いやーーーーー、それにしても久々のアップである。まぁ、そこそこ忙しかったのではあるが、8ヶ月の間にブログ書くくらいの暇なときもあったはずだとも思うが・・・ まぁ、取り敢えず、近況としては、というか進歩なしで、社労士も行政書士もまた落ちた

行政書士にあっては、後2点で合格、ということは、兎に角あと1問あってさえいれば、今、こんなブログを書いてなかっただろあなぁ。まぁ、ちょっと、疲れた、ということなのだろうか。かなり、ショックが大きかったのだね。相変わらず、本をぼちぼち読んではいるのだが、備忘録的に読後感をここに書いていたりしたのだけれども、書く前に次の本に行ってしまっているから、それが続くと、書くのも億劫になるものなのね。まぁ、ということで、まだ、社労士に合格したわけではないのだけれど、社労士の参考書、問題集の一部を取り敢えず処分すべく、オークションに初出品してみた。だけどまぁ、案外面倒くさいものだ。まぁ、ズレGW休暇で、ちょっと暇もあったので、いい暇つぶしになったか。設定金額が高いかなぁ、とも思うが、まぁ、売れなきゃ売れないで、ぼちぼち値を下げたりとかしてけばと思ってるから、いいけど、まぁ、1日1回くらいは落札あるなしをチェックするか。
ということで、初出品の告知でした
やっと休みであった。例のハード常夜からも、先月末で解放されたはずなのだけれど、昨日は、夜勤明け、取り敢えず休みであったのだが、いつも通り、朝酌? して、昼は当然寝ていたのだが、かなりの爆睡であったのか、晩酌前まで眠っていた。それで、晩酌して、昨夜もよく眠れた。これを図式化すると、朝酌 → 睡眠(8時間) → 入浴 → 晩酌 → 睡眠(8時間) → 起床 となる。今日は、体育の日だから一般ピープルは、休みのはずであるが、サイコはまた、夜勤である。そう、ハード常夜からは解放されてはいるが、日曜日の昼勤が無くなっただけで、少しだけ楽なだけである。が、今までの疲れが溜まっていたのだろうか。よく寝てたな

まぁ、なんやかや、ここ3か月であったのだが、案外というか、早かった。というか、もう10月だよ

新人さん、それこそこれまで正に常夜勤であったのだが、昼勤の引き継ぎは諸般の事情で来月に持ち越された。それで、サイコも一週間交互の昼勤は来月に持ち越されたのである。まぁ、昼勤に戻ると、車を駐車するのを考えないといけないということもあるのだが、というのも3か月だけのこととはいえ、それまで借りていた駐車場の賃料を払うのが勿体無かったので解約してしまっているからである。まぁ、駅前に24時間駐車場があって、最大1日700円なのでそこに泊めとけばいいのだが、そっから職場まで遠いのよね
ところで、行政書士の勉強の方であるが、各種の模試問題集も一日一回ずつコンスタントに進めていて、今は
行政書士2011年法改正と完全予想模試の09年版を2回分までやったのだが、まぁ、こちらも合格点を楽々超えている。この調子でこのまま本試験に乗り込みたいねえー

まぁ、言わずもがな、これも最低3回は今までにやっているわけで、そこそこ答えは覚えてしまっているのかもしれないけれどね。まぁ、だけど、民法特化の勉強方針が効いたのか、この2回分目の模試では民法全問正解だったから、自力は憑いてると思うけどね。まぁ、兎に角、早いとこ、試験に受かろうや!
やっと休みである。震災の影響による電力受給の分散対策で、かなりハードな常夜勤的な日々を送ってきたわけなのだけれども、それも、今月で終わる、と思っていたら甘い

