今、人生の過渡期に生きているのだと実感している。
久々に恋をしているからか、
それとも、何か新しいことを始めようと準備している段階だからなのか。
もしかしたら、その全てが連関しているからかも知れないけれど。
自分の過去を振り返る。
忘れてしまいたいこと、なかったことにしたいこと、気付かないふりをしていること。
だからこその、幸せな事も、嬉しいことも、感謝も、そして、愛も、溢れているけれど、
でもやっぱり、そういう、言い切れば“幸せじゃない事”がいつも私を引き戻す。
Something always hold me back....
でもさ。
心理学者の先生が「悩み事があるとき、ずーっとずーっとずーっと思い悩んで悩んで悩んで悩み続けると、もう、どうでもイイや。って思う時がくる。」と言っていたけれど、まさにそれ。
もう、イイじゃん。歳なんだから。
もう、イイじゃん。ずっと、頑張ってきたんだから。
ある瞬間、突然、そう思えた。
きっと、世の中で同じように、もちろん、私なんか足元にも及ばない程、
辛くて苦しくて、それを越えて日々を生きてらっしゃる方も大勢いる。
皆さんに「もう歳なんだか、いいんじゃない?」なんて、もちろん、言う気はない。
でも、いつも、私なりに、色んな想いを抱えて生き抜く皆さんを、心からの羨望と称賛を込めて、応援をしているように、
そろそろ自分を尊敬してあげてもいいんじゃないかな?
そう、思えた。
いつも、思っていた。
こんな私を、愛してくれる人なんているんだろうか。
でも、今は思う。
きっと、「俺の女、すごいんだぜ。」と、まさに、「ワイルドだぜぇ」なスギちゃん宜しく、
ありのままの私を、笑っちゃって、尊敬してくれて、そして愛してくれる。
そんな人、絶対にいるはずだ。
だって、私だってもう、歳だもの。
そして、相手だって、もう、歳だものね。うふふ
歳を取るのも、悪くないもんだね。
最終更新日
2012年05月18日 17時11分27秒
あくまで、私は子どもがいないので、呑気に思っているっていうのはそうなんだけど。
原発、放射能漏れに対する、ヒステリックなまでの反応に、何か辟易とする。
特に、今まで、その原発のおかげで生活をしていた、東京電力管内の人たちの言動には驚かされる。
ガイガーカウンターで数値計って、都内から例えば九州へ引越せる人は良いけど、
東京の人たちのための原発のせいなのに、避難できない、福島の人たちはどうする?
何で、福島に、東京電力の原発があるのか。
誰のために、誰が、痛みを負ってきたのか。
そして今、より一層の苦労を誰が背負っているのか。
これを無視しては、前には進めない。
もちろん、代替エネルギーの開発・推進は超急務で必要。
原発ではない、自然エネルギーで電力が賄われるようになるのが理想だし、
これはきっと、果たされるって思うし、
原発停止を求める気持ちにも同調する。
ただ、しつこいようだけど、
何で、東京の人たちのために、福島の人たちが苦しんでいるのか。
そういう意味で、被災していない、そして、福島の人たちの苦しみの上で、電力生活を送ってきた東京の人たちが、遠くに遠くに避難する術があるのに、
福島の人たちは、避難する術がない。
放射線が怖いと言って、地方に避難する東京の人たちを、
福島の人たちはどんな風に観ているのだろう。
「原発を停止せよ!」という掛け声が
「福島の人たちをこれ以上苦しめるな!」ではなく
「東京にまで放射能が飛んでくるなんて!」
という言葉を孕んでいるように聞こえるのは、なぜだろう。
原子力発電論は、二元論だ。
「原発稼働停止と代替エネルギー開発」、
そして、何より、「地方の痛み」とでも言うのだろうか。
誰が誰のために、どんな苦労を、どういう風に負っているのか。
今現在、誰のために、誰が苦しんでいるのか。
そこに目を向けない限り、何が「頑張ろう東北!」だ、と心から思う。
このヒステリックなまでの正義感。
私には十分すぎる違和感を感じる。
最終更新日
2011年08月02日 09時19分05秒
今年に入ってからだけでも、毎月、通常のこまごまとしたものとは別に、何だか出費が嵩んでいる。
パソコンが壊れて買い換えた。
ブルーレイのHDDを買い換えた。
電化製品は一気に壊れるものだ。
