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☆★終わりなき旅★☆~世界の旅行記~★☆   ☆☆~Endless Journey~☆☆     

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世界約30ヶ国の旅行記。1000枚以上の写真、動画も掲載。☆主な訪問国☆中国、香港、インド、ネパール、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、米、豪、伊、仏、蘭、独、スイス、エジプト、イラン、シリ...

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『世界一周の旅に出ます!』を理由に会社を退職。しかし、思わぬ展開で『世界一周もどき』の旅に出ることに・・・!! [全302件]

  4日後に、タイとベトナムへ!一部仕事絡みで!?
[ Thailand ]  

香港・中国、そしてタイからヨーロッパ、中東へと旅をした2007年。


10月に帰国してからは、日本で働いていた。


3ヶ所ともどれも短期の仕事で、直近の仕事では体を壊したが、通常のほぼ2倍の月給を2度稼いでいた。



その職場は、いわゆるIT系でちょっと特殊な職場環境だった。
ちなみにIT系の会社での仕事は初めてだった。



大きなプロジェクトを進めるべく大手企業の主導の下、色んなIT系の会社から人員をかき集め、大きなフロアに折りたたみ机を隙間なく並べ、前後左右は色んな人々に覆われ、見渡せばキモい男ばかり、もの凄い人口密度の中、週6日、長時間残業も当たり前のように行われていた。


ガッツり稼ぎたかったので、最初のうちは長時間勤務はむしろ歓迎だった。


しかし、仕事がない時間はひたすら待ち続けなければならなかったり、過剰な人口密度、ちょっと特殊な人々の集まり、トイレは男約900人に対して小が6個、大が5個しかない環境、終日PCとにらめっこ、往復3時間もの通勤、などなど様々なストレスと日々戦っていた。


海外長期旅行から帰ってきた身としては、かなり無理があったのかもしれない。




精神的にもキツい日々が続いた。


その大きなフロアに詰め込まれた人々の中には病んでいる人が何人もいた。




と、まあ今となっては苦い思い出でもあるが、とにかく、銀行の預金残高の数字を増やすというだけの目的は果たせた。




4月に入ってからは、国内旅行に出かけていた。


青春18切符を使って、朝から10数回電車を乗り換えて京都まで行って、また同じルートで帰ってきた。



京都の満開の桜はとても綺麗だった。




この旅の中では、数年前まではあまり見かけなかったタイ人の姿が目立っていた。


京都では家族連れのタイ人グループを何度も見かけた。


箱根に行った時は、個人旅行者の他にタイ人のツアー客も目立ち、複数の売店では、お店のおばさんが簡単なタイ語を駆使して彼らに売り込んでいる光景には驚いた。



そして、東京のゲストハウスに行った時に、オーナーとお話をさせて頂く機会があり、その時に聞いた、今年は今のところタイ人の宿泊客が一番多い、という情報にも驚いた。

欧米人宿泊客が中心の大きなゲストハウスの中で、タイ人のシェアーが一番だとは凄い。




そんな経緯もちょっと関係してか否か、5月中旬からという仕事も決まりつつ、つい先ほど4月23日にベトナム経由でタイに行く(正確には、バンコクで買った航空券の残りを使ってタイに帰る!?)ことが決まった。


10月に使ったベトナム航空の航空券。


成田行きの時は、ホーチミンで9時間待ち、そして、バンコクに戻る時はホーチミンで1泊しなければならない。


新しい仕事の関係で、その職場の為にベトナムでの所用がありそうなので、都合が良いことになりそうだ。


もちろん、メインとなるタイでも今後の仕事や職場の為の所用がいくつかある。


タイ人の友達の結婚式もある。



そして、やはり第2の故郷でもあるタイでの休日を楽しむことが、あと5日ばかりではあるが待ち遠しい!!



大らかな雰囲気
大らかな人々
暖かい(暑い?)気候
短パンとTシャツ、サンダルで過ごせる身軽さ
王様を敬愛する黄色いシャツ
半年も我慢していた美味しいタイ料理の数々
何ヶ月も住んでいた、まるで自分の別荘のようなゲストハウス
バンコクの大渋滞
カオサン通りの喧騒
ホーチミンのバイクの大洪水
世界中からの旅行者



などなど



今からとても楽しみだ!






続報をお楽しみに!!



