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日本人は能動的民族であるのか、受動的な民族であるのか そのことが頭をよぎった、よぎる必要なんかないのですが、 ある本を読んでいたら、 引っかかった、「日本人は受動的な部分がおおい・・」 はたしてそうか、そうは思える部分もあるし、宋でない部分もある。 たとえば、日本人はさめている、デモや政治的な運動は一部のひとだけで 「しらけ」ているひとがほとんど、 中国や韓国で、敵対する国の国旗を焼く風景がでるが また、台湾などでも議会で殴りあいがあったり、 そういう光景はみない。 思想的に骨抜きとされた戦後教育におけるGHQの戦略は見事に成就しているわけだ。 表題の能動的ニヒリズムというものは すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度。 ニーチェの言葉という変な本を読んで余計に難解になった私ですが ぼくはそういう生き方であるのだとおもう、 で、話を戻すと、日本人は過去、歴史の中で 激しくデモを危険行為をしまくった時代がなんどあった。 日露戦争で小村寿太郎がポーツマス条約で締結し 賠償金はもらえず、樺太半分だけもらったことに国民が激怒し 帝政ロシアの巨大さも知らずに、抗議デモが荒れ狂い、 地元神戸における湊川神社近くの「伊藤博文」の像が引き倒され なおかつ、ひきずまわされ、警察の交番は放火されたり 大変だったそうだ、 話はそれますが、兵庫県の初代知事の伊藤博文は 結果、かの半島でテロに倒れますが、その銅像は太平洋戦争でも 金属がたらない、ということで供出されてしまう、悲しい運命にあります。 話がかなりそれましたが、 日米安保条約の反対におけるデモも相当なものであったが 沖縄基地問題についても、本土であるわれわれは関心が薄い。 対岸の火事のような気でいる、これも実におかしなもの、 日本人は政治に関しては失望し、受動的ニヒリズムで相対にあるものだと 思うのです。 なぜ、日本人はこうもしらけてしまっているのか、 国民性を考えると、相当難解でもあるのですが、 やはり、どこかボタンを掛け間違えたのだろか、 戦後の教育と、戦前のものとはぜんぜん違うもので 要するに、国家というものや天皇というものがぜったい出会った戦前と 平和が一番という個人主義的なものとぜんぜん違うものだが いまは、そのどちらもいいところを取り入れ 国民性を向上させていかないと、この先、中国にやられる。 │<< 前日へ │翌日へ >> │一覧 │ 一番上に戻る │ |
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