大韓航空機爆破事件
1987年11月29日、イラク・バグダッド発、アラブ首長国連邦アブダビ、タイ・バンコク経由、韓国・ソウル行きの大韓航空858便・ボーイング707型機が北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破された航空テロ事件である。乗客・乗員115人全員が死亡した。858便はアブダビを世界標準時日曜日の午前0時01分に離陸した。858便はインドを横断しムンバイから始まるアンダマン海上の航空路R468を飛行してに到着した。ビルマ(現:ミャンマー)の航空管制空域に、離陸から4時間半後の現地時間午前10時31分(世界標準時:午前4時31分)に到達し、両国の境界である"TOLIS"ポイントからラングーン(現:ヤンゴン)の航空管制官に対し「現在37000フィート(およそ10700m)を飛行中。次の"VRDIS"には午前11時01分、"TAVOR"(ミャンマー本土上陸地点)には午前11時21分に到達の予定」と報告したのが858便の最期の通信[1]となった。ここで858便は航空路ロメオ68を飛行しており、ほぼ定刻通りにバンコクに到着するはずであったが、ラングーンから南約220Km海上上空の地点で午前11時22分に機内で爆弾が炸裂し、機体は空中分解した。乗客・乗員115人全員が行方不明(12月19日に全員死亡が確定)となった。大韓航空機の捜索にミャンマー、タイ両政府当局が当たった。タイの捜索隊はビルマとタイの国境付近のジャングルに墜落したとして捜索していたが、実際には海上に墜落していた。なお858便の遺留品は救命筏や機体の部品、乗客の手荷物と遺体、バラバラになった機体の一部がそれぞれ発見されたが、搭乗者の完全な形での遺体は、他の多くの空中分解事故のケースと同様に一人も発見されず、わずかに回収された遺体の一部がDNA解析され身元が判明した。回収された救命筏などの残骸の多くは高温に晒され強い衝撃を受けた損傷があり、空中で何らかの爆発があったことを裏付けていた。当初、空中分解の原因は事故機となったHL7406号機(1971年製造、製造番号:20522/855)固有の欠陥が原因と見られていた。これはHL7406機は当初は大統領外遊時の特別機として韓国政府が使用していたが、大韓航空に移管され主に国内線で運航されていた。だが1977年9月に釜山で胴体着陸事故を起こし、事件の2ヶ月前の9月2日にはソウル・金浦国際空港でランディングギアが出ずにまたしても胴体着陸する事故を起こしており、修理を終えて運航復帰した直後に発生したためであった。しかし実際には航空機テロであったことが後に判明することとなる。事件直前、バグダッドで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した不審な男女2名がいた。この2名は日本の旅券を持っており、30日午後にバーレーンにガルフ航空機で移動し、同国のマナマのホテルに宿泊していた。韓国当局もこの「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与したと疑っていたため、当地の韓国大使館代理大使が、その日の夜に接触した。これは事件の直前に日本赤軍の丸岡修が日本の東京で逮捕されたが、丸岡が翌年に迫ったソウルオリンピックを妨害工作するためにソウル行きを計画していたことが明らかになっており、日本赤軍が本拠地とする中東が舞台であることから、事件の関与が疑われていた。そのため韓国当局は早い時点で2人をマークしていた。また日本政府当局は「日本人による反韓テロ事件」を懸念していた。この2名はバーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていた為、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、その場で旅券を確認したところ、偽造であると判明した。日本大使館には身柄拘束権が無かったため、同国の入管管理局に通報し、警察官に引き渡した。空港内で事情聴取しようとした時、男は煙草を吸うふりをして、その場であらかじめ用意していたカプセル入り薬物で服毒自殺した。同伴の女も自殺を図ったが一命を取りとめた。死亡した男のパスポートの名義は東京都在住の実在の男性であったが、警視庁の調べで、この男性は東京におり、パスポートも自宅にあることが確認された。この男性によれば「宮本明」を名乗る男に全額費用もちでマニラとバンコクに1983年秋に旅行したが、その翌年に「宮本」にパスポートと実印を1ヶ月ほど貸していたことが判明した。しかも「宮本」は警視庁が北朝鮮工作員を摘発した西新井事件に関係していた北朝鮮側工作員の李京雨であることが判明し、事件への北朝鮮の関与が疑われるようになった。また、自殺した男が所持していた日本製の煙草の製造年月は4年も前の「(昭和)58年4月」となっており、既に3年前には全品売り切れであったうえに賞味期限も過ぎていたため、「宮本」が逮捕前に作った、下手な「小道具」の可能性が高いバーレーン警察による取り調べが行われた後、女の身柄は12月15日に韓国へ引き渡された。その時彼女は自殺防止用のマスクを被せられていた。