Last updated April 19, 2008 0:29:13 PM
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March 21, 2008

  アフガニスタン人に直してもらった靴、イラクからの友人たち
[ Iraq&Afghanistan ]  

イラン、シリア、ヨルダン。


何れもイラクと国境を接する国である。


私は、その3ヶ国を旅してきた。


アフガニスタンやパキスタンを含めて、この中近東地域、並びに全世界が平和だったら。



私は、『深夜特急』の沢木耕太郎のように、インドからパキスタン、アフガニスタン、イランと旅をしてみたかった。

そして、メソポタミア文明発祥の地、数々の遺跡があり、そして豪快で陽気な人々が暮らすイラクという国も普通に旅が出来たはずだ。


残念ながら、イラクやアフガニスタンでは現在も危険な状態が続いている。



今回の旅で、思いがけずアフガニスタン人にお世話になった。




私は、ドイツのドュッセルドルフからUAE経由でイランに入国し、テヘランからエスファハーンという美しい街へと旅をしていた。



そのエスファハーンのモスクへ行った帰り道だった。



周りとは違った雰囲気で、汚いボロボロの建物が並び、汚れた衣服を身に着けた明らかに貧しそうな人々が地べたに座っているスラムのようなエリアに遭遇した。

ちょっと足を踏み入れて散歩をしてみると、地べたに座り込んだ親子が縫い物をしていた。


彼らに近づいて、しばらく様子を眺めていた。


彼らは、汚い格好をしながらも、一生懸命に靴を修理していたのだった。



私は、ちょうど靴の修理屋を探していたので、彼らに直してもらうことにした。


IFN49
彼に靴を直してもらった


英語が通じなかったので、同じく靴を直してもらっていたイラン人に通訳してもらうと、私の靴を直してもらえることになり、そして、彼はアフガニスタン人だと分かった。


ちょっと顔つきがイラン人と違ったので、どこの国の人なのかと聞いてみたのだ。

彼は、アフガニスタンからの難民のようで、他にも彼に靴を直してもらっているアフガニスタン人がいた。

やはり、顔つきが少し柔らかくて中央アジアっぽい感じであった。


IFN48
彼の親父さん

HOME3
直してもらったプーマのスニーカー(2006年撮影)軽くて歩き易い!


彼は、何年か越しに、アメリカやインド、オーストラリア、東南アジアにヨーロッパと何ヶ国も私と一緒に旅をしてきたスニーカーの右足の親指付近に開いた大きな穴を釘を刺したりして縫ってくれた。


彼は、私が日本人だとわかると、嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。


そんな彼に縫ってもらった靴。

そんな彼に少々の売り上げを貢献出来たことを嬉しく思った。



長い間、たくさんの国を共に旅をした、彼に直してもらったこのプーマのスニーカー。


今度は、どこへ行こうか?







