短い契約期間でのレベルの高い客演を増やすような方向へと変えていった。あるいは他のオペラハウスとの交流(演出の売り買い)なども積極的に進めた。 一方Dominique Meyerは、名前から類推できるかもしれないが、アルザス出身で、外交官である父の仕事の関係でしばらくボンに暮らしたことがあり、そこでドイツ語を習得したと言われている。彼はパリで経済学を勉強し、卒業後産業省に勤めるが、 文化省大臣のJack Langに呼ばれ、アドヴァイザーになる。それから最初1986年にパリ・オペラ座で働くが、三年後そこの総監督になる。バルチーユ・オペラの開場にも関係し、1991年に再び文化アドヴァイザーとして文化省に呼び戻されている。しかし彼のオペラへの欲求は高く、ローザンヌ・オペラの監督となり、革新的な上演を推し進め、1999年には再びバリに戻ってシャンゼリゼ劇場の監督となっていた。シャンゼリゼ劇場は、ウィーンのテアター・アン・デア・ウィーンのような劇場と見なされているようである。 またフォルクス・オパーの劇場監督の交代の発表も先日あり、先日紹介した俳優ローベルト・マイヤーが就任することになった。これで2つの国立劇場はいずれもマイヤー氏が監督となることが決まった。 退任する小沢に対する言及が少ないのは、残念である。
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2007年06月08日 03時58分23秒
ORF(オーストリア放送協会)
日本と異なり、ヨーロッパではテレビとネットは比較的良好な関係を保っているように見える。特にネットの放送の可否は出演者などの著作権が問題になるが、著作権については、ヨーロッパでは、単に著作権者の権利を保護するだけでなく、将来の文化の発展のために著作物を供するという考え方が強い。それは日本のように、ブランド品のコピーと知りつつ買うような文化はなく、また他人の著作物のコピーで金もうけすることが難しく、また日本のような強力な著作権の利益保護団体が存在しないことから、著作権の利用に関して比較的寛容であるように見える。特に教育などには、比較的著作権の提供が容易である。 ところで、私の勤めているところでは、いままで衛星放送で、DW(ドイチェ・ヴェレ)を受信していた。しかしもはや衛星放送を利用する必要もないだろう。(最近はその受信装置も調子が悪く、放送がよく中断しているのだが・・・)またヨーロッパでは一部であるが、テレビ局のVIDEO ON DEMANDのサービスも進んできている。上記のORF(オーストリア放送協会)のニュースは、昔よく見ていたものであるが、かつてはそのまま加工せずネットで流していたが、最近は内容毎にデータを分けてくれているし、またDW(ドイチェ・ヴェレ)は、ドイツ語学習者用にゆっくり発音してくれるニュースとそのテキストを容易するなど、外国人にさまざまなサービスをしてくれている。 日本ではNHKは、民放に肥大化を言われるので、ネットについてはまだまだ取り組みが遅れている。衛星放送についても、ヨーロッパのものは驚くほど多くのチャンネルがあり、多くの言語で放送されており、その内容の充実は羨ましい限りである。
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2007年06月04日 19時44分19秒
ヨーロッパ人には、今回の松岡農相の自殺は、汚職した政治家が責任をとって自殺したと見えるらしい。 Stanndard紙のHPの読者の書き込みでは、「この伝統は終わらねばならない」と題して、 ”Diese Tradition muss beendet werden.” Der Verstorbene schrieb 8 Abschiedsbriefe an verschiedene Politikerkollegen, natürlich auch an Premier Abe. Unfassbar... Der Agrarminister hat damit alle Beweise und Aussagen, die veröffentlicht werden sollten, mit sich in den Grab gebracht und alle Verantwortungen den Verbriebenen hinterlassen. So in der Art bringen sich zahlreiche Firmenchefs und Väter in Japan um, wenn sie in Schwierigkeiten geraten. Was für eine Feigheit und "Unmännlichkeit"! Was für ein Jammer... 「松岡農相は公開されるべき証拠と発言を墓場に持って行った。日本では同様の自殺が多い。なんて卑怯なのだ、男らしくない」 石原が言っていたようにまさに腹切り=”Samurai”ということになるのかもしれない。