上島竜兵さんに捧げる・。
ほんと、まさか、彼が自殺するとは思いもしなかった。そうだ、誰しもそうだ、人はわからない、表があり裏がある。ほんのすこしの、迷いをついて、死神は耳元でささやく。そのときの判断を、そのときの判断で、そのときのつらさ、苦しさ、思いが、自殺する瞬間に延々に続いてゆく。自殺者の霊が浮かばれず、のこってしまうのはそのときの「念」のせいであるという。そして、弱っている人間たちに、『伝播』するのである、連鎖というか竜兵さんは、お笑いだったから、余計につらい。みんなを笑わすのが仕事である。バカにされて、見下されて笑われてなんぼなのである。彼がない面で苦しんでいようが、悩んでいこうが、そういう顔は、みんな知らないのである。彼もまた、人なり。なのである。いやこともあったろうし、馬鹿にされたことも毛嫌いにされたこともあるだろう。これがまた、渡辺裕之さんと対比的なのである。彼もその数日前に亡くなったのであろうが、彼は彼で、渡辺を演じることがしんどかったに違いない。いいひとであること、健康体であることダンディであること、みてくれがいいこと。彼がなくなって、多くの芸能人が、インスタなどでこぞって、彼との思い出の写真を上げた、どれもこれも美しく、かっこいい。上げてる芸能人は、惜別の念であはるのだろうが心の内面の葛藤を、知る由もせず、外見だけで判断する。彼もまた、ひとなり。なのである。60歳こえたあたりで、初老鬱になりやすくなる、ホルモンのバランスが崩れ、精神的に揺らぎはじめる。なんで、恵まれていたのではないの?みんながそう思うのだろうけど、彼らは、「いままでの人生はどうだったのか」と、自問自答し、消去したかったのだ。なんで、消去したいのか、亡くなった人を非難するのではないが、自殺は他殺を同じで、命を大事にしない。周りのことや、仕事のことなどよくよく考えてみれば到底できないこと恐らく、とっさにやってしまうのだろう。だから、よくよく考えていないのだ。だから、要するに脳気質的な問題なのである。ひとりにしてはいけないのである。これもまた、できないことであるが、立場上の問題で彼らも相談する身近な人がそのときいなかったのであろうと思う。5月という特有な時期で、しかも60代というそして、コロナ禍、大地震、核戦争。テレビはほんと毒のオンパレード。きれいな花を見てるだけでいい人生が哀しすぎる。渡辺裕之氏上島竜兵氏両氏のご冥福をお祈り申し上げます、残された人々の悲しみも相当なものであろうことかと思います。