今回の旅ではまたイラク人との多くの出会いもあった。




これまたエスファハーンでのことだった。


観光客に人気のあるモスクを訪れると、イラクから遊びに来た体育の先生たちに出会った。

英語も通じたので、少し雑談をした。

そして一緒に写真を撮ろうということになって、陽気な彼らと1枚の写真に納まった。


IFN45
モスクで出会ったイラク人観光客


彼らからは、あまり悲壮感を感じなかった。


そして、少々失礼を承知の上で、『フセイン紙幣』を持っていませんか?
と聞いてみると、

「こんなの要らないから、あげるよ!」

という感じで、フセイン紙幣を渡してくれた。


その言動から、彼らの故サダム・フセインに対する気持ちを感じたものだった。



エスファハーンのエマーム広場にあるモスクでもイラク人ファミリーと出会った。


彼らはお金持ちのようで、私の3万円台のビデオカメラよりもかなり立派なSONYのビデオカメラを持っていた。

そのビデオカメラには、私のことを日本人だと紹介している映像が納められた。


4人家族で、とても楽しそうにイランを観光しているようだった。


IFN37
夜のエマーム広場にあるモスク



イランのヤズドの旧市街で道に迷った時は、たまたま自転車で通りかかったイラク人が陽気に道を教えてくれ、私が日本人だと分かると笑顔で握手を求めてきた。




イラク難民最大の受入国でもあるシリア。

その数は130万人ほどといわれている。




そのシリアのアレッポでも何人かのイラク人たちと出会った。


アレッポの中心部にある広場で写真撮影をしていたら、手招きをされて、芝生に座って一緒に話をすることになったイラク人3人組。

SY8
私とほぼ同世代のイラク人3人組


彼らもイラクからの難民で、ここアレッポで仕事をしているようだった。


3人とも、私が日本人だと分かると喜んでくれ、シリアは良い国だとか、アサド大統領は好きだとか教えてくれた。


地味だがとても穏やかで優しさを感じた3人組だった。



SY13
アレッポ城で一緒に語ったイラク人。彼はイラクについて嘆いていた





彼らと出会って、とても親日的であることを改めて感じることが出来た。


また、彼らの国々に一刻も早く平和な日々が再びやってきて欲しいと強く思った。



Last updated March 21, 2008 4:58:34 PM
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March 16, 2008

  ヨルダンの世界遺産、ペトラ遺跡大特集!
[ Jordan ]  

前回の、シリアからヨルダンのペトラ遺跡の町へ、はこちら⇒


8月10日


この日は、ヨルダンの世界遺産で旅人からも評判の良いペトラ遺跡に行ってきた。

朝8時過ぎに、1人で宿の無料ピックアップカーに乗りペトラに向かった。

Petra16
入場券売り場の横にはヨルダン国王の肖像画が


入場券売り場で21JD(約3500円)を払いゲートをくぐった。(JD=ヨルダンディナール)

ちなみにヨルダン人は1JD、と外国人の21分の1の料金だ。

Petra1
ゲートをくぐり歩いてペトラの遺跡群へ

Petra2
途中で警察が馬乗りの検問していた

Petra3
こちらはラクダ使い


ペトラの遺跡内はとても広大だ。

朝方は涼しかったが、陽が照りつけてくると真夏の日差しを受けるためにとても暑かった。


そんな中、観光客を乗せるために馬やラクダ、ロバを操っている子供からおじさんまでが活躍していた。
もちろん料金は交渉制だ。


私は1度も利用せずに、汗だくになりながらペトラ遺跡内を歩き回った。

Petra7
見るからに暑そうな中、ラクダが活躍

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第一の見所、映画『インディ・ジョーンズ』にも登場したエルハズネ

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その前で即席ガイドをする警察官

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高台からの眺め

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サングラスは必須!

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巨大な墓

Petra17
子供たちも大活躍

Petra8
柱廊通り

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柱廊通りから逆方向を眺める

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何だか苦しそうに見えるロバ



最後に、ペトラ遺跡の中で一番奥にあり、しかも険しくて長い上り坂を息を切らしながら、汗だくになりながら、ロバに乗った観光客に追い抜かれながら1時間ほど登り、エドディル(モナストリー)という遺跡に到着した。


歩くのが好きで、体力にも自信のある私でもさすがにキツかった。

途中ですれ違った日本人にも、大変だよ~とか言われながら、ひたすら登った。

Petra10
エドディル(モナストリー)


特に凄い遺跡ではないのだが、そこに到達したという達成感を味わうためのゴールのような所だった。


持ち込んだ飲み物も切れてしまい、疲れきった観光客で賑わっている土産物屋兼カフェで、1JDもするコーラを一気飲みしてのどの渇きを潤した。


しばし、休憩しながらペトラ遺跡を歩き尽くした満足感や達成感の余韻に浸っていた。




21JD分も満足したかどうかは分からないが、ダイナミックで見応えのある遺跡だったことは間違いない。



帰りはタクシーに乗ろうと思ったが、交渉しても全然話にならない金額だった。


近くにいた警察官も、どうしたのか?と近づいてきたが、私の役には立つわけもなく、宿までは数キロ離れていたが歩いて帰った。


かなり疲れていたが、この物価の高い町で不当な料金を払って気を悪くするよりは、疲れ果てた体に最後のムチを打って歩いた方が気持ちが良いと判断した。


今日一日で9時間ほど、ほぼ歩き通しだった。



Petra14

こうしてペトラの町の日が暮れていった。




8月11日


2泊したワディムーサの町を去り、ミニバスでアンマンへ戻った。

バスを降り、同じバスだったNGOの関係でヨルダンに滞在している女性とタクシーをシェアーして、クリフホテルに向かった。

※※以下、下記の旅行記に続きます。(当時のリアルタイム)
 ・夕日を浴びながら『死海』で浮いてきた⇒こちらへ



☆☆新しいブログを立ち上げました。新しい記事もアップしています⇒こちらから!☆☆


~次回、中東編まだまだ続く~



Last updated March 16, 2008 8:10:10 PM
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March 02, 2008

