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2013.01.06
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カテゴリ:スポーツ

kawanobu日記/未踏峰・最高峰へ登れない者の遥かなる山への憧憬;ジャンル=登山 画像1

 

kawanobu日記/未踏峰・最高峰へ登れない者の遥かなる山への憧憬;ジャンル=登山 画像2

 

kawanobu日記/未踏峰・最高峰へ登れない者の遥かなる山への憧憬;ジャンル=登山 画像3

 

 年末・年始に、相変わらず冬山登山で遭難者が相次いでいる。後述する劔岳でも、東京の4人が遭難した模様、と報じられている。
 登山は素晴らしい趣味だし、一種のスポーツではあるけれども、我が身は自己責任で守ってもらいたいものだ。遭難すれば、地元の山岳会や警察などに多大な迷惑をかけるし、場合によっては二次災害も引き起こす。
 今冬は、例年以上に寒いので、山には入れば豪雪・厳寒である。毎年のことながら、山は好きだが、冬山には決して行くまい、と銘記する。

◎登った気になれる『グレートサミッツ』
 軽登山を趣味の1つとするリブパブリにとって、テレビ番組もNHK-BSプレミアムで放送される『世界の名峰・グレートサミッツ』は見逃せない番組の1つだ。生涯登れないであろう名峰・高峰を、NHKのディレクターなどが登頂し、その登頂までの苦難と素晴らしい景観を放送してくれる。自分が登った気になれるほど、臨場感に富む。
 新聞社にも登山記者がいるが、NHKはとりわけ充実しているようだ。中には高橋亜矢ディレクターのように、マッターホルンやアイガーを登った山ガールもいる。
 特に昨年12月15日夜に放送されたスイスアルプス最高峰のピッツ・ベルニナ(標高4049メートル)を登った番組は圧巻だった。

◎「ビアンコ・グラート」の魅惑
 ビッツ・ベルニナの山頂近くは、タワーのような岩が幾重にも聳え立ち、そこにたどり着くまでは時には垂直に近い氷雪の稜線「ビアンコ・グラート」(写真上=真っ白い稜線上の黒い点は、たぶん高橋ディレクターとガイド)を登っていく。
 世界中のアルピニストが憧れる「白き稜線」である(「ビアンコ」はイタリア語で「白い」、「グラート」は「稜線」、「尾根」の意味)。
 もちろん名ガイドにアシストされてのことだが、氷河や稜線からの白い山々の美しさには魅了される。
 ビッツ・ベルニナの登頂者は、特権として山頂の飯ごうの中にしまわれている分厚いノートに、感動の記と自分の名前を記せる。そのノートは、満杯になれば、登山口のある街ポントレジーナの博物館で永久保存されるのだ。

◎昨年は日本人で初の8000メートル峰14座征服の偉業
 さらに昨年は、日本人クライマーで初めて世界の8000メートル峰14座すべてを征服した竹内洋岳氏(41歳)がいた。昨年5月26日に最後の1座として残していたヒマラヤのダウラギリ峰(標高8167メートル=世界7位=写真中央)への登頂に成功し、14座制覇を成し遂げた。
 14座制覇は、1986年にイタリアの超人クライマーと言われるラインホルト・メスナーが世界で初めて達成して以来、竹内氏が制覇するまで、世界15カ国、27人しか成し遂げていなかった偉業だ。
 竹内氏の偉業も、NHKで見たが、それで明らかになるのは日頃の鍛錬と十分な準備・装備をしたうえで1カ月近くもかけてアタックするのが世界の高峰の登山だということだ。
 前述したように竹内氏は日本で飛び抜けたクライマーであっても、世界では並外れたクライマーというわけではない。それだけ欧米諸国の登山家の裾野は広く、厚い。
 現在、世界で未踏峰として残っているのは、わずか数座しかない(正確には分からない)。多くは宗教上の理由から登山を許されない山だ。

◎日本最後の未踏峰、劔岳は明治40年に征服
 日本には、もはや未踏峰はないが、最後まで未踏の山として残っていたのは、映画と小説(新田次郎)の『劒岳 点の記』(写真下)で名高い北アルプス・立山連峰にある劔岳(標高2999メートル)である。
 深田久弥の日本百名山の1つにもなっているだけに、難易度ナンバー1の山として知られるが、山慣れた登山者なら登頂も不可能ではない山になっている。難所のあちこちに鎖や梯子が設置され、また山小屋も整備されているからだ。
 この劔岳は、1907年(明治40年)7月、国土地理院の前身である陸軍参謀本部陸地測量部の測量隊によって初めて登頂されるまで、日本の未踏峰として残っていた。
 陸軍陸地測量部が測量官の柴崎芳太郎に登頂を命じたのは、この周辺が日本地図の最後の空白域として残っていたためで、柴崎らは劔岳山頂に三等三角点の設置を命じられたのだ。ただ柴崎らは、登頂の困難さから、重さ50キロはある三角点標石ややぐらを組む丸太を運び上げることができず、山頂には標石のない四等三角点を置いた(12年1月4日付日記:「日本にも氷河が存在していた! 地球温暖化の前に風前の灯火かも」も参照)。

◎その劔岳は、奈良時代後半から平安時代初期にすでに登られていた
 しかし映画で特に劇的なラストシーンとして描かれるのだが、明治末期に国家的使命としてようやくなされた劔岳登頂は、実は1000年以上も昔にすでに無名の修験道行者によって登頂がなされていたのだ。
 測量隊側夫の生田信らが苦難の末に初めて山頂にたどりついた時、彼らはそこで錆びた鉄剣と銅製の錫杖を発見する。さらに山頂近くの岩屋には木炭片の散らばった古い焚き火跡までも確認した。
 そのシーンは、苦難の末の登頂成功だっただけに、まことに劇的だった。
 鑑定では、遺物は奈良時代後半から平安時代初期にかけてのものだったという。
 満足な靴も装備も、携行する食料もなく、どうやって登れたのか驚異というしかないが、おそらく近代登山が行われる前、日本中の主な山々は修験者たちや冒険好きな男たちに登られていたのかもしれない。
 測量隊によって発見された遺物は、その後、重要文化財に国指定され、現在、富山県[立山博物館]で展示されているそうだ。
 劔岳登頂も無理そうだから、柴崎芳太郎・生田信らの苦闘の後をたどりに、いずれ立山博物館にでも行って見てこよう。

昨年の今日の日記:「アメリカ大統領選レース始まる、共和党の深いディレンマ」





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Last updated  2013.01.06 05:42:17



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