もともと、震災があろうがなかろうが、システムの再構築によって、現部署の縮小あるいは撤収は着々と進んでいる。ということで、この3か月内で人の異動が閉口するほどに並行している。と、言っても、一人辞め、一人僻地に飛ばされ、他に登録派遣でない常勤派遣を入れて、一社員を昼勤で現行の抱えている仕事をやらせながらの、代替導入で、まー、これ読んでる人には全く理解できないだろうけど、実質、0.5人分減らして、去年並みの実労働時間を確保させた、という恐ろしい、部署末期的なやり過ごしである。まぁ、よく持っている、というのは過言でない。サイコが3月に入院したみたく、ここで誰ぞ倒れたりしたら・・・ それでも、労働時間超過をもっても、やり過ごしたかもしれないし、不測のときには、そうなるのだろう。それで、その常用型派遣で入った新人は、これまで正に常夜勤であったのだが、それにも昼勤を引き継がせるということで、そいつが夜勤やっていた分を、もろに穴埋めすることになる。10月から通常の土日になるといっても、平日は変わらないのだから、押して知るべしである。まぁ、1週間くらいでけりをつけるらしいのだが、まず持って、そうしたイレギュラーで、シフトはグチャグチャである。ああ、こんなんだと、上述した「一人辞め」のW氏が、恨め(羨ま)しい。まさに、グッドなタイミングで、ボーナスと退職金を掠め取って消えていたのだから。
まぁ、こんなことを書いていると、行政書士の勉強の方が芳しくないのでは、と思われるかもしれないが、うーん、その後
行政書士2011年法改正と完全予想模試の07年版を2回分と
行政書士最強の模試(2010)のやはり07年版を1回分とやってみたのだが、まぁ、どちらも合格点を楽々超えているので一安心ではある。まぁ、だけど、今度で5回目のトライアルということは、上記模試も最低5回はやってるから、答えを覚えてしまっているのだろうね

まぁ、でも、ここんとこ自分の記憶力の衰えというものを感ぜずにはおれない常況からして、取り敢えずの安堵ではある。まぁ、後2月弱しかないわけで、やれるのは民法を押さえておくぐらいしかないわけで、残りの勉強方針は、そこに特化するやり方をしようと思っている。もちろん記述対策も含めてということである。記述式の出題の2問は民法典からの出題であるからして、これに尽きる気がする。まぁ、兎に角、早いとこ、試験に受かろうや!
社労士試験も無事?終わって、今度はGT(行政書士トライアル)である。去年は、ぼーーーっと、一週間過ごしてしまった経緯からすれば、我ながら今回の始動は早い。だけか

取り敢えず、去年の、22年度の試験をやり直してみたのだが、おい、当然足きり(一般常識たったの5問正解)、合計点でも、記述を相当あまーく見積もっても、146点

くらいだ。そこで、当然、分析してみたのだが、、うーーーん、過去問だけやってても、解けるだろーよ、というのを間違ってる。まぁ、それでも、この早い?段階で、行政書士試験ほど毎年、同じような出題が出される試験もないのか、という感じである。そして、例によって
行政書士完全攻略ガイド(2011年版)の音声ガイドをしっかり繰り返し聞いている。まぁ、基本的なことしか言ってないので、単なる基本固めのつもりだけなのだが、それで、民法を制するもの必ずや合格、とまでの信念で、4冊、久々に図書館で借りてきた。まぁ、新しそうなのを、適当にピックアップしてきただけなので、実際、行政書士の勉強になるのか分からないのだけれども、まぁ、折角なので読んでみる。後、2月ちょいしかないわけだけれども、やるだけはやっておこうか。
初学者のための民法学習ガイド 山野目章夫
ケースではじめる民法 山野目章夫/編
スタートライン債権法 第5版 池田真朗
不法行為法 第4版 吉村良一
まぁ、これから読んでいる。去年、不法行為からの出題はあったから、今年は多分出ないかもしれないが、一応押さえておくに越したことはない。それと、これを読んでて気づくのであるが、民法と言えども一法律であり、国家賠償法が民法の特別法である限り、それを兼ねた(一般常識も含めて)予備知識となりえる、ということである。最新の判例も、ちょこちょこと出てもくるので、なんかの足しにはなりそうだ。まぁ、民法709条において、財産法に過去、分類されていた経緯から推察しても、80年前はかなり狭い範囲で損害というものを限定していたのは分かるし、だから、現代のように、憲法13条からも導き出される新しい人権等の要請からして、多様な権利(法律上保護されるべき利益=法益)がその対象となってくる必然も分かる。それゆえ、財産権のみならず人格権をも、現代では保護の対象としてきているのだ、ということである。まぁ、まだまだ、その争い得べき権利というものも、今後あるというところであるが、まぁ、兎に角、早いとこ、試験に受かろうや!
うーーん、ブログも更新するのが億劫になってしまうほどに、仕事の方も、特に忙しいわけではないのだけれども、ほとんど常夜勤に近いようなシフトに変わってしまったので、家でパソコンに向かっている時間も、減った、わけでもない