  シリアからヨルダンのペトラ遺跡の町へ
[ Jordan ]  


8月9日



朝8時にシリアのダマスカスを出発した我々の白タクは、12時過ぎにはヨルダンの首都アンマン市内に無事到着した。


と思ったら、イカツイ強面の運転手と約束したバスターミナルではなく、市街地のどこかの路肩に車を止め、ここで降りてくれと言い出した。


我々は、

「バスターミナルへ行ってくれ!!」


と4人で散々抗議した。

とても広いアンマンの街の、どこだか知らないこんな所で降ろされても困るし約束違反だ。


その辺にいたヨルダン人を巻き込んだが、ある人は我々の味方を、ある人は彼の味方をし収拾がつかなくなった。


彼としては、白タクである以上バスターミナルなど正規のタクシーがいる場所には入れない。

そこで強引にでもここで降りさせるしかないのだ。


我々は、荷物も重いし、この坂の多くて広大なアンマン市内を歩くなんて論外だ。




そして、オーストラリア人だがイスラエルの血を引くジョディがついにキレた。


20才ちょっとの彼女が強面のガタイのいい男に立ち向かっていったのだ。


イスラエル人のバックパッカーはタイのバンコクやインドに行けばどこにでもいる。


兵役が終わった若いイスラエルの男女が東南アジアにバカンスをしに行き、バンコクやインド、東南アジア各地で周りを気にもせず大騒ぎをしていて、とても評判が悪い。


中国の安宿でもこんなこともあった。


そのイスラエルの血が騒いだのだ。



私は、逆に冷静としていて、この状況からして現状を打破するのは無理だと考えていた。
運転手とすれば、シリア人の白タクとしての立場がないし、ここで無理やり降ろすしかないのだ。


ボッタくられた訳ではないし、これ位は仕方ないと割り切るしかないと思った。



そして、強面の運転手もキレだし、ついには強引に車ごと立ち去ろうとしていた。


その時、ジョディの荷物だけが車に残っていて、かなり慌てて彼女が発車した車のもとへ駆け込み、危機一髪、荷物を取り戻した。



これらの状況をみていた、我々の味方をしてくれていた地元のおじさんが色々と助けてくれた。


これからイスラエルに向かうジョディは軽食をとった。

オーストラリア人のカップルはタクシーでバスターミナルへ向かった。


私とジョディは市バスでイスラエル方面へのバスが出るバスターミナルへ向かった。


おじさんが、バスを停めてくれ、我々が無所持に等しかったヨルダンディナールのコインまでくれて、バスの運転手に説明をしてくれた。


シリアから一緒だったジョディとはバスターミナルで別れた。


彼女はイスラエルへ。


私はペトラ遺跡のあるワディムーサという町を目指した。


アンマンにはいくつかのバスターミナルがあって、ワディムーサなど南部方面へのバスは違うバスターミナルへ行かなければならなかった。


再び市バスに乗り移動した。



ヨルダンの通貨はヨルダンディナールで、


おおよそ、 1ディナール=1ユーロ ⇒1ディナール=約165円


と高い。

物価の安かったシリアに比べると、かなり割高に感じた。


そんな中、市バスでは荷物で1席分取った分、2席分の料金を取られた。


これがヨルダンという国だ。



ようやくワディムーサ行きのバスターミナルに着いた。


ここからはミニバスで移動となるのだが、ミニバスがなかなか来なかった。


値段を聞いて、運転手に乗る意思を伝えたにも関わらず、トイレから戻ってきたら私の席はなくなっていて、無常にも出発してしまった。



冷たいぞ!ヨルダン人!