しかしその内実はベールにつつまれているので、日本人にすらわからないのだから、ヨーロッパ人にはまったく理解不能だろう。しかし、オーストリアでも最近ユーロファイターの導入を巡る汚職事件があったら、ヨーロッパの政治家もなかなか責任は認めないし、確かにしぶとい。 ハンガリーは自殺率が高いことでかつて有名だが、例えばオーストリア人に聞いてみると、日本のように金に困って自殺なんてことはありえない!!と知り合いが強調していた。オーストリアも19世紀末までは自殺が多い国で有名だったんだが。。。 松岡関連記事 http://www.kurier.at/nachrichten/ausland/78964.php http://derstandard.at/?id=2896987
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2007年05月30日 22時05分13秒
フォルクスオパーで「白馬亭」を見た。 ![]() http://www.weissesroessl.at/de-videos-beauty.shtml オーストリアのザルツブルク(「塩の砦」の意)の東側に広がる高原地帯は、ザルカンマークートと呼ばれ、「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として有名になったが、そこでも描かれているように、周囲には美しい湖が多く、夏は多くの観光客が訪れる。ザルツブルクからは少し距離があるため、そこまで足を延ばす日本人はそれほど多くはないが、自動車で良好をする現地の人たちには非常に人気がある観光地である。19世紀までは、この地方は産出される岩塩で経済的に繁栄し、モーツアルトが最初仕えていたザルツブルク大司教の経済的な基盤を作っていた。そこの湖の一つがヴォルフガンク湖であり、その湖畔のヴォルフガンク・ザンクトにあるホテル「白馬亭」がこのオペレッタの舞台となる。このホテルは現存する人気ホテルとなっている。 "Im weissen Roessel"というのは、"「白馬亭」にて"といった程度の意味であるが、この”Roessl”というのは Ross(Pferde「馬」の雅語)の縮小形である。ドイツ語を勉強すると授業で、-chen -leinなどの縮小語尾を習うが、バイエルンやオーストリアでは、-el, -l,-erlなども縮小語尾として使うのである。ザルツブルガー・ノッケルSalzburger Nockerlというザルツブルグの山々に見立てた、焼きたてが命の有名なスフレがあるが、この言葉Nockerlは、Nocke「岩石でできた山頂」に-(e)rlを付けたものである。ただNockerlというのは、ここではもともとスープにいれるような小麦粉から作った小さな団子を意味し、現地ではSpaetzleとも言う。Spaetzleはウィーンではよく付け合わせででてきて、パスタやマカロニのような感覚で使われ、スーパーでもインスタントのものが売っている。 このオペレッタだが、設定は第一次世界大戦前で、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の統治下で、皇帝自身このオペレッタに特別ゲストで登場する。フランツ・ヨーゼフは1848年に三月革命時に前皇帝が退位したのを受けて即位し、以来第一次大戦中に86歳で逝去するまで70年の長きにわたり君臨した、ハプスブルク帝国の歴代の皇帝の中で国民がもっとも愛着を寄せる人物である。あのエリーザベトの夫であり、マイヤーリングで自殺した皇太子ルドルフ(最近ルドルフのドラマがORFで作られて人気になった)の父親である。 このオペレッタは、一部他の作曲家の曲を使っていて、ローベルト・シュトルツの作曲のものもある。 配役とあらすじを紹介すると、 配役 Dirigent Michael Tomaschek Josepha Ulrike Steinsky Ottilie Gabriela Bone Klara Susanne Fugger Leopold Josef Luftensteiner Giesecke Gerhard Ernst Siedler Dietmar Kerschbaum Sigismund Stephan Wapenhans Franz Josef II Peter Minich Adjutant Michael Weber Portier Josef Forstner Gustl Konstantin Hladik Koch Hermann Lehr 一物語一 第一次大戦前のザルツカンマーグート。 舞台:ヴォルフガンク湖畔のザンクト・ヴォルフガンクにある宿屋「白馬ホテル」 第1幕 観光シーズンの到来とともに、給仕頭レーオポルトLeopoldは、押し寄せる観光客の対応に大忙しである。(舞台は、右手に客室らしき棟があり、そこに左からぐるりと2階に階段がかかっている。