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ぐれっちの小部屋

Sonny Rollins and L'Arc~en~Ciel

Sonny Rollins と L'Arc~en~Ciel


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チャーリー・パーカー(as) セロニアス・モンク(p)
マイルス・デイヴィス(tp) ジョン・コルトレーン(ts)
ロン・カーター(ba)
その中でも俺がもっとも尊敬するテナーサックス奏者
生ける伝説 巨人 ソニーロリンズ
歌心溢れるアドリブや聞く者をリラックスさせる演奏は
長年にわたり変わることがなく
それが今も多くのファンに支持されている


彼は自身の音楽を見つめ直す為に幾度と休止と引退を繰り返し
活動再開の度にその人気を塗り替える程の評価を獲得し続けている
未だ尚第一線で活躍する巨人

あら?ラルクも活動休止はお得意のwwwww
そうソニーとラルクの共通点は休止後も支持される事だ
ロリンズの音楽は明るく優しい食卓を照らす暖色ランプのようだ
セロニアス・モンクのような“イっちゃってる陽気”とは違うんだがw
彼は自身の音楽の在り方に葛藤し苦悩し続け 人気絶頂の中引退した
それから彼は悟りを開くため外で黙々と練習に明け暮れた
ウィリアムズバーグ陸橋の下で吹き続けたのは有名
カート・コバーンもロリンズに肖って陸橋の下で生活したのではないだろうか
1968年には悟りを開くためインドへ精神修行へ行っている それが3度目の休止だ


これほどにも繊細で感受性高く 自身の音楽に高いクオリティを求め悩む彼が
明るくほがらかなサックスを吹けるのだろう
それから数年後だが
1963年 初の日本公演を行う
モヒカン刈りの頭で日本のファンに強烈な印象を残した
 「僕は同じマイノリティ(アフリカ系アメリカ人)として
 インディアンが抱えていた社会問題とは無縁でいられなかったから衝動的に髪を剃った」
彼はマイノリティとして誇り高く生き様を表現すべく
ブルース精神をJAZZにも反映させていたのだ
辛いことがあっても楽しく生きたモン勝ち 笑う角には福来る

てっつあんやケンちゃんもこんなプレイヤーではなかろうか
 「ギターすら捨てようとした」
後に語っていたがケンちゃんもギタリストとしての自分に悩んだようだ
てっつあんもバンド(それに関わる事務所の人間さらにその家族)を守るため
卑屈なメディアや懐古ファンと向き合って精神を擦り減らしてきただろう
そんなてっつあんが書くメロディはキャッチーで明るく輝いている
そこへhydeの願いを込めた歌詞が乗れば 希望に満ちた楽曲が完成する
聴く者を感涙させ 挫けた者を立ち上がらせる暖かい音楽は
まるでロリンズの元気になる音楽と近い気がしてならない


海外ツアーを成功させたのが記憶に新しいラルク
ソニーもサックス奏者ならぬ多くの偉業を成し遂げている

1981年 
ローリングストーンズが最高のサックス奏者とコラボしようと動き
名が挙がったのがロリンズだった

1985年7月19日
ニューヨーク近代美術館で1時間近くに渡って無伴奏のサックス・ソロを演奏

1986年
ジャズとクラシック音楽の融合に挑戦し、テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を作曲
オーケストラ編曲はフィンランドの指揮者ヘイッキ・サルマントが担当

2001年9月11日
ロリンズは世界貿易センターからわずか6ブロック先の場所で
アメリカ同時多発テロ事件を目撃
9月15日のボストン公演はキャンセルせずに敢行 これが大きく話題になった
被害にあった人々へ追悼の意も込め ロリンズはメンバー紹介の後
音楽の素晴らしさや美しさについて改めて力説した

ロリンズは素晴らしいエンターテイナーでもあるのだ


 「妻のために活動を縮小するよ」
と活動徐行を宣言したロリンズ
2004年 秋
ずっとロリンズを支えてきたルシール夫人に先立たれ
翌年05年には日本では最後の公演を行ったのだが  …3年後
今年08年5月には見事日本で大きな公演を行い ロリンズ復活劇を見せてくれた
まるで今のラルクのように活動縮小…そして2011年ラニバに復活と
もう他人事ではない0031_sonnyrollins.jpg




スリリングなテクニックや奏法を発見するのを評価されがちな
JAZZ界で“まず音楽の在り方”について健気に貫いたロリンズに
後世のミュージシャンは感化され この価値観が今でも根付いている

今後のラルクもロリンズのように音楽を更に昇華してほしいと
ファンの勝手な欲で祈ってみる


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