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手負い虎の中米内戦体験記
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偏屈画家:手負い虎の体験記

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2009年01月03日 楽天プロフィール Add to Google XML

「マチュピチュ紀行」(8)
[ 紀行文 ]    

「マチュピチュ入山」

バスは山の中をひたすら走る。だんだんと、テレビや雑誌に出てくる、マチュピチュらしい景色が近づいてくる。あきらかに人手の加わった岩肌の見える山がそびえ、バスはもうもうと埃を上げて走る。目を凝らし外の景色に釘付けになる。どこの山にも段々畑。雄大だ。すごい。つまらない感想しか出ないほど、目に飛び込んでくる景色に言葉を失っている。

とうとう、マチュピチュ世界公園の入り口に到着した。下車。私はキトーの民芸品屋で買ったステッキを持ってきた。ステッキは買ってから一部壊れたので、クスコで強力接着剤と房のついた手編みの面白い紐を買って継ぎ目に巻きつけ、なんかおしゃれな杖になっている。壊れて修繕した時点で、この杖は世界に一本しかない私の杖になった。それが得意だった。

s-ツエ:キトー.jpg

登山の前に、一行に対して、広場で入山の心得と、簡単な歴史の説明があった。本当に大勢の登山客だ。世界各国から来たのだろう。

ガイドを見失わないように、別のグループの間を縫って、入り組んだ、歩幅の広い石段を登り始める。雑誌などで紹介されている、巨大な石の壁、隙間なく組んだ、その石組みを、感心しながら眺める。息をつき、杖に頼り、身につけた衣類をどんどん脱いでいく。ここはクスコより標高1400m低いそうだ。

景観を眺めていると、置いていかれそうだが、私は60過ぎの老人なんだ。かつて登山が趣味だったとはいえ、自分のペースで歩けないのは、案外つらい。時々立ち止まって、今登ってきた景色を眺める。目に入るもの、すべて珍しいのだけれど、感嘆の声さえ、やすやすと出ない。

それにしても今度のガイドは無口だな、と思った。何も説明しないのだ。ずんずん背中を見せて登っていく。

しかし、しばらくすると、そうではないことがわかった。彼は邪魔の入らない、説明にいい場所を探していたのだ。ほかの観光客の邪魔にならないところで、と、断りながら、彼は景色の説明を始めた。

s-DSCN1931.jpg

階段の石組み、建物の壁の石組みの技術についての説明だった。

誰かが、インディオを見てもひ弱で小さいのに、どうやって、こんな大きな石をこんな山まで運んだのか、と、ペルー人の誇りを刺激するような質問をした。確かに、今の山岳民族を見てみると、このような壮大な文化を築くことが出来た民族には見えない。

観光客は「今」しか見ない。インカ帝国を築いた人々が、スペインに征服されて、知識階級、文化を支えた階級の人々が、すべて殺されたことを、考えないで、「今」を見る。その「今」の人々は、外国の旅行者に民芸品を売りつけ、ちょっと撮影したくらいで手を出してお金をねだる、無学文盲の「未開の」人々だ。

ガイドはおもむろに、資料を出した。大男と小男の写真だった。それは同じペルーの原住民の写真で、その二人の背丈の違いが栄養によることだと、ガイドは説明していた。ペルー人はもともと、健康で背丈も高く体も大きかったのだと、そうでないと、こんなに歩幅の広い階段は意味のないことだったと、彼は説明をした。

一行のスペイン人たちは、アホみたいな質問ばかりする。今の原住民を見ると、文化の担い手には見えないのに・・・という類の質問だ。

それを聞く私は、傷ついた彼らの民族としての情熱を尊重する気になった。それで、アルマンドにそっと聞いてみた。

「民族の心をつなぐものは、言語だと思うが、民族の言語は、もう回復できないのか?」

彼は勢い込んで言った。「今は民族の言語を回復しつつある。学校でもそれを教えるプロジェクトを持っている。」

私は少し、安心した。彼の説明を聞きながら、私はほとんど、侵略者の側にいるような自分に、罪悪感を感じていたのだ。

誰かが質問した。こんな石をどこから運んだのだ?アルマンドは言う。石は山にあったのだ。石は別にいつも平地にあるわけではない。奴隷制度もない。この段々畑を作った石組みも、彼らは身近にある石を利用して作ったのだ。彼らの体格は子孫の我々より立派だった。出土した骨からもわかるように、食糧事情も、豊かだった。何よりも彼らは薬草の知識に精通していた。

s-DSCN1942.jpg

確かに、グアテマラのティカルにしても、メキシコのティオテイワカンにしても、中南米のピラミッドの階段はものすごく歩幅が広くて、登ると股が裂けそうだったのを思い出した。

欧米の研究者の主張によると、このものすごいアンデスの山々を舞台に展開した文明は、9代皇帝、パチャクティとその2代3代の子孫が、作り上げたものだそうだ。全国をつなぐインカ道と、山の頂上まで続く段々畑と、各所に置いた食物貯蔵庫によって、インカに富をもたらして、帝国を繁栄させたのだという。

しかしどうも私には、あの壮大な山を支配した石組みの建築を見て、正統な歴史学者が言うように、14,5世紀の頃から「突如として」3代の皇帝によって、作られた文明とは思えない。大方、欧米の白人たちは、自分たちの文明よりも優れた文明が、ギリシャローマの文明より前に存在したとは考えたくないのではないかと疑っている。

どんな文明だって、基礎も何もなく、神話だけが存在して、「突如」として出てくるという説は不自然だ。だからといって私には、何の学問的根拠もあるわけではない。中南米の歴史に関しては無知である。しかし、数世紀の間に何度も起きた地震災害にも耐えうるほどの石組みの建築技術を持ち、天文学と医学に優れ、灌漑用の水路を築き、アンデスの山々に縦横に道を通した技術が、どうして何の基礎もなく前触れもなく、「未開の」人種によって「突如として」出来上がるのだ?

ガイドの説明によると、インカがスペインに征服される前、賢明なインカ皇帝の政策によって、人々は平等に富の分配に預かっていた。各所に設けられた食物の貯蔵庫によって、餓える者もなく、さらに、古代の骨の研究によれば、発達に必要な、食料が十分摂取されていたという。作物も、この段々畑の下から上まで、温度差を利用した作物が植えられ、それが年中取れた。それを流通させたものは、例のインカ道であり、スペイン人がそのすべてを破壊した。

ガイドは、スペイン人に追われたインカ人が、最後に土器をすべて破壊して去ったので、その破壊された土器の山が灌漑用の水路をふさぎ、段々畑も廃れたという。

「文字」を持たず、「武器」を持たず、「キリスト教の教会」を持たないこと、それが「未開」だというなら、多分彼らは「未開」なのだろう。

ガイドについて歩いていったら、別のグループのガイドが立って説明しているところに来た。其処を横切ろうとしたときに、そっちのグループのガイドが話している言葉が耳に入った。「この石組みはインカの人が作ったものです。後ろにあるのは見なくてもいいです。こんなもの、後からスペイン人が造ったもので、地震のたびに壊れています。」

その顔を、私は思わず一瞥した。文明を破壊され、言語を奪われたインカ人の、誇りと屈辱感と、そして征服者の文化に対する複雑な思いが、その一言の中に感じられた。私の心がかすかに一瞬うずくのを感じた。

s-DSCN1948.jpg


最終更新日  2009年01月03日 15時32分40秒
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