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精神世界の叡智 [全363件]
フィリピンのセブ島に来てます。 サンゴの海は私にとって、聖地。 心が解放され、宇宙との一体感を自然に感じることができます。 セブ島にいる間は、Twitterでつぶやいてます。 http://twitter.com/RYUKI358 今日は、シュノーケリングツアーに行ってきます。
数日前、物騒な夢をみる 戦場で、敵に追い詰められ、自決を覚悟し、手榴弾で自爆をしようとする。 手榴弾のピンを抜いたが、爆発せず。 どうにか爆発させようとするが、それでも爆発しないので焦る。 そこで目が覚めました。 当初、過去生の夢かと思ったのですが、これも象徴のようです。 心の奥深くに潜んでいた自虐的意識、それも強烈なものが、表面に出てきたようでした。 浄化ができて、ありがたいですね。 トラウマは過去生を含めると、ものすごい膨大な量です。 根気よく、一皮ずつ剥いていくものですね。
昨晩の夢を、ふと通勤途中で思い出す。 部屋の隅っこに埃(ほこり)があったので、拾おうと思ったら、どんどん埃がでてくる あっちにも こっちにも 埃が 少しの埃と思って拾ってみると、ごそっとでてくるのです 拾って集めてみると、両手いっぱいに こころの奥深く眠っていたトラウマがごっそり出てきたようです。 昨日は仕事のことがきっかけで、自分の無価値感というものが、ひょこっと出てきました。 自分の存在は意味がないんだ~ 気分がブルーになっていたのですが、自分から離れて客観的にみると、今の自分とは関係ない感情に氣づく。 かなり古い(過去世)感情がでてきたようでした。 おもしろいもので、トラウマというものは、そのときと同じような経験をきっかけとして、浮きあがってくるものなのですね。 それらを浄化し、今は気分すっきりです。
歴史通 2010年 03月号 満州国というと、日本人にとって、台湾、朝鮮と並び、大日本帝国の三大植民地というのが、これまでの通常の歴史的認識です。 しかし、この国家は「ワンダーランド」「桃源郷」であったようです。 そもそも満州は、万里の長城の以北にありました。 長城の外は、中国とは別世界、異文化圏、つまり中国領土ではなかったということです。 中国が満州を自国の領土という主張は、20世紀に入ってからで、満州がこれまで中国の領土であったことはなかったのです。 日露戦争後、満州は日露の勢力化に置かれ、満州事変後、多民族共生の「合衆国」、すなわち満州国が諸民族によってつくられました。 かつては農牧しかできなかった土地に、満州国建国後わずか13年半で、自動車や飛行機をも生産できる一大近代産業国家にまで発展。 戦乱と飢饉で苦しむ中国にとって、満州国は「桃源郷」であり、年間百万人を超える中国人が、満州国になだれ込んできました。 満州国は、人類史に対していかなる貢献をし、遺産をもたらしたのか。。。 満州国は、単なる関東軍の陰謀という『陰謀史観』だけで語り尽くせるものではないようです。 自虐史観から脱却し、改めて近現代史を見つめ直すことが大切ではないでしょうか。
スピリチュアリズムを語る 江原さんの『スピリチュアリズムを語る』は精神世界の原点ともいうべきか、人生のあり方や霊的な生き方をとてもわかりやすく、丁寧に語ってくれています。 とても充実した内容の本です。 また、スピリチュアルに踊らされているような人たちに、自戒を促す内容でもあります。 「スピリチュリズム」とは、「霊的世界」を軸として考える「哲学」です。 現世は仮の世。 自分を試す場。 スピリチュアリズムは、物質界を否定するわけではありません。 物質界があってこそ、生きている実感があるわけです。 ですが、それは霊的な価値観とのバランスというものが大事なのです。 「運・不運」は、スピリチュアリズムの視点から言えばありません。 「不運」とは何かといえば、自分自身が蒔いた種の決算です。 不運とは、蒔いた種の借金を返す時期なのです。 開運も同じことです。 努力してよい種を蒔いてきた人にはその分の結果が出る。 いわば実り、収穫のことで、棚ボタ式での幸福などというものは存在しません。 幸運、不運というのは、現世の尺度でしかありません。 現世的にいう「不運」でも、そこで苦難を味わってたましいが磨かれるなら、「幸い」なのです。 ほんとうの幸せとは、何も怖れるものがないこと、「死」の意味がわかることだと思います。 病気になるのにも学びがある。 仕事にも意味がある。 すべてに、 生きるということの目的、意味がある。 これがわかったら、受け入れることが大事です。 受け入れないと、前へ行けません。 受け入れて、超越することが大事なのです。
本日は建国記念の日。 元々は、『日本の紀元の日』で「紀元節」といいました。 神武天皇が大和国の橿原の宮にて、わが国初代の天皇の御位にお就きになった日でした。 しかし、戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。 その後、アンケート調査により、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかり、 1966年になり建国記念の日に関する提案が承認され、1967年から適用されることとなりました。 本日は、全国各地の神社で、建国を言祝ぐ諸行事が行われます。 神武天皇即位以来、万世一系の天皇(今上陛下は第125代目の天皇)によってしろしめされるわが国の2670年目のその上を偲び、国運の隆昌と世界の平和が祈念されます。 神門前広場の斎場では、橿原神宮を遙拝。 続いて、「紀元節」の歌を声高らかに斉唱します。 日本の祭日はそれぞれ意味がありましたが、戦後GHQの意向によりないがしろにされました。 しかし、その起源を知ると、日本の深い精神文化を知ることができます。 |一覧| |