そして、新たな道に進むための入門料を納めた。
会社の手続きの費用は自腹だ。
その他、交際費で落とせない諸々も私の自腹だ。
実は私は、諸事情があって、日米4つの大学に通った。
学費が掛かったのはもちろん、最後の方は、学校にシフトをチェンジさせて重きを置いたので、仕事を減らして収入も減った。
“低い”貯蓄額。
だからと言って、投資をしているわけでも、何か財産があるわけでもなく、
株は自分の会社の株だけしか持っていないし、不動産もない。
もちろん、学校は自分への投資だし、どうせなら良い物をと買っている機器も、
時間を生み出したり、インプットのための大切なツール。
今の私には、とにかく、知識と経験が必要だ。
でも、やっぱり、正直、きつい。
そんな中、母が、私に着物を2着、内緒で誂えてくれた。
お振袖と浴衣は数着あるけれど、普通の着物は母のお下がりを頂いている。
着物で出向く機会が増えた私。
きっと母は、そんな私の姿を憂慮してくれたのだと思う。
でも。
きっと、喜ぶべきなのに、「そんなお金ないよ。。。」と思うとイライライライラして、
どうしても喜べない。
もちろん母は、私への祝儀、そしてどうやら、日頃のお礼のつもりで用意してくれたのだけど、
私はどうしても、母から何かを頂くことができない。
(父からは当然の顔をして貰っちゃてたんだけどね!笑)
母も自分で会社を持っているし、私よりはるかに財産があるんだけど、
やっぱり、母は私が守らなきゃと思うと、私へのお金を一銭たりとも使って欲しくないと思う。
気持ちはすごく嬉しいし、
私に恥をかかせないようにと考えてくれた親心に、頭が下がる。
でも、この今の私の財政状況なのだから「無かったら無いでなんとかするのに。欲しかったら、欲しいと言うし、自分で選んで、自分で買うのに。これじゃ押し売りだ。何で無駄遣いするの。私が、払わないわけないじゃない、何でそんなこと気付かないの」と、色んな感情がこみ上げ、途方に暮れ、そしてイライラする。
またしても、数字とにらめっこをしたら、めまいがした。
今までも、自分の欲しいものだけを、自分で手に入れてきた。
余分なものはいらない。
着物はもちろん、必要だ。
でも、今の状況で何とかなる。
母の気持ちに感謝しながらも、
もう、何だか涙がこみ上げてくる。
この、色んな想いは、きっと、情けない自分に尽きる。
着物なんて何着もぽーんと買えるような貯蓄もなければ、稼ぎもない。
いい歳をして、そんなことで、親に心配を掛けている不甲斐なさ。
ずっとずっと、イライラしながらも、それを母に見せるのが悪くて、なるべく顔を合わせないようにしていた。
明日、定期を解約して着物ニ着分を母に渡す。
もちろん、母は拒むだろうけれど、これだけは譲れない。
「ありがとう。必要だったから、助かった~!これ、立て替え分ね」そう、ちゃんと、お礼を言えるように。
そうだよ、別に、人生が終わるわけじゃない。
借金をするわけでもない。
これから、この着物を着て、しっかり稼げばいいんだ。
また、ゼロからスタートしよう。
だって私は、今のこの状況を乗り越えることでしか、生きてはいけないのだ。
どうも最近、弱気になっている。
いつだって、負ける気がしなかったはずなのに、何だか最近、「大丈夫かなぁ」と不安ばかりが募る。
うん、大げさかも知れないけれど、私は生きている。
明日。
この着物たちに、袖を通して、覚悟を決めよう。しっかり、自分の道を全うすると。
最終更新日
2011年06月22日 00時14分31秒
4ヶ月ぶりくらいかなぁ。
久々にmixiにログインした。
不謹慎かも知れないけれど、でも、率直に、
マイミクの皆さんが変わらず、元気で生活をしている事が確認できて、本当に嬉しかった。
mixiの日記は、この、楽天にリンクさせていて、mixiに直接書くことが出来ないようなのでここにご報告をさせて頂くことにします。
大げさな発表のようですが。
mixiを退会させて頂くことにしました。
理由はただ一つ。正直でいたいから。
私は、自分の素性を明かすことが出来ないのに、
皆のプライベートに入り込んでいるという不誠実さ。
(って、大したもんじゃなく、むしろその逆。あ、別に実は男だったとかじゃないので!)
