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写真追加 ルーヴルの絵画に移る前にオリエントなど若干の作品を紹介です。 オリエントの歴史も復習ですペルセポリスも特別紹介・・。 ルーヴル美術館 5 (オリエント史)
フランス(France)パリ(paris) セーヌ川右岸1区ルーヴル美術館(Musée du Louvre) Part 5 オリエントの歴史と美術 オリエント(Orient) メソポタミア文明史 (シュメール~ペルシャ帝国) アッシリア(Assyria) バビロン第一王朝時代の遺跡 ハムラビ(ハンムラビ)法典 簡単にメソポタミアの文明史も紹介しておきます。
オリエント(Orient) 古代ローマから見てオリエント(Orient)は「太陽の昇る方の地」として位置づけされています。 地理的には、 ティグリス、ユーフラテス川を挟むメソポタミア地方(今のイラン)を中心に西はエジプト北はトルコのあるアナトリア高原、東は小アジアまでをも含む一帯が範囲。 言語的には アフロ・アジア語族の中のセム語派(アラビア半島を中心とする西アジアで話される)中心に、ハム語派(北アフリカを中心)も多少含み、その分布に分類されているようです。 因みに現在のセム語はアラビア語、アムハラ語、ヘブライ語、ティグリニャ語等が入るようです。 来歴不明 ライオンはレリーフ等にもよく使われている動物です。 メソポタミア文明史 (シュメール~ペルシャ帝国) 最初の都市国家としてメソポタミアに栄えたのがシュメール(Sumer)人の国家で、現在のイラク、クウェートあたりが発祥とされています。 (シュメールの楔形文字が使われ始めたのはBC3500年頃と推定) シュメールより南のメソポタミア南部(イラク南)の地域に誕生したアッカド(Akkad)人はBC2500年頃メソポタミアを統一。それが最古の帝国とされています。 BC2000年頃、シュメールの南半分とアッカド北半分を含む地帯に首都バビロンを都とする王朝が誕生。それが古代バビロニア(Babylonia)王国です。 この時にシュメールとアッカドは征服されています。 BC8世紀頃、メソポタミア北部で、バビロニアの北西に隣接したアッシリア(Assyria)が世界帝国を築くと一時バビロニアをも支配(BC1240年~)。 ※アッシリアの項で説明 BC612年メディア、バビロニア王の連合でアッシリアが滅亡するとBC625年支配されていたバビロニアが再び新バビロニア王国を再建。 このころメソポタミアは4王国時代(メディア、リディア、新バビロニア、サイス朝エジプト)に入ります。が、それも半世紀しないうちに4王国はペルシャ帝国に征服されています。 ペルシャ帝国(BC550~651年)の時代に突入。初代ペルシャ帝国の王朝がアケメネス朝ヘルシャ(BC550年~BC330年)です。 アケメネス朝、アルサケス朝、サーサーン朝に区分。 ルーヴルの遺跡はこのアッシリア時代からアケメネス朝ペルシャにかけてが多いようです。 来歴不明 シルバーの立体の馬の造形物。 細工がルネッサンス期の品か? と思えるほど良くできています。かなり完成された技術。場所的にはスサ出土の柱頭の近くなので、アケメネス朝のペルシャのものかもしれない。 アッシリア(Assyria) 初期アッシリアはBC1450年頃に自立。帝国となるのはBC933年頃からのようです。 古アッシリア、中アッシリア、新アッシリア時代に区分。BC612年滅亡。 かつてシュメール人の都市国家ウルの覇権下にもあった国は、戦っては負けて支配されても一貫した中央集権体勢を保ち、興亡の激しいオリエント世界の中ではめずらしく大成し、メソポタミアと古代エジプトを含む広範囲に長く帝国を築きあげた国家です。 シュメールの配下時代は楔形文字を習得し、古代バビロニアを配下に置いた時にはバビロニア文明を取り込んで成長した古代国家は、アッシュル神を主神にいだく多神教の国のようです。 