というのも、相変わらず、下手な株のオンライントレードをしつつ、
社労士完全攻略ガイド(2011年版)の音声ガイドを何十回と繰り返し聞いているからである。まぁ、兎に角、夜勤の真逆の時間帯に起きていられるわけもなく、途中で寝てしまって、クーラーのタイマーが切れたタイミングで、暑さで目を覚まして、またぞろ持ち株の現状を追いつつ、
社労士完全攻略ガイド(2011年版)の音声ガイドを聞く、という感じである。そして、会社行って、合間に勉強、というようなことを2月くらいやってたのだろうか、とうに、社労士試験の受験票も届いていたし、これが届くころには、行政書士の試験申し込みもしないといけないので、またまた、携帯のカメラで自分撮りしたりして、それをオンラインで申し込むので、アップロードして、と。だけど、毎年同じことを書いていると思うが、今回の行政書士試験申し込みは、あっけなかった。まるで、何かの懸賞に応募するぐらいに、簡単にできてしまって、逆に「ちゃんと申し込めたのか?」と、疑心暗鬼になってしまうほどである。というようなことで日々やり過ごしてしまっていて、今年は断酒もままならない。まぁ、量的には
サントリー 金麦を1缶飲むくらいなのだが、毎年なら一月弱くらいは完全に酒抜きして、万全を期していたはずなのだが・・・ まぁ、過ぎてしまったことは、取り返しがつかない。自己の管理のせいである場合は、単に諦めということだろうが、不慮の事故、という場合は・・・ 諦観ではなく逆境からのチャレンジだろう。兎に角、前向きに、やれるだけのことはやっておくことである。色々、理由は付けることはできるのだけれど、そんなのは単なる言い訳だろうし、慰めだろう。まぁ、こう思うか、後、一週間で酒が飲める

もう、ここ4回目ということは4年目ということだけれども、なんかの祭りみたいな高揚感である。カタルシスを落とした後のカタルシスを紛らわす愉悦。なんかそれが目的になってしまってるのか、あー、やばいやばい

兎に角、これきりにしましょうや。
Take it easy! Good luck!
音声ガイドで言っているのだけども、「労一は足きりにかかりません。社一こちらで点数を稼いでください。社一はそんなに難しい問題出ません。基本的なところを押さえておけば、点数取れます。」ということなんだけど、そうか? まぁ、労一で労働白書からの問題なんて、点取りにくいことは確かなのだけど、社一の義務規定、努力規定なんかは明確に記憶できない、のはサイコだけかもしれないけれど

社一も難しい。ちょっと、横断的な意味合いも含めて、
特定独立行政法人の職員は、健康保険の被保険者に該当するが、厚生年金保険法の被保険者とならない。当該職員は
国家公務員の身分を有するため、厚生年金保険の適用除外に該当する。又、労働基準法の適用はあるが、国家公務員災害補償法の適用を受けるので、労働者災害補償保険法の適用除外となる。
というような出題もあり得る。後、実際過去に出題された問題を法改正にあわせて書き直してみると
健康保険法第189条、船員保険法第138条、厚生年金保険法90条及び石炭鉱業年金基金法第33条1項並びに国民年金法第101条等の規定による審査請求の事件を取り扱わせるため各地方厚生局に社会保険審査官が置かれる。
なんていうのもある。何か欠けていたり余分な文言が入っていたりすると間違いになるわけで、そういう「ひっかけ」にひっかかってしまうのよ、人が良いもんだから
まぁ、なんやかや騙ってますが、兎に角、頑張るしかない。頑張れ、東日本! 頑張れ、サイコ! 頑張れ、社労士受験生!
前回から一月半ほど空いてしまったのだが、震災の影響による電力受給の分散対策で、7月から9月まで、ほぼ毎週夜勤となる

