学生時代の思い出 01
学生の頃の夏休みは、貧乏人の僕はひたすらバイトしておこずかいを稼ぐしかなかった。一年のころは神戸から学校のある京都まで通学していた、長距離通学である。2時間半はゆうにかかった。だから、時間に余裕はなくバイトは長期休暇のときしかない、あのころは、バイトは少なかった。時給も500円前後 1980年前半のころの話。どんなに必死に働いても月に10万稼げるのは夏休みだけ、前期試験が終わる、またしても散々なでき、ぼくは外国語学部のスペイン語だった、しかし、まあ、英語も話せないやつが、できるわけもない、それにスペイン語の先生はとっつきにくく、どうも、溝を感じだ。どうやら、先輩たちから、勉強をしない日本人を相手にするのは嫌だったんだろうと思う。まあ、その話はおいておいて、一年は新大阪駅で新幹線の列車食堂の輸送斑というところでバイト、朝の9時からよく朝9時までの勤務、三交代。たぶん一回で9000円ぐらいだったか、二年になると、いろんなバイトをしたいと思い、当時、ポートピア博覧会が神戸であり、その中央ゲート周辺のごみ掃除。いたって地味な仕事。おばちゃんとふたりで、ひたすら観光客の落とすごみをひらい、投げ捨てられたすいがらをひらう。来る日も来る日も・・、ゲートには、きれいなおねいさんが、笑顔でもぎりおそらく、ぼくと同年代か、それより少し上。土曜日になると、従業員の入り口の外には彼氏の車がずらりと並びおむかえに来る。ぼくは、おばちゃんと、ポートライナーで帰る。おばちゃんは、優しかった。おにぎりをくれたり、ジュースをくれたり。でも本心は、若い同世代の女の子とバイトしたかった・・。あるとき、おばちゃんは、泣いていた。聞くと、大事にしていた犬が死んだという、その日を境にして、おばちゃんは来なくなった。ひとりでできる仕事でもないので、今度は社員のひとがきた。同志社をでて、なんやかんや、あって、社員に、なんで、同志社みたいないい大学出て、掃除してるのか恐らく、なんかあったんだと思ったが、ぼくは聞かなかった。ポートピアの最終が近づいてきた。ぼくのお気に入りのゲートの女の子がいた。綺麗な子で、明るく挨拶をしてくれる。ぼくは、その子がいると元気が出た、ごみもおちていないのにそのまわりをうろうろしていた。最終日、とんでもないくらい徹夜のお客さんがゲートに並んだ。新聞紙引いて、弁当食って、散らかして、僕の掃除の仕事を増やしてくれていた。そうえいば、何万人かの来場記念で、くす玉がわれる。そのとき、よばれるんだ、くす玉のごみの後始末。風が吹いて、どこかにいけばいいのに、と、思っていた。最終日、あの子に声もかけれず、度胸もなくお客さんは狂ったように、チケットをもぎるのが遅いと、思ったのか、ことごとく、チケットを投げ捨て、放り投げ、足早に、サントリー館のウイスキーを買うのか走り去る。ぼくは、見ていて、かわいそうになり、投げ捨てられたチケットを屈んでひらうあのこの近くに行き一緒にチケットをひらった。彼女はなぜか泣いていた。ぼくに、ありがとう、といい、ぼくは拾ったチケットを渡そうとした。その時、しゃがんでいた女の子のスカートの中身を見てしまった。あ、と、ぼくは反省しながら、しらばっくれたように「大変ですね。最後だから、がんばってくださいね」と、しらじらしく言った。しかし、あのパンツは脳裏に刻まれた、なにか、こう罪悪感を感じながら、最後の日はごみの量もおおく、疲れて帰った。秋になり、また好きでもないスペイン語を勉強しに上賀茂まで通う日々が始まった。「ああ、あのこはどうしてるのかな?」と、思い出していた。そんな夏だった。