また30分か1時間くらい地べたに座ってバスを待った。


やっと来たと思ったら、席の奪い合いだ。



何とか席を確保して、ようやくペトラ遺跡の町へ移動となった。


不覚にも、途中で休憩したドライブインでベルギーのブリュッセルでヨーロッパを一緒に旅した連れからもらった腕時計を失くしてしまった。。


私は、日本にいるときから腕時計をする習慣がなく、そのときもシャツの胸ポケットに入れていた。


ドライブインでそのシャツを脱いだときに、どうやら落としてしまったらしい。



このシャツは呪われていたのかもしれない。


日本では、このシャツの同じポケットに入れていた定期券が、同じような状況で失くなった。



ついには、後ほどこの旅の終わりを迎える前に、このシャツ自体を失くすこととなった。



夕方、ワディムーサの町に着いた。



バレンタインインという安宿にチェックインした。

ヨルダンディナールがほとんどないので、宿で両替をしようとしたら極端にレートが悪かった。

部屋を見せてくれた従業員も胡散臭かった。


最初はないと言っていたドミトリーに何とか泊まれたが、前評判通り部屋は良いのだがちょっと胡散臭い宿だった。


幸い、世界一周中の日本人旅行者と両替をしてもらうことが出来た。


彼は米ドルが欲しかったらしく、ちょうど良かったのだ。


そんな彼は、今は北京に留学し始めていて、今では私と北京オリンピックを一緒に見に行くことになっている。



朝からダマスカス⇒ワディムーサと9時間もかけて移動してきて、疲れていたし腹も減っていた。


小さな町の中心部に買出しに出かけた。



このワディムーサという町は、ペトラ遺跡の観光客で持っているようで、物価も高くボッタクリも頻繁らしい。


いくつも商店があるのだが、水1本買うのにも労力が必要だった。


同じ水でも、店によって値段が違うのだ。


ベースとなる適正価格も他の町より高くなっていて、さらに上乗せしてくるのだ。

何軒かチェックしてから買う必要があり、明らかにボッタクリ価格を提示してきた店もあった。


市場に行ってバナナを買ったのだが、そこでもかなりの値引き交渉をした。


それでも6本で1.5ディナールと割高だった。



シリアからツーリスティックなヨルダンの町に移動してきたわけだが、物価も上がり、人々の優しさも感じられなかった。雰囲気もガラりと変わってしまった。



足早にペトラ遺跡と死海だけ見て、次の国に抜けてしまう旅行者が多いのも納得だ。



でも、このバレンタインインは高台にあり、ワディムーサの町を一望出来て、夜景がとても綺麗だったことは特筆出来る。



Petra13
バレンタインインから見えるサンセット

Petra14
ヨルダンに来て良かったと初めて思ったこの眺め

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向こうにはインディージョンズの舞台となったペトラ遺跡が



~次回、ペトラ遺跡大特集!!~



Last updated March 02, 2008 4:24:28 PM
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February 23, 2008

  ダマスカスの旧市街を満喫。白タクでシリアからヨルダンへ!
[ Syria ]  

8月7日


3度目の列車を利用して、ハマから首都ダマスカスへ戻ってきた。

アルラビホテルに向かうと、ハマで出会った旅仲間と次々に再会することとなった。


私がアルラビホテルを勧めておいたので、特に約束はしていなかったのだが、お互いに再会することが出来たのだ。

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再会した旅仲間と晩ご飯


2度目のダマスカス。


今回は旧市街を散策した。

やっぱりダマスカスといえば旧市街。


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現在は使われていないヒジャーズ駅でアサド大統領と

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旧市街へと続くナセル通り。看板にはヨルダンの名前も

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ダマスカス最大のスーク。両サイドにギッシリと店が並んでいた

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スークで見かけたシャーイ(紅茶)売りのおじさん

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エンターテイナーな装飾品を身につけ観光客に人気である

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土産屋ではもちろんアサド大統領のポスターを購入!

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アサド大統領グッズがズラリと並んでいた

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やっぱりシリア人女性は綺麗でセクシーだ



アーケード付のこの大きなスークには大勢の買い物客や観光客で大賑わいだった。

雑貨やアクセサリーに衣料品、土産物など何でも揃い、色々な人を見ることも出来てとても見所の多いスークであった。


続いて、ウマイヤドモスクに入った。

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大混雑していたモスクの入口

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かなり立派で大きなモスク

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モスク内にて

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モスクの中もかなり立派な造りであった

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ビデオ撮影をする若くて綺麗な女性


モスクで見かけた人々の服装から、色々なイスラム諸国からの観光客が多いように思えた。


モスクにいる時が、イスラム教の国にいるということを最も実感が出来て、同じイスラム教徒でも国籍や服装、顔つきまで異なりとても興味深く人々を観察することが出来て非常に有意義な空間であった。