それでやっと今週休みとなったので、社労士試験の勉強の合間?にこれを書いている。ということで、お約束?の
現代宗教意識論の続きをちょっとだけ騙るとして、第三者の審級というのは「者」であるからして擬人化も含めて人的な要素に限られてしまうような、そんな感は否めない。しかし、これを中華思想にあてはめれば、まさに「天」が全てを決する、第三者の審級と同様な思想ではなかろうか。この天命というのは
易姓革命のことなのだが、大澤の盲点としてうまく批判に絡めることができるかもしれない。いわゆる宗教一般だけではなく孔子、孟子と続く儒家において、天命というものが第三者の審級にあたるはずであり、翻ってその儒家を隠者的に批判した老子の道家がそれこそ現代では「オタク」という範疇であろう。まぁ、多少アクロバティックな意味づけではあるとは分かっている。なぜなら、道家というのは、「天」の更に上に「道」という範疇を設定する教えであり、まぁ、またちょっと無理を承知で騙るならば、その設定こそ「セカイ系」なのである。大澤から数学的な設定と宗教の普遍的設定を崩してしまえば、それは中国ですでに2500年以上前にあった思想なのである。それこそ、キリストも生まれる前にである。
社会的な身体 荻上チキ
実は読了して一月くらい経ってしまったので、内容的にうっすら抜けていたり、別の本のことだったりするかもしれないが、騙る意味で以前の論考にも絡めてみたい。まぁ、社会的身体というのは、こうしたブログ作成をも含めて、パソコンが人の脳の延長と思われたり、車を実際足としてどこかに赴いたり、人の身体の延長としての道具(ここまでならハイデッカー、そうでっかー)が、それこそ精密化してマシーンとして社会のインフラとなるときに、システム的に社会的な様態をとりはじめること、だったと思う。まぁ、この本、この著者はメディア論の論者で、メディアとしてのインターネットが身体的であり社会的であるのは、一番わかりやすい例でいけばアバターという具象化された私が、バーチャルな世界で他者とコミュニケートするということである。ここで、例の
北田暁大准教授の本から抜粋したりしているのは、北田准教授もメディア史なんかが専門なのであるが、例えば、
嗤う日本の「ナショナリズム」から、感性優越主義(センス・エリィーティズム)としてのメタのベタ化であるパロディの類型化。反省システムに寄り添うフォルマリズム(形式主義)化において、現在はロマン主義的シニシズムということだ。2ちゃんねる上で展開される(ここでは電車男をネタにしている)エクリチュールは、ただ
他者からの審級の連続性によって「繋がること」を目的としているため、敢えて言えば空疎なものである。記号自体には意味をもたらさなくても、その記号によって「繋がる」こと自体に目的があるとする。そこで共有されるアイロニカルなエクリチュールには意味がないのだ。過去の
ブログも参照されたし。これを踏まえて、メディアとしての「お笑い」の変遷と機能について「社会的な身体」において展開される。これは、テレビというメディアが斜陽業種化したかのようなことが言われているこのごろ、その地位をネットが奪い取ったかの誤謬に対して言及する。未だに、テレビはメディアとしての王様であり、映像のインパクトは、ネット上の動画が簡単にその座に取って代わるものではない。荻上も、ネットはテレビメディアを補完、補強するものだとしている。実際、2ちゃんでネタにされるのは、テレビで放映された実に高度なニュースから、どうでもいい「お笑い」のすべりだったりすることが多いからであるのと、そうした(こうした?)まさに核心をつく批判自体が、さらにテレビメディアを逆の意味で補強することを言っている。まぁ、ここ最近の好例?をあげれば、
蓮舫議員がツィッターというメディアで
なでしこJapan、優勝!!すごいです。と呟いたがために炎上したのであるが、それこそツィッターやネットでネタにされて知名度(いいとか悪いとかではなくて)を上げたわけである。それこそ、夕刊フジというメディアで紙上再現も成され、メディア連鎖的なこうした拡散が、メディア同士の相互補完を行っている様相でもある。これはツィッターというメディアでの出来事(ナウ)ではあるが、ツィッターをテレビという現在性に置き換えても大差なく、そういう効果としてのネットが、更にタブロイドがテレビを冗長するということなのである。さて、「お笑い」に戻るとして、まさに、一発屋芸人が笑いを取るために、笑えないほどに苦心をしていることは、まさに(クドー)、メディアへの露出なのである。そこに大メディアであるはずのテレビは、インタラクティブな要素としての芸に対する評価や批評を効果として差し挟んできているのである。まぁ、多くは騙らないけれども、番組構成を見ても、ただ単に経済的に素人っぽいギャラの安い芸人だけを配置しているわけではないということである。そして、それこそ評価する側として、テレビを見ている側としての身体を得る構造、形式となっているのである。見る側の身体性、芸人の身体性をそれこそシェアしあうような社会的な感性がそこにはある、ということである。
プレップ労働法第3版なる本も読みつつ、ぼちぼち社労士の勉強はしているのであるが、えーーー、試験日は変わらないのだが、
時間が早くなる。しかも、択一式を先にやって、選択式を後にと。まぁ、1時間早くなるだけなのだが、何か変な感じだ。まぁ、それよりも兎に角勉強しないといけないのだが、その
プレップ労働法第3版はまだ去年出たばかりなので、法改正にもそれなりに対処してていいか、と思って借りてきたのだが、社労士用というよりも司法書士用ということで書かれているらしい。しかしまぁ、これを読んだ奇特な人は(実際著者が言っている)、あれ、と思うかも。というのは、サイコ自身は凄い親近感を持つような文体で、法律について書いているからなのだ。というか、サイコが書いているような書き方である。凄く大胆な本で、流し読みしてもらって結構、なのだそうだ。それを、しっかり読まさせてもらっている。まぁ、一応知識として労働法全般について理解?しているつもりなので、確認の意味で読んでる、と言ったほうがいいのかもしれないけれど。まぁ、兎に角、80日あまりとなってきたし、本腰入れて勉強しないと、と
社労士合格問題集(2011年版)をやっとこさ、健康保険法までやったのだけれども、おー、ほんとに忘れっぽい