「そんなの百も承知」だし「っつか、大した問題じゃない」と言われますが(ありがとう。苦笑)、
そこに甘えるズルさ。
皆さんとの繋がりが温かく、いつも応援して頂いたり、何かあれば励ましのメッセージまで頂いたり、
もちろん、ブログを読むだけで、学び、笑い、泣き。
本当に幸せな空間であり時間。
感謝以外の言葉や表現が見付からない。
これから、こうして皆さんの日々の出来事や、成長、幸せなこと、もしかしたら、悲しみ。
こういう色々な事に立ち会えないことが、思っている以上に、つまらない人生になることを承知の上で、
それでも余りある、最後の純粋さで、正直であることを全うしたいと思う。
なんだか大げさな内容になっちゃったけど。
でもやっぱり、私にとってはそれくらい、大切な場所だったので。
私はまだまだここで自分のブログを続けて行きます。
(ぶっちゃけ、アメブロに移行したいんだけんど!)
私のブログなんて、全然、読まれなくても良いのですが、
ただただ、皆さんのところに行って、触れ合えなくなるのが寂しい。
それでも。
数年前に、mixiに誘ってくれた大切な、楽天時代からの友のブログを最後に読みました。
彼女にはいつも、色んな事を気付かされる。
今回は、子育てについて。
私は、子どもはいないんだけれど、これって日々の自分の生活でももちろん言える事。
文章の前後の脈絡を省いて説明できない、とても素晴らしい1本の文章なのだけど。本当は、全部を載せてしまいたいくらい!
子どもの直感を育てること、信じること、
そして、結びとしてあった、
「大切に、大切にしすぎても、弱々しくて自分では生き抜けない子供になってしまうのなら、
恐れる心と戦って、厳しい世の中に耐えうるような能力を育ててあげる方を、勇気を持って冷静に選んであげたいね」
そう、私も、全力で、真っ直ぐ、向き合って生きたいと思う。
だから、今回の選択、間違って無いって信じている。
改めまして、今まで仲良くして下さり、
私に日記を読ませて下さった皆さん、本当にありがとう。
本来であれば、おひとりおひとりのところにお邪魔してご挨拶すべきなんだけど、
それもまた、大げさな気がして。ここでご報告をする非礼をお許しください。
これからも、皆さんのところには行けないけれど、
でも、確かに、幸せを、願っています。
最終更新日
2011年04月25日 11時52分57秒
いよいよ激動の2010年も終わろうとしています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
私は、今年一年は「学び」の年でした。
出逢いを含め、知識や経験はもちろん、色々な感情を得て、ただただ人生を学ぶ年。
来年は、今年得た学びを通して、賢く、聡明に生きたいと願います。
過日、父が急に、この世を去りました。
それは本当に急で。
さっきまで、そこにいた父が、ちょっとそこまでの距離で、そのまま、帰ってくることはなかった。
救急車、警察、検死に回され、その間に色んな人に連絡をして。
あの日の一分一秒、全てを覚えている。
必死に救急車を追い掛けたこと。ひとりひとりに電話で伝えたときのこと。
人って、こんなにすぐに死んじゃうものなのか?と、何だか異次元にいる気がして。
色々な感情が溢れ出して、ずっと、脳みそと心臓が、口から今にも出てきそうな、無言の慟哭。
どうしても、泣いちゃいけないと思って、泣けなかった。
兄さん達が次々駆けつけてきて、皆、あの巨体(2m×100kg超)で号泣していた。
それを観ている私が辛くて。でも、やらなきゃいけないことだらけで、泣いていられない。
葬儀は、我が父ながら、圧巻だった。
あんなに大きな葬儀は初めてだ。
私の仕事関係者達は、父の事や兄さん達にただただ驚いていたけれど、
たくさん参列してくれて、見えるたびに、ありがとうと声を出して言っていたら、
隣に座った葬儀委員長が『安心した』と言っていた。