日本人が神社やお寺の中にいると落ち着いた気持ちになるのと同じように、モスクの中ではリラックスも出来て、とても落ち着ける場所だった。





シリアには10日間滞在した。


旅人の前評判通り、シリアの人々は親切で雰囲気の良い国であった。


わずか半日余りの時間でシリアを南北に通過出来てしまうほどの小さな国シリア。


そのためか、2、3日で南北の隣国であるヨルダンやトルコへ抜けてしまう長期旅行者も多いようである。


しかし、とても小さい国ではあるが、見所も多くて物価も安く人々も優しい。

食事に困ることもない。



私にとって長旅に疲れた心身を癒してくれた、そんな優しい国、シリアであった。


もちろん、ハマやダマスカスで一緒に過ごした欧米人の旅仲間との出会いも、より一層にシリアでの滞在を楽しくさせてくれた。






8月9日


朝早く、2度ほど世話になったアルラビホテルをチェックアウトして、ハマで出会いダマスカスで再会したイスラエル系オーストラリア国籍のジョディと一緒にヨルダン行きのバスがあるバスターミナルへと向かった。



そして、バスではなく乗り合いタクシーでヨルダンへ向かうためにタクシードライバーを探した。


すると、すぐにドライバーが見つかった。

あとは、相乗りする客を待つこととなった。


それほど待たずにオーストラリア人のカップルが見つかり、私ジョディと計4人でシリアのダマスカスからヨルダンの首都アンマンまで1台のタクシーで向かうこととなった。


値段は、相場通り

1人500SP(約$10)。



おじさんが運転する黄色のタクシーは、ダマスカスの中心部付近の路上で突然止まった。

そして、タクシーを降り、すぐそこに止まっていた白のスポーツカーのような車に乗り換えるように言われた。


どうやら、この白い車でヨルダンまで向かうようだ。

黄色いタクシーのおじさんは、我々を降ろし、ガタイのいい強面の男に一言二言告げるとどこかへ行ってしまった。



そして、顔に傷跡が残る強面の男の車に乗り、ヨルダンまで向かうことになった。


白い車の白タクである。


さっきのおじさんは彼の白タクの客引きだったようだ。


少々不安をかかえながら、ダマスカスを後にして我々3人はヨルダンを目指すこととなった。


まあ1人ではないし、タクシー料金もまだ払っていない。




何とかなるだろうと思い、殺風景な荒野が広がる景色を車窓から眺めていた。




SY56
さらばダマスカス!




無口で強面の男の白タクは快調に飛ばし、シリアとヨルダンの国境に到着した。



彼は手続きにも慣れているようで、車のチェックが終わると、我々をシリアの出国手続きとヨルダンの入国手続きへと導いてくれた。

SY58
ヨルダンの入国審査エリアにて。3人の仲間とガラの悪い車体の白タク


日本人の私は無料でヨルダンのビザスタンプがもらえた。



無事に4人とも入国審査を通過し、再び白タクで首都アンマンへと向かった。




果たして無事にアンマンへ着いたのか!?




~次回、ヨルダン編へと続く~



Last updated February 23, 2008 8:16:29 PM
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February 03, 2008

  見所満載!シリアの世界遺産と水車
[ Syria ]  

前回のシリア旅行記はこちら。



8月2日


アレッポ城で知り合ったイラク人と別れ、列車に乗って夕方にはハマという町に着いた。


SY27
ハマでは珍しいアサド大統領の写真


この町では、至る所で見かけたアレッポと違いアサド大統領の肖像写真をほとんど見かけなかった。

そのことは過去に起こった問題が絡んでいるらしい。




ハマはシリア中部にある小さな都市で、町の中心部にある水車が有名だ。

SY24
観光客に人気の大きな水車

SY37
このように、かなり大きい


木製の水車がギシギシと渋くて重みのある音を出しながら、回っていてなかなか味のある光景だった。



夜になると、水車がライトアップされ、とても幻想的でロマンチックでもあった。


SY26
レストランから、綺麗にライトアップされた水車を眺める




8月3日


この日は、ハマの安宿で知り合ったオランダ人とオーストラリア人と3人で世界遺産でもある

『クラック・デ・シュバリエ』

に行った。


シリアでは、パルミラ遺跡の方がもっと有名で人気がある。


しかし、後ほどヨルダンのペトラ遺跡に行く予定で、旅行者の情報ではパルミラよりペトラ遺跡の方が良かったという意見が多かったので、パルミラには行かずに、ハマでのんびりしようかと思っていた。


