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手負い虎さんのお買い物
偏屈画家:手負い虎の体験記 [全3092件]
自分が主体になって生きられるなら、自分が自分の時間割で行動し、自分の食事を時間通りに食べ、体操をしたり、自転車散歩をしたりする生活にもう一度戻りたい。 文字通り無一文だから、かなりやせるだろう。でももう、餓死してもいいから松戸の家に戻りたい。近所の農家の野菜を食べ、100円ショップで生き抜くことは別にすごく目新しきことではない。あの家なら大工道具もあるし、外回りに植えた花を見まわったりして健康的に生きられる。お金があったら、この家族を鉛汚染地帯から引っ張り出して住む地域を買えるのが理想だった。でもそれは叶わない。 かなわないなら、私はここで食客になって何もしないで過ごすより、一人で誰の手も煩わせず生きていきたい。生きて死にたい。 借金があるから、年金は使えない。蓄えがないのに年金も使えないとなると、すごいことだろうと思って、ここにとどまる考えも持っていた。でも日干しになってもいいから、一人になりたい。一人で自分の行動を自分で決めたい。生きるも死ぬも、自分が主体でありたい。 ああ・・
生きているのはつらいだろう、と舅の生活を見ながら思う。 夜中に起きて、エンマ、エンマ、と15年前に他界した姑の名を呼び、うつろな目をして徘徊する。杖に頼り、あたりの壁につかまりながら、よたよたと歩く。 いつか、姿が見えないので、探したら、裏の土間にひっくり返っていた。誰かを探していたんだろうけれど、私が昼寝をしている間、家人が誰もいなくなっていた。腰痛病みの私の手に負えない重さなんだけど、何とか抱き起して杖を渡し、歩くのを手伝った。彼がいつも眠っているロッキングチェアまで連れて行ったら、彼、普通の表情に戻って、ありがとうとあいさつした。 なんだか知らないけれど、私のことは認識しているみたいだ。私を見ると、時々ふっと昔の表情が戻る。私の主人である、彼の息子は、5人の息子のうち、大のお気に入りだった。そのお気に入りの息子が青春時代、女難によって苦しんだ。舅が苦悩し何とか助けようとしていたときに、登場してきたのが太平洋の向こうの国のおなご、私だった。舅にとって、私は天の使いだったらしい。 その私が消えたのを、彼はよほど悲しんだらしい。おまえは嫁をどこにやったのだと、毎日毎日言っていたそうだ。 今その私がここにいる。舅は昔の表情に戻って、時々私に「まともな」挨拶をする。誰にも見せない、「まともな」表情を見せる。 でも、だれも見えなくなると、彼は夢うつつにさまよい始め、エンマ、エンマと大声で叫ぶ。エンマ母さんは楽園にいますよ、と私は舅に話しかける。舅は、じっと私を見、それから楽園の彼方に目がさまよう。 エンマ母さん、そろそろ迎えに来てあげたらいいのに。のどに痰を絡ませて、いつも苦しんでいる舅を見て、そう思う。
4月娘の腎臓がんの知らせを受けてから、3日後の飛行便を捕まえ、出発の前日に来たスーツケースに、とりあえず夏物の衣類と使用中の薬やサプリメントを入れたとき、実は、油絵の道具を一式入れたのだけど、あとでスーツケースの重量を測ったら、オーバーしていたため、油絵の道具は使い慣れた筆だけにしてみんなおいてきた。 エルサルバドルは、中米一の工業国だそうで、内戦の後ほとんどアメリカの支配下に入ってから、ドル経済になって物価も跳ね上がり、食べ物まで、アメリカ型ジャンクフードにとってかわった。エスニックと日本じゃあ言っているかもしれない衣類も姿を消し、もう、どうしようもない衣類ばかりで、アメリカ文明なんかに鼻っから興味のない私には、居心地が悪い。 油絵の道具はこっちで調達できると思っていたけれど、「中米一の工業国」という意味は、絵を描くなどという軟弱で頭の悪そうな趣味は評価されないということで、近所にある美術専門店でも、ほとんどほしいものがなかった。 ところで、絵を描くということは、ものすごく静寂の中で、身動きせずにできるものだから、それだけ、蚊の集中攻撃を受けやすい。そういうことは想定外だった私は、エルサルバドル→常夏の国→衣類は半そで→旅行で移動するときだけ、ジャンバーでもあればよし、てな考えできた。 ところがじっとしていることが多い私は、有名なデング熱を運んでくる蚊の大群に襲われ、毎日生きた心地がない。仕方なく、歩いていける場所にある衣類品屋を数件覗いたが、女性のものは裸に糸を巻きつけているようなものしかなくて、冗談じゃない。手ごろな長袖のシャツがないか探したが、長袖なんか男物のワイシャツしかない。 たぶん作るっきゃない。昔は洋裁ができた。この国で暮らした8年間、自分のものだけでなく、娘の衣類、帽子から靴まで自作だった。ところが、日本に帰国してから、娘のために使っていた古い足ミシンを、ある時主人が親切にコンピューターミシンに買い替えてくれたため、全くミシンが使えなくなり、以後、20年くらい洋裁をしていない。 昔型紙で原型を作り、そこから応用であらゆる衣類の型紙を作ることを、公立中学の家庭科で、高校の時は数学3の代わりに取った被服の授業で習ったから、本を見なくても自分のブラウスくらいできた。ところが20年も、裁縫をせずに、安売りのTシャツで生きてきた私は、もうすっかり裁縫を忘れた。 どうしよう、長袖がほしい。主人が自分の、これも日本で仕入れたトレーナーを貸してくれたが、熱い。 水道水に鉛を垂れ流す工業国の美的センスの何もない、蚊と細菌に満ちた国で、私はあの、繊細な文化をいとおしむ。