遺影の写真を選ぶのが困難で、昔の写真から何からひっくり返したら、色んな表情の写真が出てきたから、せっかくだからとスライドショーにして式場で流したら、また、大男達が号泣をしていた。
でも、不思議なことに、ほとんどの人たちが、何故だか、ちょっと前から、久々に再会をしたり、連絡を取ったりしていた。
そうして、実は彼なりに、皆に、最期の挨拶をしていったのではないだろうか。
あの日から、人生が一変した。
私は、仕事を辞めて、家(業)に入った。
姉が、家を継いだ。
兄さん達が、全力で今まで以上に支えてくれる。
父のお仲間の皆さん、お仕事関係の皆さんも、今まで以上に支えて下さる。
どれだけ、人様とのご縁に感謝したかわからない。
人は一人じゃ生きていけないと言うけれど、
一人で生きていなくて良かったと、思う。
信頼関係が、長い年月の上に成り立っているものだとしたら、
初めて会う皆さんも、父と皆さんが歩み築き上げた長さ深さがそのままスライドして、
私達家族と接してくださっている。
前職では、ありがたいことに、テレビや新聞、ラジオ、雑誌等々に取り上げて頂き、
それなりにキャリアを積んでいた私。
でも、この新しい環境に身を置き、自己嫌悪の日々。
ただただ空回りをして、使えない身にもどかしく。
初めての「民間」で、しかも、特殊な環境で、今までのキャリアなんて、何の役にも立たず、気だけは強くて、全てを否定された気分。
挙句の果てに「私だって好きでここにいるわけじゃない」が頭の中によぎり、そんな自分にますます辟易とする始末。
こんな姿を、遠くから見守っている父はきっと、私の不甲斐なさに、悔し涙さえ流しているんじゃないか。
でも、「自分が何でここにいるのか?誰かに教えてもらわなきゃ解らない?」、
「自分の居場所くらい、自分で見付けなさい」の言葉に発奮し、
「手放したものが大きければ大きいほど、人は、頑張れるものじゃないか?」に涙して、
私は、この道を選んだんだと、覚悟を決めた。
今までの様に、世間様から、立派だと、憧れだと、尊敬されるほどの仕事ではないけど。
今までなら、酷評も噂も付きもので、はいはい、と聞き流し、ぶっちゃけ、同じように批判をしていたことも
今は、絶対に、愚弄する者は許さないと、誇りを持つ自分に、ちょっと笑顔がこぼれる。
もうおばちゃんなのに、若いから、と相手にされず、女だからと見くびられ。
それなのに、支えてくださる皆さんの肩書き、人脈を知って擦り寄ってくる。
ぴーぴーうっせーなー、ちっちぇーなー、と心の中で毒づきながら、
笑顔で対応するのは、勝ちでも負けでもない、私なりの戦力(勝負)外通告。
正直、悔しいことばかりで、ストレスフルで、イライラしてばっかりで。
それでも、いや、それだからこそ、ちょっとしたことで、happyになれて、感動もする。
人生をサボっていた私へ、父からの最後の試練。挑戦状。
「ほら、やってみな」と。
確かに、決して、家族にとっての“良い夫”、“良い父”ではなかったけれど、
いつでも、全力で、私たち家族を守り抜いてくれた。
いつでも、私の決断に全力で背中を押して、何かあれば、必ず、迎え入れてくれた。
何があっても、必ず、私の味方でいてくれた。
絶対に泣いちゃいけないと誓って、姉にも母にも、親戚や兄さんたち、友人たちにも、泣いている姿は見せられなかったけれど、
夜中、2人きりになって、父の亡骸を前に、大人になってから初めて、すがっておいおい泣いた。
私こそ、決して、良い娘じゃなかった。
悪いこともたくさんした、孝行らしい孝行もしてあげられなかった。
父が思い描いた、理想の娘じゃなくて、懺悔することだらけで、
ごめんね、ごめんね、と、あれだけ泣いたのは初めてだ。
でも、ふと、きっと父は、言えなかった色んなごめんなさいも、色んなありがとうも、
そんなの全部お見通しだったんだ。
それを受け入れてこそなお、全力で私を愛してくれた父に、心から、感謝している。
2人で、憎み合って、傷つけ合って、助け合って、衝突しながらも、生き抜いた日々。
全力で、戦って良かったと心から思う。