その手前のところがレストランになっていて、そこに多くの客がテーブルについていて、ウェイターは注文・精算に忙しそうに走り回っている)レーオポルトは、このホテルの女主人ヨゼーファ・フォーゲルフーバーJosephaに恋心を抱いているが、彼女と話をするよりはホテルの観光客と話をするほうがうまく話ができるような男である。「あなたに愛してもらえるなら、どんなに素晴らしいだろう。」と愛の告白の歌を歌うレーオポルトだが、女主人の方は、常連客の弁護士ジードラーSiedlerに気持ちが惹かれている。 ジードラーは毎年夏休みの始めにこのホテルに投宿する常連であるが、仕事の都合で夏休みの始めの時期にしか来られないのであるが、ヨゼーファのほうは彼が自分に会いに来ていると勝手に思いこんでいる。(ジードラーはスポーツカーで登場したという設定で、女性に非常に人気があるように演出されている) そこへ蒸気船が到着し、その客の中にベルリンのメリヤス工場主ギーゼッケ一Gieseckeとその娘オッティーリェ一Ottilieがいる。ギーゼッケは競争相手のシュルツハイマーと目下裁判で係争中であるが、そのシュルツハイマー側の弁護を担当しているのがジードラーなのである。レーオポルトは、先にジードラーが予約しておいたバルコニー付の部屋を、独断でギーゼッケに渡してしまう。(ギーゼッケ一は太ったいかにも道化的なハンスブルストで、やや娘のオッティーリェ一とは釣り合わないが、そこがなかなかおもしろい。Gerhard Ernstという歌手であるがどこかで見たような気もする) 一方、ジードラーが到着するのを知ると、ヨゼーファは大いに喜ぶ。「ヴォルフガンク湖畔の白馬亭、ドアには幸せが待っている」と歌う。ヨゼーファはジードラーをすぐに予約の部屋に案内するが、すでにその部屋はジードラーに渡していたため、一揉めあり、結局ギーゼッケがその部屋を明け渡すことになる。 そんなゴタゴタの中で、ジードラーはギーゼッケの娘オッディーリェのことを魅力的に感じるようになる。「君の目を覗き込むと、世界はすべて空色さ……」という二重唱を歌う。ヨゼーファは、ジードラーに嫉妬するレーオポルトに腹を立てて解雇してしまう。レーオポルトは「見ちゃいられない」と嘆く。そこへ、ギーゼッケの競争相手ジュルツハイマーの息子ジーキスムンドが到着する。ジュルツハイマーは、自分の息子とオッティーリエがうまく結ばれれば、裁判も片付くとほのめかすが、しかし息子のジーキスムンドのほうは、旅行中に知り合ったヒンツェルマン教授の娘クレールヒュンに興味がある。舌のもつれるクレールヒュンと禿頭のジーキスムンド。「ハンサムであることは、ジーキスムンドのせいじゃない」の二重唱を歌う。 一方、ジードラーとオッティーリエはバルコニーからお互いに挨拶して、「恋の歌はワルツでなけりゃ、花の香りと日の光に満ちた--」と歌う。またジードラーも敵方の弁護士を利用できると考え、娘の交際を支援している。ヨゼーファの方は、「ザルツカンマークートでは、みんな楽しくなる」などを歌い、ジードラーへ熱烈な気持ちを伝えようとするが、それを見たレーオポルトは、もはや見ていられなくなるほどであった。 しかしフランツ・ヨーゼフが当地にくることになり、白馬ホテルが皇帝の宿舎に決まっると(フランツ・ヨーゼフは、夏は近くのバード・イシュルにある別荘で過ごすのが通例であった。)ヨゼーファはすっかり興奮し、レーオポルトの助力が必要となり、解雇したことを取り消す。皇帝陛下の船が到着、レーオポルトは歓迎の挨拶をするが、ヨゼーファとジードラーが並んでいるのを見て、すっかり混乱してしまう。 (続く・・・)
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2007年05月30日 20時37分01秒
ある日曜日の昼に、アカデミー劇場で名優ローベルト・マイヤーRobert Meyer(彼は2001年以来恒例の国立歌劇場のジルベスター「こうもり」公演の第3幕であのフロッシュ役を演じている)が、ネストロイの喜劇"Haeuptling Abendwind" (「酋長アーベントヴィント」)を1人漫談形式で演じる朗読会に行った。ローベルト・マイヤーは、日本ではほとんど知られていないと思うが、私はこれまで国立オペラ座の「こうもり」、ブルク劇場のネストロイの「広告配達ペップ」、またブルク劇場の「ハムレット」の義理の父親役、ベルンハルトの「習慣の力」などで見る機会があった。彼は特にこのネストロイの滑稽劇Posseを得意にしているが、オーストリアの多くの俳優のなかでも、一度演技を見たら(また声も独特の魅力がある)忘れられないほど個性派俳優である。その個性的な声の響きに演技がぴったりとはまっている。日本でたとえたらだれだろう?とにかくジルベスターやお正月に「こうもり」をオペラ座で見る機会のある人は、その3幕の彼の演技に注目して欲しい。 この"Haeuptling Abendwind"だが、ネストロイの作品の中でも異色の作品である。舞台は未開の島、酋長アーベントヴィントAbendwindは、敵対する部族の酋長ビーバーハーンスBiberhahnsと和解するために宴会を開く予定なのだが、連日猟がうまくいかず、ご馳走がだせそうもなく焦っている。