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山と音楽そして日々の暮らしを綴りたい Angel Face の日記 [全1502件]
山に出かけるため、早朝5時20分頃にゴミを持って家を出た。駅に向かう途中の道脇に隣の班のゴミ集積場があるので今日はそこに出させてもらおうと考えていた。そこに差し掛かったら、男性がいた。 「ここに出させてもらっていいでしょうか?」「ここの班じゃないんでしょ」「ええ、いつもは反対側に出してるのですが、今朝はちょっと駅に行くので便利だったものですから」男性は語気強く「それはまずいんじゃないですか!!」 私は狼狽し、「すみませんでした」とゴミを持ったままその場を去った。我が家に割り当てられたゴミ集積所は駅に向かう方向から逆方向50m程度の場所にある。 町内会のゴミ集積場はブロックごとに決められているが、数ヶ月に1回あるかないかのこのような場合にも厳密に遵守されなければならないものなのだろうか。そこに男性がいなければ黙って置いていっただろう。 上の娘が高校生時代、異なる班のゴミ集積場に出したらそれを見ていた道徳の塊のようなおばあさんにきつく叱られ、べそをかいて帰ってきたことがあった。めったにないことなのに許容されないものなのだろうか。疑問に思っている。
今日は陽射しがあって比較的温かい穏やかな一日だった。気軽に幕張の美浜園にウォーキングに出かけ、閑静な池泉回遊式の日本庭園を散策するつもりでいたら大違いだった。地震の被害で泉水の水は全面的に枯れている。湖底は小石と泥が露呈していて、地面はでこぼこ、あっちもこっちも工事中で見学できる場所もわずかだった。かって海の底だった名残か潮の香がする。池泉回遊式庭園に水がないとこんな無残な姿になると思い知らされた。 ここの雪吊が好きなのだがそれはちゃんとあってよかった。松の木は全く被害がなく緑を茂らせていた。松竹梅とめでたいものの喩えになっているがさすが松は強靭だ。 干上がった泉水の向こうに松籟亭(お茶席がある)、後方は幕張新都心の高層ビル 雪吊と高層ホテル 一回りしても花も無く、わずかに椿がひともと赤い花をつけているのみだった。かっては大賀ハスが華麗に咲いていた池も工事中で見る影もなかった。
大賀ハスの池も復旧工事中 椿の木が1本だけ 花の美術館も大々的に工事中だったが、湾岸沿いの地方はどこも被害甚大である。何だかわびしい気持ちになって美浜園を後にした。
登山家・吉野満彦さんが亡くなった。享年80歳。心不全(心筋梗塞とも)だったらしい。 私にとっては憧れのクライマーという以上に伝説的な人である。確か高校生の時、冬の八ヶ岳で遭難して、友人は凍死し、自分は凍傷で足の指を失った。その致命的障害にもめげず、日本人で初めてマッターホルンの北壁を登り、続けてアイガー、グランドジョラスの北壁を登った。当時、ヨーロッパアルプスの三大北壁を登ったのは彼が初めてだった。彼の創立したRCC2という先鋭的クライマー集団の名前を見るだけで憧れで陶然としたものだった。 彼の著書「山靴の音」「新山靴の音」は何度も読んだ。八ヶ岳の遭難や冬の徳澤園で小屋番をしていた時の小屋番日記など記憶に残っている。分かりやすく書かれた『山に登ろう』を図書館で見つけたときは宝物を拾った気分だった。 画家でもある彼は絵もすばらしく、山や生き方の洞察が深い。登山というような荒ぶることを極限まで極めた人とは対照的な絵や沈潜する思考に対照的で惹かれた。その両極を合わせ持っているのが彼なのだ。 山靴の音 展 より 盛夏の山 植村直己も小西政次も長谷川恒男も山で死んだ。しかし彼らと同じく激しい登山に情熱を燃やし、燃焼してきた吉野満彦さんは80歳まで生き抜いて畳の上で亡くなった。
年賀はがきが当たっているかどうかを調べるのはけっこう面倒くさい。遊びに忙しくほったらかしにしておいて初夏の頃、交換した年もあった。 今年は当選番号表をもらったので早速調べてみたら、年賀状250枚余の中から切手セットが3枚当たっていた。早速郵便局で引き換えてきた。でも昨年のウサギ年の切手がまだ残っている。使用しないうちに年が変わることが無いよう、今年は優先的に使おう。