この、『クラック・デ・シュバリエ』にはオランダ人のロックに誘われて行くことにしたのだ。


ロックは早稲田に留学をしたことがあって、日本語が上手いイケメンだ。

オーストラリア人のジョディはユダヤ教徒で、この後友達がいるイスラエルに向かうと言っていた。
つまり、家系や宗教はイスラエル人ということである。



ただ、オーストラリアに移住したので国籍上はオーストラリア人で、シリアには問題なく入国出来る。

険悪なイスラエルとシリアの関係を考えたら、かなり複雑な彼女である。


そして、彼女もロックほどではないが日本語が少々話せた。




なかなか面白いメンバーでの旅となった。




SY29
シリアのミニバス



ハマからはホムスという町までミニバスで、そこでミニバスを乗り換えて計1時間半ほどで『クラック・デ・シュバリエ』に着いた。



SY28
『クラック・デ・シュバリエ』の入口付近



イスラム教徒の休日でもある金曜日ということで、クラック・デ・シュバリエは観光客で賑わっていた。



彼らは欧米人、またシリア国内や周辺国から来たと思われる人が多かった。


そこで思ったこと。


シリア人女性は、かなり綺麗!


簡単に説明すると、アラブ人と白人をミックスさせた感じだ。


ダマスカスでも感じたのだが、ここに来た観光客である彼女たちはさらにファッショナブルでモデル並みに綺麗な人をたくさんみかけた。



遺跡の方も大きな城といった感じで、外観は綺麗で丘の上に建っていることもあり、遺跡の上からの眺めも最高だった。

SY30
天空の城ラピュタのモデルになったという『クラック・デ・シュバリエ』


SY31
ロックとジョディと一緒に





8月4日



次の日もロックの誘いで、違う遺跡に行くことになった。


アパミアというハマから小1時間で行けるかなりマイナーな遺跡で、ロンリープラネットには紹介されていた。


私は、それほど遺跡が好きなわけではないが、逆にロックのほうが遺跡好きで関心してしまうほど熱心だった。



SY34
ご覧の通りほぼ無人の遺跡

SY33
見応えのあったアパミア遺跡



マイナーな遺跡ではあるが、かなり良かった。


ほとんど観光客はおらず、自然に近い状態でとても素晴らしい雰囲気だった。





ハマには5泊もした。


なぜなら評判通りに小さな町ではあるが居心地がが良く、人々も優しい雰囲気で、歩いて一通りの用事が済ませられる、いわゆる『沈没地』に相応しい所だったからである。


SY23
5泊世話になったカイロホテルの格安シングルルーム


何よりも、この部屋が気に入ってしまったのだ。

元々はキッチンがあったようで、水がいつでも使えるのは便利だった。
トイレとシャワーもすぐ隣にあった。


最上階にあるので、すぐそこに屋上のフロアーがあり、そこには景色を眺めたりテーブルで食事をするスペースもあり洗濯物も干せて、ロックとジョディは屋上ドミトリーに泊まっていたのだ。


SY32
すぐ近くのジューススタンドの親子

SY40
ハマの町

SY36
ハマ随一のレストランにて。左の2人はイギリス人


宿ではイギリス人2人とも知り合いになり、彼らはこれからエジプトでアラビア語を勉強しに行くと言っていた。


よく喋る彼女はミャンマー人とのハーフで、彼はただの友達だと言っていた。


やっぱり中東を個人旅行する旅人は面白い人が多くてとても刺激的だ。


ここで知り合った彼らのおかげで、さらに素晴らしいハマでの滞在となった。




SY39
ハマで見かけたUAEの車




~まだまだシリア編続く~



Last updated February 03, 2008 6:09:25 PM
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January 27, 2008

  シリアのアレッポ城で絶景と共にイラク人と語る(動画付)
[ Syria ]  