やっと、油絵のにおいを嗅いだ。4枚同時に下塗り。エルサルにいるんだから、エルサルの自然が題材と思っているけれど、ちょっと別のものにも目が行っている。 しかし蚊の大群と戦いながらの作業は、容易ではない。昼、あまりに眠かったので、例の蚊帳の中で寝たのだけど、どこからか蚊が一匹侵入して、かなり刺されて気がついた。こちらの蚊は、デングを運んできてくれるから怖い。昔ここに暮した8年間、あらゆる伝染病にかかったけれど、治ったら案外元気に暮らしていた。今は精神的にも、経済的にも、立ち直る見込みがないので、デングにやられたら、ひとたまりもないだろうなあ。 なんて、絵を描きながら考えた。
台所の食器棚のドアに、煽り止めをつけようと思った。ところが錐がない。一応置いてある大工道具の箱を覗いた。その道具箱は、絶対に道具の使い方を知っている人の持ちモノとは思えない状態なので、勝手に整理しだした。整理には分類の箱がほしいと思って、今度は箱を探し始めた。それで乱雑にいろいろな容器が入れてある台所の物置を開けてみた。扉を開けたら、度々っと出てくる仕組みなっている物置で、ものと同時に、ごきぶりだの、もっと小さな米つきバッタに似たやつだのが、ぞろぞろぞろぞろ列を作って出てきた。 ぎょぎょ! そこには、料理に使ういろいろな容器や、食材だって詰め込んである。むらむらと腹が立ったとたんに、私は椅子を持ち出して、その食器棚の最上段に届くところまで登った。なかに入っているすべてのものを放り出して、調べたら、そこは虫の巣窟だった。ゴキブリをペットとして飼っているのか?がみがみスペイン語で怒鳴った。台所の食器棚がこんな状態で、どうやって健康を保てるんだ! 全てのものを出してから、殺虫剤をかけ、しばらく扉を閉めて待った。それからまた椅子にのぼり、最上段の上に手をかけたら、そこは5ミリばかり、真っ黒な泥が敷き詰められていた。洗剤とたわしと、雑巾を使って、拭き取ったが、白くなるまで雑巾を3枚4,5回洗いながら使った。3段にわたってゴキブリが喜びそうな環境で、衛星感覚の全くない、家政婦が8年間ゴキブリを養っていたらしい。それにしても家政婦の雇い主は、何してんだ!たてたむかっ腹が治らなかった。 全ての泥をこそぎ取ってからもぅ一度殺虫剤をまき、ドアを閉めて、中から出したすべての容器を洗うように、家政婦に指示した。 不要なもの、半端なものは捨てるように、虫の食料になりそうなものは密閉した箱に入れるように、指示するだけでなく、自分でもどんどん片づけた。それで午前中ずっと働きづめ。 ふと、持病の腰痛が鈍く湧き出すように感じられた。この国に来て、1ヶ月半、日課だった運動をしなくなってから始めて、やった重労働で、自分の持病に気がついた。で、あとの半日、伸びていた。
ミクシフォトにある絵を売ります。価格は交渉に応じます。娘の治療費、療養費稼ぎたい。オーダーがあれば帰国して対応します。手負い虎gulliver344rme@gmail.com
エルサルバドルで日本の干しシイタケが手に入る。娘が菜食主義者になってから、料理のおはちが私に回ってきて、日本の味にこだわる私は、良くこのシイタケを使う。 ところで、シイタケは、日本の食材だと思うけれど、スペイン語では「オンゴ」といい、「菌」をあらわす言葉と同じだ。シイタケは「菌」には違いない。シメジもマツタケも「菌」である。でも有り難いことに、日本語では食材となった品物を生物学的分類名で呼ぶ習慣がない。 スペイン語の「オンゴ」は菌だから、菌としては同格の水虫のことも「オンゴ」という。「オンゴ」と言われてシイタケをたべるのと、「シイタケ」という呼び名で同じものをたべるのとでは、「うまさ」そのものにも格段の違いがある。水虫は同じ菌でも食欲をそそらないからね。 ちょうど、現在「トイレ」と呼ばれている場所を、その昔、厠と呼び、雪隠と呼び、便所(便は本来、糞の意味はなく、用事を足すという意味)と呼び、手水と呼び、ご不浄と呼び、お手洗いと呼び、決して「脱糞尿場」とは呼ばなかった、それと似て、日本語の床しさを深く思う。 この国では、ププサとよばれるすごく一般的なエルサルバドルの料理がある。グアテマラではまったく同じものを「ドブラード」と呼ぶ。グアテマラのレストランで、エルサル人が「ププサ」と言って注文すると、ウェイトレスの女の子が恥じらいながら、「あの~、ドブラードですね」と聞きなおす。不審に思って「ププサ」とはそもそも何ぞやと、聞いたことがあるんだけど、ぎょ! で、実は、今日娘は半日実験の日で、昼も弁当がいるから、おにぎりでも作ってくれというので、さしあたって、ある食材で、手巻きずしを作ってみた。干瓢も梅干しもないから、オンゴを大量に使った。 今誰もいないから、暇。足が痒い。靴下脱いでよくよく見たら、足の裏にシイタケが生えていた。 |一覧| |
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