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先月5日に、ばーちゃん(ワタシの母)が逝きました。
享年61歳でした。 癌と分かってから、なんと3年10ヶ月(Wow!)も、根性で長生きしました。 「2年」と見積もっていたワタシの計算を見事に裏切り、 命のおつりをたっぷりもらって逝きました。 医師たちには「ばーちゃんは、がん患者の平均余後をグンと伸ばしましたよ」 と言ってもらえました。 ただ、最期だけはあっけなく ワタシや孫達を待たずに逝ってしまいました。 もう一日、頑張ってくれたら双子を触らせてやれたのですが 「あと2~3日でしょう」と言われた後、ほんの数時間で逝ってしまいました。 ワタシが、航空券の手配と荷造りを大慌てでしている最中に ばーちゃんは息がとまりました。 ばーちゃん、おそらく待ちくたびれたのでしょう。 もしや、「10月に会いに行くから」という約束を はたせなかったワタシへの仕返しだった? 病院で母についていた妹から 「人工呼吸器をつけるかどうか決めて、わたしゃ決められん」と電話があり 母の遺言通り「付けません」と断わったのは、このワタシです。 でもあの時付けていたら、たとえ口は聞けなくても 最期に、ぬくもりのある母に触ることが出来ていたかも。 死ぬ半年前、普通の食事も、歩くことも出来ない身体で 医師の反対を押し切って、診断書持参で 車椅子に乗ってアメリカへやって来たあの時が 生きたばーちゃんに会った最後になってしまいました。 うーん、あの時もっともっと「双子とばーちゃん」の動画を 沢山撮っておけばよかったかも。 ばーちゃんの声を最後に聞いたのは11月の終わり。 3ヶ月振りに聞いた声でした。 1週間の一時退院中、起き上がれる日に話しました。 双子が歌う「ちゅーりっぷ」を聞かせてやれました。 死ぬ前に、もう一目会うつもりでいたので、 聞いておくべき大事な話も聞きそびれてしまい、 言っておくべき大事な事も言いそびれてしまいましたが がん発覚後、家族でハワイ旅行も出来たし、 不妊治療が成功して孫を一度に二人も抱かせることが出来たし、 孫二人の記念すべき「初歩き」を成功させたのもばーちゃんだったし、 孫達に「ばーちゃん、ばーちゃん」と言われ甘えられる事も経験させられたし、 遺言通り、出棺時に♪愛、さんさんとぉ~♪と ♪私のお墓の前でぇ~泣かないで下さい~♪を流してやれたし、 確かに、してやれなかった事の方が格段多いのですが こうして、してやれた事だけを考えて、心穏やかに 「ばーちゃん、お疲れさん」と見送ってやれたと思います。 と、いうよりは、 何をしでかすか分からない、ウルトラ・ワイルドな双子が居たため 遺族の者はハラハラドキドキ、テンションがあがったままで、 誰一人として哀しみに浸る余裕がありませんでした。 遺体と最後のお別れの際に双子の「ちゅーりっぷ完全音外しバージョン」が 火葬場に響き渡った時には、お棺のばーちゃんも 一瞬、薄目を開けたような気が。。。 ばーちゃんの遺品を片付けていると ワタシ、妹、父宛に、それぞれ小さなノートにメモが残されており 印鑑証明の印はコレ、××銀行の口座番号はコレ、暗証番号はコレ、 国民年金支払いはコレ、生命保険はいつにいくら支払って終わり、 どこそこに置いてある花柄の袋にコレが入っている、などなど。。。 随分前から準備万端だった様子。 ワタシも自分が逝く時の参考にさせてもらいます、ばーちゃん。 あ、ばーちゃん、仏壇の脇に、ビニール袋に入った「折鶴」を発見したよ。 誰一人として「千羽鶴」など折ろうとしなかったドライな我が家。 占い、おまじない、迷信の類には、一切興味の無かったばーちゃんが いったい、どんな思いで自分に千羽鶴を折っていたのでしょう。 藁をもすがる思いで生きたかったつよねー。 最期は、痛みが去って落ち着いた後 付き添っていた妹が仮眠を取り始め、ナースも部屋を出た ほんの10分の隙に一人でひっそり息を引き取ったらしいばーちゃん。 何を考えていたのかなー、ばーちゃんらしいです。 いつかワタシが逝く時は、ワタシの娘と息子はワタシの傍にいるのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009/01/11 04:34:07 PM
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