これから起きる、全ての苦しみや悲しみ、不幸の全てを背負って、父はこの世を後にしたんだ。
私は、その後を、精一杯生きることで、恩返しと、愛情を示したい。
「味方も多いけれど、その分、敵も多い」は、誉め言葉。
色々な人が、それぞれなりに、父の、死に様を含めた生き様を評すけれど、きっと父はただただにっこり笑って聞いているだろう。
「59歳という短い生涯を、熱く、太く、深く生き抜いた、日本武士に、心から拍手を送りたい」
という、父の友人からの送辞が胸に残る。
一人の人間として、素晴らしい男だったと、心から思える今、
私も、一人の人間として、自律して立っているんだと、ようやく自覚する。
それは自身のこともしかり。
今までのキャリアを改めて見直し、ようやく、"見掛け"ではない、
自分が蓄えた社会人たる躾に感謝出来るようになった。
自分が愛する人たちに愛されているという誇り。
一生懸命生きてきた人生。
全てに感謝し、誇りをもって、生きていける、純粋な覚悟を、
彼からの、最後の愛情として、与えられた。
こんなに悲しいことが世の中にあるのかと思うほど、辛かった、
今でも確かに悲しいけれど、でも、大丈夫。
ありがとう、おとうさん。
ところで、そういう風に思える親がいて、いいねぇ、私なんて…とか、
私のときはこうで…とか、色々なことを、言われたけれど、
感情や環境は決して、誰かの状況とcompareできないものだと、私は思う。
だからこそ、人生なのだ。
先日、私は、新たに、会社を継ぎ、当主を襲名した。
もう、ブレない。
今は、知識を入れなくてはと、毎日インプットの時間だけでアップアップ。
そんな中で出会った素敵な言葉を胸に、私も頑張りたいと心から思う。
友よ みだりに人を羨むな
友よ みだりに嘆き給うな
人と生まれ 人と生きる
それぞれの道にそれぞれの苦しみ
それぞれの道にそれぞれの悲しみ
だが友よ しかしみんな歩いてきた道
君ひとりだけ嘆き給うな
これを読んでくれる、いつも支えてくれる、大切な友たちへ。
心からのありがとう。
そして、皆様にとりまして、来年も、素晴らしい年でありますように、心から祈念いたします。
最終更新日
2010年12月31日 11時24分18秒
最近、とても堕落した生活を送っておりまして。
人生における最重量級を記録更新中。
いつもの若い男子とご飯後、次はどこ行く?の回答が「○○(私)さんの部屋」というので、
こいつ、ずいぶん大胆になったのねぇと思ったら「ちゃんこ鍋、好きなんです」と。
飛び蹴り&わき腹にボディブロー100発。お前、その“部屋”かい。
そして、東京BayCourtのバーに行って座った瞬間、開口一番、マネージャーに「○○(私)さん、そこ、朝青龍が座ってる席です」って。てめぇ。
例えば、実は自分が気になっていること、実は自分がなりたいこと、願っていること、憧れていること。
それに触れたときに、
脳みそが震えたり、ハートに鳥肌が立ったり。
Ms.Right Now な性質の私だと、いても立ってもいられなくなって、しかも、天性の負けず嫌いと好奇心が顔を出して、すぐに行動を起こす感じ。
今まで、私はそうして、自分の道を切り拓いてきた。
でも、いつの間にか、サボることを覚えて、だらけることを覚えて、逃げることも覚えて、
その上、亀の甲より年の功で、手段だけ積み重ね、自分を正当化する術も身に付けて。
滞ってる自分のよどみが、脂肪になって蓄えられている感じ。
実は、喉から手が出るほど憧れることも、
目から涙じゃなくて鼻水が流れてくるほど、悔しいと思うことも、
それを“自覚”もしくは“知覚”すると、「ぅわぁぁぁ~」って暴れ出しちゃうであろう自分、何より、何も出来ない、足りない自分がもどかしくて、
きっと私は、
上滑りに、色んなものを吸収して、消化しないで排泄している。
いつか、後悔するって解ってるのに、何も努力しない自分に、イライラ、ビクビクしているのに、
そのいつかが恐くて、見ないフリをしている。
それでいいのかな?って思いながら、ワインを空ける。