2月7日久しぶりの雨、朝から一日しっかり降った。ウォーキングもできないので映画を観に行った。今の時期コレといった話題作や名作もないので、ジョニー・イングリッシュ~慰めの報酬~というパロディ映画を観た。 冒頭からあの007を連想させるオープニング・・・、よく観ればローワン・アトキンソンはボンド体型で以外にカッコいいが何やら笑える。チベットのラマ寺で修行する姿などけっこう決まっているが、あの股間で石を引っ張る修行というのはラマ教に偏見を持たせないだろうか?私はチベットが大好きなのでちょっと気になった。 『007』シリーズのほとんどを観てきた私には思わずニヤリな場面が連続。MI7専用工場で秘密兵器を提供する博士は義手、義足姿、本人だけの声に反応して動く最先端カーや変声キャンデーなどが登場。映画の中でも科学技術は進歩している。中国人の掃除屋婆さんは白髪でシワが一杯、えぐい顔で動きまくる彼女を一瞥してこれは自分の老後かと思ってしまった!!超高速の車イスの大活躍もハラハラしつつ楽しめた。
ジョニーの余りにも間抜けなドジには飽き飽きしたが、マジメにミッションに取り組んだ時には優秀なエージェントだった。ドジ・ボケの部分と真剣な部分と笑いを一緒くたにしながらバランスよくみせる感覚が絶妙だ。
翌2月5日も一日アイスクライミング三昧。明け方に冷え込んだものの日中は陽射しが出て氷瀑は場所によっては柔らかくなっていたが状態は良い。今日も昨日と同じ班でルートを変えながら練習に励んだ。
同じ班の皆さんと 中央は松原ガイド Y さん 二日目で皆さん体も慣れてきてあちこちで力いっぱい頑張る若い皆さんやアドバイスと応援の声が行き交って雰囲気が盛り上がっていた。私は頑張らず気楽にやっていたが、基本だけはしっかり身につけたいと思い、適切な足置きができること、利き腕の真下に反対側の足をもってくること、腰を入れて上半身は開くことなどを意識して練習した。できた時もあり、混乱したこともあったが、時たま足のリズムを作ることに成功したルートもあった。
A さん 下を見て良い足場を探す 今日はスタッフからぜんざいの振る舞いがあった。小さなお餅に小豆がとてもおいしかった。糖分を要求する疲れた体にぴったりの食べ物である。
イケメンの顔もほころぶおいしいぜんざい つららが伸びる軒下 小川山山麓のここ岩根アイスツリー周辺は例年より雪は少ない気がしたが、つららが長く伸び、宿舎脇には室内で使用されているバーモントキャスティングの薪ストーブ用だろう、膨大な量の薪が積まれていた。無意識に薪を積んだのだろうが、石垣に似てとても造形的で面白くFさんとしばし見とれていた。でもこれだけの薪を作り積み重ねるのは相当な労働だろう。山での生活は外で見るほど気楽ではないと感じた。
2月4日岩根アイスツリーにアイスクライミングに出かけた。中央線小淵沢から小海線に乗り換え信濃川上で下車。バスで小川山山麓へ入る。久しぶりに会った友人が沢山いて懐かしさ一杯だった。すっかり嬉しくなってみんなと近況報告に花が咲いた。 天気もよくて無風、氷瀑は固く締まってコンディションは上々だった。17名くらいの参加者を3班に分けてそれぞれガイドがついて指導を受けながら練習した。私は同世代の熟年女性5名のグループだった。
参加者で賑わう岩根アイスツリー 私は熱中すると年も体も忘れて頑張り、後で肩や背中の痛みに苦しむので、今回はほどほど7分程度にしておこうと固く心に決めていた。初日なのでのんびりゆったり昇って肩を慣らした。指導された通りにはなかなか出来なかったがそれでも少しづつ体が動くようになった。
アックスの真下に反対側の足 久しぶりに会った岳友 Kさんと アイスクライミングの主要ギアは二種類。両手に持って氷に打ち込むアイスアックスと足で蹴り込むアイスクライミング専用のアイゼンである。私は1本爪アイゼンは持っているがアックスはレンタルしている。一流メーカーの何種類ものアックスが集まり、重さや使い勝手、デザインもそれぞれで特徴があってなかなか面白かった。その中でも最新のクォーークは軽く鋭く素晴らしいギアだった。
標準的仕様 黒龍をイメージするデザイン 最新のクォーク 午後2時半を過ぎると少し風も出て段々寒くなってきた。協賛会社のスタッフからお汁粉の振る舞いがあり、とっても甘く美味しく温かく、感謝した。 夜は懇親会があった。気のあった友人や初対面の人たちが一緒に寛ぎ、ジャンケン大会で盛り上がり、穏やかな夜が更けていった。自宅から離れて上げ膳据え膳で家事から開放され、母でもなく妻でもない自分自身でいられることに最高の解放感を感じる。
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