シヤブログビン
こんばんわ、きましたね、今日も、おまちしてました、シベリア抑留の話、僕が20歳前後の学生のころ、バイトをしまくっていた。新大阪駅で新幹線の食堂車の荷物を積んだり、おろしたりする作業、三交代で24時間拘束のしごと地味な仕事であった、周りは全部、おじさん、60歳で定年になり65歳の年金もらうまでバイトにくるんだ、若いのはぼくだけ、たまに若いのがはいるが、25年ほど前だから、ほとんど、戦争体験者であった、シベリア抑留の人もいた、「でかいんだ、大陸の太陽は」それしか語らない。夜、4時間ほど仮眠するんだ、僕は最初はなかなか寝れない、慣れて寝れるようになると、今度は夜中のじいさんの寝言などになやまされる。アルコール依存症のひとがいて、上の人に言われて、ある夜禁酒、しかし、そのとき、幻覚がでた、夜中、寝静まったときに、「敵がいるぞ!」「俺は人を殺したんだ!」と叫びだした。いつもは冷静なじいさんは周りの人に取り押さえられ、一杯飲まされた。ほかの人は平然としていたが、ぼくはおどろいた、正直、まいった。いつもは冷静な頭のいいひとで隠れて駅のホームの陰でビールや酒をのんでいた。奥さんはいないらしい、ほとんど周りの人間は正体を知らない。ぼくは、バイトの中の思い出でそのことが忘れれない、戦争の残した彼のPTSD,それを抱え酒でごまかして、30年働いていたのだろうか、もう、たぶんなくなっているだろう、戦争の残した傷跡、心の傷跡、敗戦後、自分の家庭もきずけず、PTSDに悩み労働者として戦後復興に体をささげ、そういう見えないひとびとのおかげで今の日本がある、誰しも忘れてはいけない。星野JAPANは韓国に惜しいところでまけた、ぼくは、最後、負けると感じた、どういうのか、韓国に人々の目の輝きと日本のそれがあまりにもちがった、ハングリー精神というかそういうのが感じられない、星野監督が一人いつものポーズで立つ姿、あの目がするどく、素敵だ、日本の選手は死んだ魚の目、日本が物質的に豊かになれても精神的に脆弱になったようにおもえる。常に物質と精神は相反するものだが、戦争のPTSDの代償が平和ぼけであるのは否定できない。あの場面はバントでおくれよ。おやすみ、ここ