センスって、磨くも腐らせるも自分次第。
それによって得られる代償はとてつもなく大きく掛け離れていて。
感じないようにしている自分が好きになれない。
たまには、不安も、辛さも、苦しみも、自信の無さも、吐露してこそ、きっと私。
これを読んでくれているたくさんの仲間たち。
もしかしたら「うん。うん」と思ってくれる人がいるかも知れない。いないかも知れない。
ただただ、お互いに、頑張ろう。
自分の生き方、自分の人生くらい、自分の意思で彩って、道を進んで生きたいものね。
ちょっと、センチメンタルジャーニーな日記になってみました。うへへ。←照れ隠し
最終更新日
2010年12月18日 02時30分36秒
私の尊敬する女性のひとり、江川紹子さん。
ジャーナリストとして活躍する彼女に、賛否両論はありましょうが、私が彼女を尊敬する理由は「ぶれない公平さ」。
特に、オウム真理教の取材をしていたから、常に危険と隣り合わせ、脅迫は日常茶飯事、平穏な生活もままならない状況であったのに、
過日、国松(元)警察庁長官襲撃事件が時効を迎えた後に、警察庁が記者会見で「でもあれは、オウムの仕業だ」と言ったことに対して、
江川さんは、警察と言う公権力が、例え疑わしいとは言え、証拠がないのに誰かを犯人として世の中に言い触れることが、冤罪を生む、犯人を探し出せなかった失態をオウムに押し付けただけと、猛烈に批判した。
彼女は、オウムを擁護しているわけではないけれど、それでも、あれだけ危険な目に遭っていたのだから、そうだそうだ、あの教団なら遣りかねないとは言わないにせよ、せめて無言を貫くことでも、十分なのに、
オウムがどうのではなく、警察という公権力の基本、彼女の信じるぶれない公平さや正義を主張した姿に、私は感動した。
私も、こういう、ぶれない女性でいたいと、心から思う。
ちょっと古いネタだけど、どうしても留めておきたい大切な備忘録。
最終更新日
2010年11月04日 00時30分54秒
「家の前の高層ビルに某外資の日本のHQが入ったからか、何か、中華料理屋が増えた気がする!!!レストランが出来る度に期待したら必ず中華だから、もう飽きたよ!パスタ食いてぇよ!!」と怒る友人の話を聞きながら思い出した。
「戦地には、必ず、中華料理のケイタリングサービスが出現する」というニュース。
要は、世界中で、中華料理は愛されていて、アフガニスタンやイラク、災害復興支援地域と言ったいわゆる欧米の軍やメディアが集結する場所では、中華料理の需要があるから、青空レストランとして、商魂逞しい中国の人々が開業するらしい。
ちょうどその話をしていたら、昨夜の日経夕刊に「インドネシアのデモと屋台事情」が載っていた。
お察しの通り、インドネシアでデモが長引くのは、デモが始まると、周りに屋台が出来るからだという。
そして、屋台の店主達は、新聞記者よりも遥かに密接に警察にウラを取って、事件とあらば屋台と共に駆けつけ、“遅れて”やってくる記者たちに食べ物を提供(販売)する模様。
不謹慎かも知れないが、ちょっと、その逞しさと、マーケティングと言うか、アイディア力に傾頭。
世界を、世界経済を舞台に戦いを挑むとき、そういうライバル達にどんな戦術を持って挑むか…課題は多いなぁ。。
最終更新日
2010年09月14日 23時47分46秒
Digamonos todo,
Decirnos que nos amanos, que estamos tristes, que nos extranamos, que nos enojamos, que nos odiamos, Todo.
No hagamos que no podemos hacer nada por el otro, porque no sabemos nada del uno al otro.
Y no lastimemos nuestros corazones por esta causa de eso.
Digamonos todo.