ソウルの国家安全企画部で尋問が行なわれたが、女は当初日本人になりすまし、ついで黒龍江省出身の中華人民共和国人の「百華恵」であると供述、容疑を否認し続けた。しかし、取調員からの連日の事情聴取の中で、日本人や中華人民共和国人であるとする説明の数々の矛盾点を指摘された上、「日本に住んでいた時に使っていたテレビのメーカーは?」という質問に北朝鮮ブランドの「チンダルレ(つつじ)」と答えて捜査員にも笑われる事態についに北朝鮮工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)であることを認め、航空機爆破の犯行を自供した。金賢姫の供述によれば、爆発物は時限装置付きのプラスチック爆弾が入った携帯ラジオと液体爆弾が入った酒ビンであるとされた。爆弾は2人の座っていた機体前方の7A,7B近くのラックの中に入れており、爆発物は彼女がバックの中に入れて機内に持ち込んだと供述した。実行犯は北朝鮮工作員の金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時69歳)であった。2人は10月7日に金正日の「ソウルオリンピックの韓国単独開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ」との親筆指令に従いテロ行為に及んだもので、父娘であると偽りテロ実行のために旅行していた。韓国当局の取調べによれば、2人は11月12日に任務遂行を宣誓し、ソ連のモスクワへ朝鮮民航(現:高麗航空)に北朝鮮政府関係者2名とともに向かい、そこでアエロフロート便に乗り換え当時共産主義国だったハンガリーに11月13日に北朝鮮のパスポートで入国した。そこで6日間滞在した後にハンガリーから隣国オーストリアに11月18日に陸路入国した。この時まで金賢姫は別人名義の北朝鮮旅券を使い金勝一は北朝鮮外交官旅券を使っていたが、オーストリア国内で日本の偽造旅券を使い始めた。6日間滞在したあとウィーンから11月23日発のオーストリア航空621便でユーゴスラビア(現:セルビア)のベオグラードに移動して5日間滞在した。2人はベオグラードの北朝鮮工作員のアジトで爆発物を受け取ったとされる11月28日にベオグラードからバグダッドへイラク航空226便で移動し、その日のうちに運命の大韓航空858便に搭乗していた。なお、2人が機内に持ち込んだのは酒瓶に入った液体爆弾と、豆腐大のプラスチック爆弾と時限爆破装置を仕込んだ日本製トランジスターラジオであった(トランジスターラジオは電池がなければ作動できない構造)。イラク航空に搭乗した際にはイラクが戦時体制にあることから電池を取り上げられていた。そのため大韓航空機に搭乗する際にはイラクの空港職員に対して「個人の持ち物まで没収するのか」と金勝一が抗議したため、返却されたという。このようなイラクの航空保安体制の不備が、事件を未然に防ぐチャンスを逸したともいえる。また2人が降機後にラックに爆発物が残されていたのを客室乗務員が発見出来なかったことが後に疑問とされたが、事故で客室乗務員も殉職しているため真相は不明であるが、忘れ物の確認作業を怠った可能性が強い当然の事ではあるが、現在も北朝鮮当局は事件への関与を否定しており、韓国当局による「自作自演」を主張しているが、この事件の指導・総指揮は、当時既に金日成の後継者に指名されていた朝鮮労働党書記・金正日(朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長)が取ったと言われている。金賢姫がハンガリーに北朝鮮パスポートで入国し、そこから日本の偽造パスポートで出国したことから、ハンガリー当局は北朝鮮による謀略があったと判断し、当時の東側陣営の盟主であったソ連へ報告したため、東側社会主義国全体も卑劣なテロ国家として認識されるようになった。そのため、オリンピック参加を曖昧にしていたソ連及び中華人民共和国は正式に参加表明をした。そのため他の東欧諸国も追随し参加を表明した。結局参加しなかったのは北朝鮮ぐらいであった。その後、北朝鮮は米韓合同軍事演習を「戦争の瀬戸際だ」と宣伝し有事の際の支援を要請したが中ソ両国から反感をかった。翌年の6月には金日成が中ソ両国を訪問したが、その場で「これ以上オリンピックを妨害工作をするのであれば、北朝鮮が1989年開催する世界青年学生祭典に参加しないと圧力をかけられたという事件後に当事国のみならず世界各国により北朝鮮への非難が巻き起こったが、北朝鮮が意図した「韓国の信頼低下」という現象は起こらず、翌1988年には無事ソウルオリンピックが開催された。金賢姫は韓国における1年間の取調べの後、「トランジスターラジオにセットした時限爆弾で868便を爆破した」と認定され、韓国の国家保安法、航空法、航空機運行安全法違反で1989年2月3日に起訴された。韓国の裁判所は一・二審とも死刑判決を下し、1990年3月27日に確定した。しかし韓国大統領は「事件の生き証人」という政治的な配慮から、事件遺族の抗議の中、4月12日に特赦した。また5月には内外の記者との会見が行われ、自己批判と北朝鮮の体制批判をした。この時に飛び出した話の一つが前述の「李恩恵」の話であった。現在もこの問題は何にも解決をしていない。なぜ、一般市民をもまきこむことをしたのか、いま、重篤にある彼が指示したのだろう