そこに娘のアタラAtalaと仲良くなった青年アルトゥールArthurがやってくるが、実は彼はBiberhahnsの息子で、昔Biberhahnsがその息子をヨーロッパの理髪師の元に送り、そこで修行させたのである。そしてようやく今日、彼はめでたく故郷に戻ってきたのである。しかしBiberhahnsもその息子も、20年以上一度も会っていないので互いの顔を覚えていない。酋長AbendwindはArthurを見ると、さっそく宴会のための生け贄にすることを思いつき、Arthurを料理しそれをBiberhahnに出すために、コックたちにに捕らえて料理するように命じる。その一方でBiberhahnはAbendwindに自分の息子が今日帰ってくることを話す。事情を知ったAbendwindは、さっき料理した青年がBiberhahnの息子であったことを知り愕然とする。しかし最後に、Arthurはコックたちから逃げていて無事であることがわかり、結局ArthurとAtalaが結ばれることにより、AbendwindとBiberhahnの部族も和解するという話である。 マイヤーは主人公Abendwindをウィーン方言、相手役のBiberhahnをバイエルン方言、そしてAbendwindの娘を標準語で話し、性格の違いをうまく演じ分けていた。彼はもともとはドイツ出身で、ザルツブルクのモーツァルテウムの演劇学科出身だけあって、なかなか歌も良かった。こういう何でもこなせる俳優となると、もちろんオーストリアでも珍しく、貴重な存在である。だからときどき彼の演技が無性に「聞きたく」なる。そう、あと独演会で、演技することなく、その戯曲を「演じる」ことができるオーストリアの俳優の実力は、ほんとうに称賛に値する。やはり徹底的に舞台で鍛えられるこちらの俳優たちからは、日本の演劇のレベルとの差を感じざるを得ない。。 (左、ローベルト・マイヤー アカデミー劇場)
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2007年05月30日 00時44分33秒
いまちょっと仕事で、詩の翻訳をやっているが、これはかなり難しい。散文はちからわざでなんとかなるが、詩っているのはねえ、なんというか、外国語のニュアンスをさらに日本語の言葉のニュアンスと結びつけないといけいないので、ほんとセンスが問われる。おおよそ30編ぐらいだが、1ヶ月で訳せるかどうか・・。ちょうど今週ある事情で特別休暇(こう表現すると怒られそうだが・・)が入ったので、ちょっと集中してやらないといけない。でも来月は事務局をやっている研究会があるし、7月の研究発表会の準備もあわせて進めないと行けないし、結構スケジュールは詰まっている。 4月にだいぶ選挙(都知事選・区長選)にかかわって時間を取られたツケが回ってきた感じだが、なんとか乗り切らねば。。。。 ![]() うーん、と唸りながら一つ詩を訳してみる。 Der Dichter Nachts kann ich oft nicht schlafen, Das Leben tut weh, Da spiel ich dichtend mit den Worten, Den schlimmen und den braven, Den fetten und den verdorrten, Schwimme hinaus in ihre still spiegelnde See. Ferne Inseln mit Palmen erheben sich blau, Am Strande weht duftender Wind, Am Strande spielt mit farbigen Muscheln ein Kind, Badet im gruenen Kristall eine schneeweisse Frau. Wie uebers meer die wehenden Farbenschauer Ueber meine Seele die Verstraeume wehn, Triefen von Wollust, starren in Todestrauer, Tanzen, rennen, bleiben verloren setehn, Kleiden sich in der Worte viel zu bescheidenes Kind, Wechseln unendlich Klang, Gestalt und Gesicht, Scheinen uralt und sind doch so voll Vergaenglichkeit. Die meisten verstehen das nicht, Halten die Traeume fuer Wahnsinn und mich fuer verloren, Sehn mich an, Kaufleute, Redakteure und Professoren- Andre aber, Kinder und manche Frauen, Wissen alles und lieben mich wie ich sie, Weil auch sie das Chaos der Bilderwelt schauen, Weil auch ihnen die Goettin den schleier lieh. 