同じところばかり間違うのよね。それと、今年は入院もして、ちゃっかり傷病手当金も無事振り込まれたりして、健保が一番実務的な意味も含めてできなきゃおかしいのだが・・・
ほんと、本腰入れないといけないのだけれども、
思想地図(vol.5)なんて本も読んでしまった。今回のは、たまたま、社会学を中心に何人か学者さんが寄稿しているのだが、いまどきはサブカルチャーとの関連をも視野にいれつつ、いろいろ書くんだなぁ、と思った。まぁ、ちょっとだけ、
佐藤俊樹先生がその代表格ともいえそうなのだけれど、
大澤真幸大先生の
第三者の審級をおもむろに批判してたりして、凄いなぁ。まぁ、大澤は
スペンサー=ブラウンなんて数学者を紹介しているくらいなので、どこか
ルーマンよりかとも思っていたのだけれど、間身体的、関身体的という概念から推察するに
メルロー=ポンティの間身体性を「第三者の審級」によって修正または訂正しているのでは、と思うとき、
フッサールをまさに超越的第三者に見立ててみて、その横領的な継承者でもある
ハーバーマスよりともいえるかもしれない。まぁ、これはかなり跳躍した穿った見方ではあるが。
現代宗教意識論 大澤真幸
さあ、上は実は前振りであった。この第三者の審級はいろいろと応用される。まず、冒頭「すべての偉大な社会学者は、いずれも宗教社会学者でもあった」(「現代宗教意識論」序P7)。社会は宗教現象でしかない、としていろいろと例示を踏まえて論考していく。この「宗教」というのは、バリバリのキリスト教であったりイスラム教といった一神教をのみ意味するのではなく、アジア的なものに合致する意味で仏教やヒンズー教なのどの多神教的なものも含み、また、そうした世界宗教のみならず、信仰は薄くとも、というか仏教国だろう日本で年末にクリスマスパーティーが盛んに行われたりするような、形式のみが模倣されている現象も「宗教」として含んで考えるのである。もっと言えば、無神論者は、神を信じない、という宗教者なのである。だから、無宗教者という概念があるとして、宗教を持たない、という宗教を信じている者と言っていいだろう。しかしながら、宗教の中でも、キリスト教は異質なものであるとして、その中に予め世俗化の形式が用意されており、近代がそうした脱宗教へと進む過程が資本主義的なものと相まって、進行した。にも係わらず、現代においても、局地的な事情に限らず、宗教に根を持つ現象、たとえ形骸化された儀式や祭りであったとしても、他者の総体としての市民なり国民なりの共通行為として行われる宗教的行為は無くなっているわけではない。逆に、クリスマスの例でわかるように、宗教が完全に世俗化して形式化しているのが、日本的なクリスマスでもあり、それをも宗教行為とするのである。そして、それなりの洗練化も進んでいるわけである。さて、特異なキリスト教の例示だけではない。その成立過程も含めて歴史的遡及から古代、中世において超越的第三者による審級が成立しただけではない。そうした、宗教に根ざした社会でのみ、第三者による審級が機能するのではない。超越的第三者は、たまたま宗教が浸透する普遍的な社会においては神であり、神々であり、仏様であるわけだが、部分社会においても、例えばあるアーティストのファンクラブであれば、対象のアーティストが超越的第三者となりえるわけである。また、脱宗教化が進行しているはずの現代においてなお、メディアで占いをやらない日はないし、ヨガとかホットスポットなどが流行っていたりするのも含めて宗教現象であり、神(々、仏)に変わって、そうした中に第三者の審級がたち現れているのである。まぁ、共に何となく「われわれ」よりも上に存在する何かを仮構することで、それによって共同体の統率、統括を機能させるということなのだが、宗教だから分かりやすい、ということで何か安易な設定のようにも思ってしまうのだが。取り敢えず、上記を前提とした上で、オタクについての補論をして、いよいよ1980年代から2000年代に起きた猟奇殺人(オウム、宮崎勤事件、サカキバラ事件、アキバ事件)を分析している。もちろん、第三者の審級ありき、でである。大澤の理論構築はそういう意味でもかなり緻密なので、批判というのはかなり難しいように思うのだ。だけど、まぁ、日本における二大社会学者のもう一人、
宮台真司大先生と対談するのもいいけれど、今度は佐藤俊樹先生とそれこそ論争して欲しい気がする。ということで、次回もちょっとだけ騙ることにして、今日はおひらき。