新アッシリア時代(BC10世紀~BC609年)の遺跡 獅子の子を抱くギルガメッシュ ギルガメッシュ(Gilgamesh)(BC2600年頃) シュメール初期(古)王朝のウルク第1王朝の伝説的な王は、伝説的な英雄とされていて、このレリーフは、新アッシリア時代に、彼をモチーフにしてアッシリア風に描写した作品。 サルゴン2世(BC722年~BC705年)と大臣 BC8世紀頃 新アッシリア王国時代、その絶頂期の王であり、BC709年にバビロニア再征服して陥落すると自らバビロニア王であることを宣言してバビロン第10王朝の王ともなっている。 (バビロニア第10王朝はアッシリア王等による兼任時代でもある。) 来歴がわかりませんが、おそらく新アッシリア以降だと思います。人頭有翼牡牛像と言うより人頭有翼獅子像のようです。 スフィンクスの原形になる図柄のレリーフか? これはゾロアスター教の精霊?らしい。 バビロン第一王朝時代の遺跡 ハムラビ(ハンムラビ)法典 ハムラビ法典については、昨年4月に「ハムラビ法典と裁判」で紹介していますが、一応写真をのせて違う角度から紹介。これもルーヴル美術館の目玉ですから ハムラビ(ハンムラビ)法典 1901年、閃緑岩に刻まれたものがイランのスサで発見。 バビロン第一王朝第6代目の王ハムラビ(BC1810年~BC1750年)の治世末年に制定した法典を刻んだ石碑と考えられ、それはバビロニアの主要都市に置かれていたと言います。 スサで出土したこの石碑は、BC13世紀にバビロニアを攻略したエラム王がエラム国の首都スサに戦利品として持ち帰ったものとされています。 刻まれている楔形文字の部分 言語の表記としては最も古い文字なのだそうですが、成り立ちは絵文字からはじまって、徐々に簡略化されて完成されたようです。 イラン、テヘランの考古学博物館にあるハムラビ法典の石碑の写真から紹介しておきます。恐らくルーヴルのレプリカ・・だとは思いますが、ルーヴルの物は光って見にくいので・・。 太陽神シャマシュが法典を授ける図で、下部に282の条文が刻まれています。 もともとはシュメール人によってシュメール語記録の為にBC3500年頃発明された文字だったようですが、他民族であるアッカド、バビロニア、エラム、ヒッタイト、アッシリア等でも借用されて独自に発展して1世紀くらいまで使用されていたようです。 番外 出土する遺跡の発掘場所 今回のルーヴルの出土品にはありませんが、アケメネス朝ペルシャの王、ダリウス1世が建設したペルセポリスの宮殿遺跡を参考に紹介。 イランの遺跡はここほど残った所は少ないようですが、遺跡の現状がわかるかと思います。 ペルセポリスの宮殿にも見られるアッシリア時代の宮殿などの入り口を守る人頭有翼牡牛像が見られます。 アケメネス朝ペルシャの帝都として建設されたペルセポリス。アッシリアをお手本に建設されているのだそうです。 スサの出土品の玉座の間の柱頭に似ていますが、こちらは牛ではなくクチバシを持った幻の獣のようです。こちらもゾロアスター教の精霊なのか? 発掘ブームの中欧州で生まれたロマン主義の中で生まれた伝説の獣、グリフィンの原形かも・・。 アレクサンダー大王がペルセポリスを攻略して4ヶ月。出立前に宮殿に火を放ちペルセポリスは廃墟になった。 その詳細は以下に リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 1 砂漠のベドウィンと海のベドウィン 上の章では「フェニキアとアレクサンドロス王との攻防」と「ペルセポリス(Persepolis)のラマッス(lamassu)」に触れています。 リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 2 アレクサンドロス王とペルセポリス
上の章では全般ペルセポリスとアレクサンドロスです。 次回の載せきれなかった棺を紹介。 リンク ルーヴル美術館 6 (エトルリアの棺)
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