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2009.03.29
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カテゴリ:法の下の正義
<民主>と<愛国> 戦後日本のナショナリズムと公共性

やっと2割方読了。続けて借りてきましたが、ここ1ヶ月はこの本独占してるわけね失敗

第二章では、丸山眞男と当にこのウィッキのリンクで解説される大塚久雄との戦後民主主義を代表する二大学者の戦中におけるぎりぎりの抵抗と、入隊体験を経た戦後における変節を「第一の戦後」にそって考察している。そしてその当時に、丸山も大塚もともに「近代を超克できなかった」日本に真の近代化を願ったのである。しかしここで提出される近代的個人はどうしてもヨーロッパ的なヘーゲルを下敷きにせざるを得なかったように思う。ただ丸山は「第二の戦後」期における福澤諭吉に関する研究、書として代表的な「文明論之概略」を読むからも分かるように、徳は受動的、受身的なものとして、これについて明治初期までの日本人の大半は上からの抑圧を非主体的に受けているのみで(前近代)、知は能動的、主体的なものとしてこれからこれを大衆に根付かせねば文明(近代)に辿り付けないとしている。近代的個人として、主体的、能動的に知を活用して社会を運営していくこと、そこに責任を自己のうちに主体的に担うことを、近代の「超克」と意味づけたのだった。
南原繁丸山眞男の師匠である。南原は、1946/2/11敗戦後初の紀元節(今の建国記念の日)において、東京大学の総長として「新日本文化の創造」と題する講演で、戦争の敗因として近代的な主体性の確立がなかったことを揚げている。「真の自由」、これぞリベラルというものだが、ヘーゲルが国家に、マルクスが共産主義に、そして南原の専攻であるフィヒテは「民族」に「真の自由」を存在させんとした。この「民族」は「独立の人間」によって構成される。プロシアがナポレオン戦争に敗れたあと、フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行い、個人の自由と民族への愛を呼びかけ、そうした形態の愛国心を惹起する「国民教育」を提唱した経緯があった。南原が敗戦後に「新日本文化の創造」という講演をなすのもこれに倣ったわけで、最も主張するのが、この「真の自由」がための「一個独立の人間」、「利己的享楽の功利主義」とは対極にある概念である。
現在の日本国憲法がGHQ(アメリカ)から押し付けられたものであることもさることながら、当時より第9条については議論が多かった。面白いと言っては語弊があるのだが、当時、この部分に反対していたのは上述の南原の他は、「真の愛国の党」たる共産党であった。その反対理由には温度差はあるが、概ね南原においては、現在でも言われている国際協力としての国連軍への派兵を、当初より念頭におき「すべての武力の放棄」ではなく「侵略戦争」を意図する武力の放棄を明記すべき理由であった。ここに先見性というか、真に先を見据えた考えに基づく、真の愛国者として新しい憲法の作成に積極的に参画する意思を感ずる。保守政党は、GHQからの憲法草案を安易に丸呑みすることで、天皇の責任問題を反故できるとし、自らの責任問題への拡散を回避するがための保身を図ったのである。しかしながら結局、現代においては、自衛隊という偽装軍隊は存在するわけであるし、自衛隊の国際協力のための派兵についても、この憲法9条への抵触から、苦し紛れのような立法で場当たり的にやりすごす姿勢は、それこそ平和ボケ憲法がためではなく、昭和初期から、それこそ戦前から醸成されてきた日本人の「無責任体質」の温存であったと言えるのではないだろうか。真に日本国を愛するがために、この9条に異論した南原は、流石に東大総長その人であった。この時の首相は、吉田茂である。


 グゥーーーーグッド 







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Last updated  2009.03.29 08:26:37
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