8月1日


ダマスカスからの列車は快適だった。


最新版の『地球の歩き方 シリア・ヨルダン・レバノン編』にはシリアの列車について写真や時刻表付で詳しく説明されているが、当時は数年前の歩き方のコピーしかなく、列車で移動する旅行者は皆無に等しかった。

景色さえ面白くなかったが、これはシリアという土地柄仕方ない。
バスでも同じはずだ。


この時点で、シリアでの移動手段は出来る限り列車を使うことに決めた。



アレッポの街はダマスカスと同じように、黄色のタクシーや車、通行人でゴチャゴチャと賑わっていた。

宿を決め、食事に出かけた。


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アレッポのジューススタンド

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色鮮やかなフレッシュジュースが25SP(50円強)で飲める

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このポテト入りハンバーガーは50SP。美味かった!



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現アサド大統領の肖像写真


ここアレッポの街では、至る所にアサド大統領の写真が飾られていた。


彼の顔を初めて見たのは東京のシリア大使館だった。



シリアのお国柄に相応しく、大統領の渋い顔がかなり似合っていた。



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アレッポのスーク(市場)

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このスークもかなり賑やかだった

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アレッポのモスク

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床に座ってくつろぐ女性たち


シリアの女性は、カジュアルな格好をしている女性も多いのだが、やはりここのモスク内ではイスラム教徒らしいチャドルを着飾った女性が多かった。


顔や服装を見る限り、他のイスラム教国からやって来た人も多いように感じた。




とにかく、アレッポの街ではアサド大統領の肖像写真をたくさん見かけた。

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市バスの車体にも

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こちらは笑顔が爽やかなアサド氏

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こちらはシブい顔

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ちょっとイカつい顔のアサド大統領(観光案内所入口)



私はシリアに来て、すっかり彼のファンになってしまった。


あの渋い顔が気に入って、しかも、たまに爽やかな笑顔の写真が貼ってあったりして、なかなか面白かった。


そう、ここシリアにはあの渋顔がピッタリなのである。



アメリカに、イランと共に【悪の中枢】【テロ支援国家】と名指しで敵対視されていて、隣国イスラエルとも常に一発触発な関係のシリアだが、イスラム教国の社会主義国家として、アサド大統領の下しっかりと国が治まっているようだ。





8月2日


この日は、朝からアレッポ城に行った。


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アレッポ城入口。風格のある建物だ

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外に見えるのがモスク


アレッポ城の周りは堀になっている。

この階段を上がって入口から中に入ることが出来る。


中に入って、しばらく歩くとアレッポ城の屋上に出た。


ここからは、アレッポ市内やその遠くまでの絶景を360℃眺めることが出来る。


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政府系の建物か

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かなりの高さから展望が出来る

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遠く広範囲にわたって同じような色の建物が広がっていた


ここの屋上もとても広く、所々で修復工事が手作業で行われていた。




ここで、1人のイラク人と知り合った。


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アレッポ城を観光しに来たイラク人


彼は、私が日本人だと分かると、色々と話しかけてきた。


こちらもイラク人と話をするいい機会だと思い、色々と話を聞いてみた。



アレッポ城からの絶景とイラク人との会話の映像はこちら⇒(YouTubeへ)


彼は、イラクのモスルというイラク第2の都市の出身であった。

少々、彼の英語は分かりづらかったが、出稼ぎでシリアにやってきて、今はアレッポに住んでいると話していた。



彼は、彼の祖国イラクについて悲観していた。


何のための戦争なのか。

誰のための戦争なのか。

誰がハッピーなのか。



ひょっとしたら、希望のない未来なのかもしれないが、彼は気丈に語ってくれた。


この旅でイラク人と会ったのは、1度や2度ではないが、彼らはみんなが気丈で、そしてフレンドリーで、時に陽気なところを見せてくれた。


そして、私がヤバーニ(日本人)だと分かると、親しみを持って接してくれて、何度となく握手を交わしたものだった。



ここシリアには200万人のイラク難民がいるといわれている。


同じアラブの血を引く同士、お互いにうまく溶け込んでいるように思えた。



イラクというものを、ここシリアでより間近に感じた。



1日でも早く、イラクや周辺諸国に平和が訪れて欲しいと切に願う。




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~以下、シリア編続く~



Last updated January 27, 2008 6:29:27 PM
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