詩人 しばしば夜に眠れず、 人生が苦しみとなる そんなとき詩を書きながら言葉遊びをする、 好ましくない言葉、行儀のよい言葉 肉太の言葉、枯れた言葉を使って、 静かに光を反射する海へと泳ぎだす。 椰子の生い茂る遠くの島々が、青く浮かび上がり、 海岸では芳香を放つ風がそよぎ、 海岸では子供が色とりどりの貝殻で遊び、 雪のように白い女性が、緑の水晶の中で沐浴する。 海を越えてそよぐ色彩のシャワーのように、 私の魂を越えて、詩の夢が吹き渡る、 それは愉悦をしたたらせ、死の悲しみをじっと見つめ 踊り、走り、絶望したままで立っている、 多くの言葉をまとって控えめな子供になり、 響きや姿や表情を永遠に変え、 とても古い(太古)もののように見えるが、しかし無常に満たされている。 大抵の人たちはそのことを理解しない、 夢を狂気とみなし、私を絶望した人間であるとし、 私をみつめるのが、ビジネスマンや編集者、教授たちである。 しかし他の人たち、子供や多くの女性たちは すべてを知っており、私が彼らを愛するように、彼らは私を愛する 彼らも混沌とした絵のような世界を見るのであり、 また神々も彼らにそのベールを与えるのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これは大雑把に訳したもので、こからイメージをつかみながら、さらに 細部の表現にこだわりながら言葉をいじっていく。 さてどうなることやら。。。。
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2007年05月19日 22時28分24秒
<個人について> プロイセン オーストリア 現実的な思考 伝統的な思考、数世紀に渡っての安定 歴史的な思考の欠如 歴史的な本能の所有 抽象的思考 規定に従って行動する 巧みさに従って行動する 弁証法に優れる 弁証法の拒否 弁舌に非常に優れる バランス感覚 自己感覚 自己皮肉 男性的 未成年 機能的なものへの変化 社会に適応するものへの変化 主張と自己弁明 不明瞭なままでいる 尊大、うぬぼれ、教師的 羞恥心、虚栄、機知的 危機への突進 危機の回避 正義のための闘争 なげやり 他者を思いやる能力の欠如 自己を失うまで他者を思いやる能力 不自然な性格 役者的 権威の一部を担う 全人間性を担う 努力家 享楽家 誇張癖 解体させるまでの皮肉 これはあくまでも図式ですからかなり単純化されており、またホフマンスタールはオーストリア人であるので、オーストリアをひいき目に見ていることを割り引いて見る必要がある。ここではオーストリア人の自己認識の在り方と、オーストリア・ハンガリー二重帝国という多義的な国家体制のなかで、プロイセンとの二項対立において自己のアイデンティティを規定するオーストリアの在り方が示されているようにも見える。オーストリアのアイデンティティというのは、なかなか面白い問題である。
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2007年05月19日 09時32分27秒
日本人から見ると、歴史的経緯は異なるが、同じドイツ語を話しているので、ドイツとオーストリアは同じような国に見えてしまうが、しかしその両国にはかなりの違いの民族性があるようだ。こういう民族性の比較は、えてして血液型の分類(血液型を見つけたのはオーストリア人である!)や星座の性格占いのようなものに陥る危険性があるが、しかし文化や社会を見るときに一応その違いを前提として頭に入れておいたほうがよい場合もある。 世紀転換期に活躍したオーストリア人作家ホフマンスタールはR.シュトラウスの「バラの騎士」のリブレットを書いた作家として日本では知られているが、その彼がオーストリア対プロイセンという興味深い比較を行っている。オーストリアはかつてのハプスブルグ家が支配した国家で、もともとのオーストリアを構成したのが民族的に言えばバイエルン族であったこと(バイエルン族の東進)や、また同じカトリックであることもあり、オーストリア人は一般的にではあるがバイエルン(南ドイツ)に親近感を抱いている。民族衣装も似ており、風習も近いようだ。ビスコンティの「神々のたそがれ」の中で、ルートヴィヒ二世がプロイセン・オーストリア戦争でプロイセン側に参戦したことを深く苦悩する場面が描き出されるが、それはストーリー的にはバイエルン出身のエリーザベトを思ってのことにも見えるが、やはり歴史的背景が関係している。 かつては神聖ローマ帝国としてドイツもオーストリアも同一の国であり、ハプスブルク家の国王が神聖ローマ帝国の皇帝になる戴冠式は、わざわざカール大帝にちなんでフランクフルト(ハウプトヴァッヘのカイザードーム)で挙行されるのが慣例であった。