-お互いの気持ちを全て言い合おう、
愛していること、怒っていること、寂しいこと、悲しいこと、全て伝え合おう。
それを伝えないことで、お互いが解らずに、傷付け合って、すれ違ったりしないように。
(超訳)
いくつになっても、恋愛が苦手な私。
不器用だと言われても、私はやっぱり、自分が何に感動し、どれだけ彼を愛し、何に怒り、何に涙するかを、伝えたい。
もしかしたら、伝えることで、傷付け合うことも、擦れ違うことも、あるかも知れない。
でも、やっぱり、気持ちは、伝えなくちゃ、ウソだ。
こんな、当たり前なのに、忘れがちな大切なこと。
昔、「言わなきゃわかんないよ!」と当時の彼氏に怒られたことがある。
「生きてきた環境も、何も全部違うんだから、すれ違うのは当たり前だし、理解できないこともある。
でも、お互い、理解する努力を怠ってはいけないし、もし、無理なら、新しいものを2人で築き上げれば良い。」
って。
たまに思い出すと、旨く行かなかった恋でも、良い奴らと、愛し合ったんだな、って、
ちょっと、自分を誉められる。
もう、夏も終わって、いよいよ秋になる。
私の1年は、夏で終わって、また秋から開始になるから。
今年も、熱い熱い夏だったなぁ。
最終更新日
2010年09月09日 00時03分13秒
仕事の打ち合わせ、戦略会議、経営会議、海外事例報告がまとめてあって、
いつも、どっちが年上かわからんという具合で、面倒を見て貰ってる歳下男子、A君が支配人を務めるレストランに、そりゃ色んな人が来ましたが、6時間以上も居座っておりました。(ごちそうさま)
ここ、良くサロンのようにお邪魔させて頂いていて、誰もが口を揃えて言う「いるだけで癒される」場所なんだ。
日本で有数のレストランで、ビバリーヒルズや、パリ、ミラノにもあるみたいで、彼は次期グループ代表。まだ若いんだけど、しっかりしてるんだ。
海外事例報告は、これまた面倒を見てもらっている男子B君で、支配人A君の幼馴染でもあるんだけど、彼から行って貰いました。
お互い、学生時代のバイト姿は別として、仕事の場として同席するのは初らしくて、ちらっちらっちらっちら、見合っていた。(笑)
で、B君は、働く支配人A君を見て「アイツ、悔しいほど、キマッてませんか?」を100万回くらい言ってた。
そして、A君は、なんとわざわざまた別の共通の友C君に電話をして「今、●●さん(私)との仕事で、Bが来てるんだけど、アイツ、何かすげぇよ。あの場で物怖じせずにちゃんと振舞ってる」と言ってた模様。
ちなみに、この後、私はC君に迎えに来て貰ってツタヤ&スタバで読書会をしていたのですが、その際、この話を聞きました。
私、今まで、同世代の男性と、上司・部下・同僚といった、いわゆる身内(内部関係者)として働いたことがなく、取引先として、ご一緒しているだけなのです。周りは、おじさんばっかりだ。
なので、職場恋愛なんてもちろんないし、そういう意味で、身近に感じる存在がいなかったの。
ところが、こうして、目の前で、優雅にこなす支配人A君を見ていたら、年下の仲間というくくりではなく、一人の男性として「きゅんっ」としてしまったわよ。
彼が来る度に、背筋が伸びちゃうんだから、乙女ちゃん。
普段は何の気も遣わず、むしろ、存在が見えません系で、海でスッピンでゴロゴロしてるのに!
色気とか、頼りがい、力強さ、堂々たる身のこなし、自信、礼儀正しさ。
どれを取っても、非の打ち所が無い。
責任を持って働いている男の姿は、格好良い。
よく、スーツとかユニフォームマジック(スーツとか制服着ていると格好良く見える)と言うけれど、私はあんまりそういうのって感じなくて。服装、身づくろいは、ある種の、仕事の風景の一部というか、プロとしての心得で、何でも「仕事だから」で目も設定されちゃう。
むしろ、プライベートの、Tシャツとデニム姿とかが格好良い方が断然、コロンと来ちゃうの。
そして、今日の彼の「仕事をする男」としての躾とたたずまいに、マジックに掛かりました。
いつも、彼の仕事姿は見てるんだけど、やはり、役職が変わったから、内面と、そこからつくられる外見が、整えられてきたのかも知れないね。
今日は違ったわ~。
私、何でも、その場のinitiativeを取れる人に惹かれるんです。
恋に落ちたわ。
というわけで、私も負けないように、仕事します。
最終更新日
2010年08月10日 00時25分07秒