エゼキエル44章-偶像崇拝と淫行のために祭司職を奪われないようにするには
エゼキエル44章-偶像崇拝と淫行のために祭司職を奪われないようにするには エゼキエル40~48章に登場する山の上のエホバの神殿に関する預言が成就するのは、この事物の体制が存続している間です。エゼキエルの神殿は今の事物の体制が続く間のエホバの崇拝の状況を説明したものでしょう なぜなら、エゼキエル44章には、山の上でのエホバの神殿で、奉仕者たちにより罪が犯されること、その罪のために神の民がひどい災厄を受けること、しかし、その罪が許されることが予告されているからです。(エゼキエル44:13,14) そこには祭司やレビ人や長の罪についての言及がありますが、王国が支配する時代は、罪のためにエホバの怒りが大々的に臨むことはないと考えられるからです。 ですから、エゼキエル44章の預言は、この終わりの時にエホバの崇拝にどういうことが起きるかを預言しています。神の民の違反の主なものは偶像崇拝と淫行です。(1)レビ人は偶像崇拝と淫行に陥り祭司ではなくなるが神の奉仕者の立場には留まる エゼキエルの神殿では、エホバに忠実を保つ祭司と、不忠実になる祭司が登場します。聖書は、一部の地上にいるクリスチャンが、神の目から見て祭司の役割を果たすことを述べています。彼らは大祭司キリストを通して神に霊的な犠牲をささげます。(ペテロ第一2:4,5) 一部のクリスチャンは昔の祭司のような立場に立ちます エゼキエル書には、一部のレビ人の祭司が偶像崇拝に陥ることが予告されています。エホバから「さまよいでた」イスラエルが「糞像をしたってさまよった」ことが非難されています。(エゼキエル44:10)そのため、彼らは祭司として奉仕する立場を失ってしまいます。(エゼキエル44:13) 聖書の中で偶像崇拝とは、文字通りの木や石や金属でできた偶像に対する崇拝も含まれます。(レビ26:1)さらに、聖書は、比ゆ的な野獣、つまり、政府や国際組織に対する崇拝も存在することを明らかにしています。(啓示14:9-11)過去に、ドイツのナチス党のヒットラー崇拝や日本の天皇崇拝、中国の毛沢東崇拝、ソ連のスターリン崇拝、米国の大統領崇拝などが存在しました。 ヒットラー崇拝は聖書の言う野獣の崇拝です日本は以前は天皇崇拝が行われていました もちろん、聖書は支配者たちに、敬意を払い、服し、税も支払うように勧めています。(ローマ13:1,7)しかし、神のご要求と人間の支配者による要求が異なる場合は、神に服することを求めています。(使徒5:29) おそらく、一部の祭司として奉仕していたレビ人たちは、この野獣の崇拝を行なうようにという圧力に負けてしまうのではないかと考えられます。そして、とりわけ、剣をとって戦うようにという圧力が強くなることを聖書は予告しています。聖書は「剣で殺す」かどうかが、聖なる者たちの「忍耐と信仰」を試すことになることを述べているからです。(啓示13:10)Chiran high school girls wave farewell with cherry blossom branches to departing kamikaze pilot in a Nakajima Ki-43-IIIa Hayabusaおそらく将来国家のために剣をとって戦うことが誉れあることと見なされ奨励されることになるのでしょう しかし、罪を犯したレビ人たちは、罪が許されて神への奉仕を行なう立場にとどまることができます。(使徒5:31)これは、キリストの贖いの犠牲によるでしょう。(ローマ3:24)(2)祭司ザドクの子らとはどのような祭司たちか 一方、山の上のエホバの神殿には、ザドクの子らの祭司たちも登場しています。祭司ザドクとは、エホバ神に忠実を保つ祭司です。(列王第一2:35)祭司ザドクとは、油そそがれた者ダビデに最後まで付き従い、結局、エホバに最後まで忠実を保った祭司でした。(列王第一2:35)ですから、ザドクの子らの祭司たちとは、偶像崇拝に陥らないで、神に忠実を保つ祭司たち、つまり、天的な希望を保持する祭司たちを表わしています。聖書は野獣の崇拝に陥らず神に最後まで忠実を保つ祭司ザドクのような天的な希望のクリスチャンが存在することを予言しています そして、神に忠実を保つレビ人の祭司と不忠実になるレビ人の祭司が存在します。そして、エゼキエルの預言からすると、不忠実になった祭司は、祭司としての立場から退けられますが、レビ人としては引き続き奉仕することを許されます。(エゼキエル44:11,13)(3)祭司の罪は重大な結果をもたらした 祭司たちの罪が、他の人の犯す罪より重大なものとみなされたのは、当然です。祭司は、「エホバの使者」とみなされ、律法を説明する責任が課されていたからです。(マラキ2:7)それで、彼らが罪を犯した場合、他の一般のイスラエル人よりも、重大な結果をもたらしたからです。それで彼らの罪の場合、より価値のある動物の犠牲が求められていたので、彼らにはより大きな要求がなされていました。 昔、祭司がエホバ神の崇拝と律法に熱心さを表わした時には、エホバがイスラエルにもたらそうとした災厄がとどめられたこともありました。反対に、エホバ神は過去において、大祭司によって罪が犯された時に、その祭司の家にとても大きな災いが起きることを許されました。 エホバが祭司の熱心さを喜ばれたのは、例えば、それは、イスラエル人が荒野にいた時、多くのイスラエル人が偶像崇拝と淫行に陥った時でした。 そのため、エホバ神は疫病をイスラエル人にもたらされ、二万四千人のイスラエル人が死にました。しかし、祭司のピネハスが淫行を犯していた長とその異教徒の愛人を殺しました。ピネハスの熱心さのために、イスラエルにもたらされていた疫病がとどめられて、イスラエル人は荒野で死に絶えてしまうことを免れられました。(民数記25:1-9) 反対に、大祭司エリが、神の律法を施行する点で生ぬるく、エホバの崇拝をないがしろにした時は、契約の箱がフィリスティア人に奪われました。(サムエル第一3:13-14)エリとその息子の祭司たちも同じ日に死にました。(サムエル第一4:10-11)さらに、後になってエリの子孫の祭司たちである大祭司アヒメレクと仲間の祭司たち、またその家族がサウル王によって虐殺されるということ事態さえ、起こりました。(サムエル第一22:18-19)大祭司エリは息子たちの淫行と神への捧げ物を私用にしたことを断固として正すことをしませんでしたエリの子孫の祭司とその仲間がサウル王によって命を落としたのはエリが淫行をそのままにしてエホバの崇拝に不敬を表したからでした 本来、大祭司も、祭司たちもエホバの保護がある立場であるはずでした。しかし、彼らが命を失ったのは、エホバの崇拝に対する生ぬるさ、淫行を犯した祭司たちに対して断固たる処置をとらず、神の律法の施行を毅然として行使しなかったことでした。(4)祭司級のクリスチャンが神の律法を断固として守らなければ神の民の災いが起きます 昔、大祭司エリとその子孫に起きたことは、今日の私たちに警告となります。私たちはエホバの是認を失わないように最善の努力を払う必要があります。指導的な立場のクリスチャンは会衆内で、神の律法に対する違反をそのままにしておくのではなく、毅然とした態度で、淫行を行うクリスチャンを会衆内から排斥する必要があります。 そうしなければ、私たちは自分の属するクリスチャン会衆内に災いが起こることを許すことになるでしょう。