(ゲーテは小さい頃この戴冠式を見て神聖ローマ帝国の歴史を感じたようだ)しかし、近代ドイツの統一の過程で、オーストリアを中心としてドイツ統一を目指す大ドイツ主義とプロイセンを中心としてドイツ統一を目指す小ドイツ主義が激しく対立し、結局オーストリアは1866年のプロイセン・オーストリア戦争と1867年のオーストリア・ハンガリー二重帝国の成立によって、ドイツから排除される結果となった。その中で、オーストリア人はプロイセンに対してその差異を非常に意識するようになったのであろう。日本ではドイツのイメージは、プロイセンのイメージが強いが、ここでホフマンスタールが挙げているプロイセンの特徴は、日本人にはドイツのイメージと重なっているかもしれません。 <全体に関して> プロイセン オーストリア 構成された、人工的な構造 自然に成長した、歴史を持つ構造 本質的には貧しい国土 本質的には豊かな国土 全ては人間の力による 全ては外部から;つまり自然と神 (プロテスタント) (カトリック) 統合力としての国家思想 統合力としての郷土愛 徳・有用性 敬虔・人間性
<社会的構造に関して> プロイセン オーストリア ゆるやかな社会組織 緊密な社会組織 文化を重視しない 文化を尊重する 精密な組織を持つ 全体組織は厳密ではない 官僚組織は統一されている 官僚組織は多様である 同一の精神を担っている 多様な思考形態や感情 支配者の世界観を共有 規律を重んじる国民 自立的できわめて個人主義的な国民 学問における社会民主主義の欠如 国王への最大の権威 国王へ最大の信頼
最終更新日
2007年05月19日 09時37分04秒
ワインを飲むのは、「ワインの記憶を飲む」といった人がいたが、確かにそういう気がする。ワインの記憶とは、その国の歴史であり、その風土であり、その気候、文化なのだろう。オーストリアワインは、フランスワインのようなコクはないし、イタリアワインのような華やかさはないが、しかしその高貴な香りとバランスの良さは、個人的にはとても気に入っている。 でもほんとうにオーストリアワインを楽しむのであれば、ホイリゲに足を運ばなければならない。一度ホイリゲの雰囲気を味わった人は、そのために何度でもウィーンに行きたいと思うほどである。ホイリゲもいろいろな種類があり、観光客向けは、市内から近く交通の便が良いグリンツィンクに多いが、でも本当のホイリゲの雰囲気を味わいたいなら、地元の人間しかこないようなホイリゲを選ぶべきである。ホイリゲとは、地元の人が気軽にいくような場所だけれども、でもやはりそこに行くとなにかがしっくりいくような特別な場所でもある。犬の散歩の途中で気軽に寄る場所であり、子供づれで週末おしゃべりにくるような場所であり、行く場所のない年寄りがワイングラスを片手にゆっくりと時間を過ごすような場所である。ウィーンのカフェも市民にとって特別な場所であるが、ホイリゲもやはりなくてはならないときびり素敵な場所である。こういう空間を持っている人たちをほんとうに羨ましくおもうことがある。 観光客が集まるグリンツィングやノイシュテシフトアンヴァルトもいいですが、個人的にはウィーンの南のBaden方面にあるGumpoldskirchenやSoossあたりの落ち着いた雰囲気が個人的に好きである。特にSoossでは一番といわれるFischerはお気に入りである。ここのMerlot PREMIUM 2004は結構いける。 http://www.weingut-fischer.at/ ところで、私はブルゲンラントの赤ワインが好きなのだが、いつもLandstrasseの近くにあるワインショップBurgenland-vinothekで購入していた。ブルゲンラントのアンテナショップのようなところでブルゲンラントのワインしかおいてないのだが、種類も多くかなり安い。 http://www.burgenland-vinothek.at/scripts/active.asp?vorlage=32&id=720 日本でおいしいオーストリアワインを手に入れるのはまだまだ難しいので、仕方ないのだが個人輸入する場合には、次の通販を利用している。 http://www.pfanner-weine.com/ 毎年夏にオペラの上演を行っているMargaretenの近くのワインRosi Schusterを扱っている店をいまだに日本でまだ見つからないのはちょっと残念である。日本に輸出するほど量を生産していないからかもしれないが。 ネットの販売店を見ても、オーストリアワインが年々多く取り扱われるようになっているところを見ると、人気がでてきているんだろうが、あまり有名になりすぎるとやはり生産に無理が出て味が落ちるのが心配だから、人気がでるのも複雑な気持ちではある。
最終更新日
2007年05月18日 22時13分14秒
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