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SWEET SWEET HOME

SWEET SWEET HOME

2006 -年下の彼 そして-

そして、時は流れて実はもう2007年。

あれから一年経ち、ビンセントとは結局、

そのままお別れになりました。



実は、ビンセントが言った

「妻に僕たちのことを話そうかと思っているんだ」という

メールを受け取ってすぐに私は「それには反対だよ」メールを返した。


それを彼が読んだ後に、私は彼から離婚が決まったという連絡を受けた。

その時すでに、そのメールのせいで彼は私の気持ちに疑いを持ち出していた。



今思えば、そんな気持ちのままだけど、彼は私に

オーストラリア行きを辞めて、アメリカにおいでよと言った。

彼が学校を卒業して、日本にやってくるまでの間だ。

もちろん、結婚ではない。

だからといって、学生で行けるほど私には貯金がない。

だから観光ビザで行ったり来たりを1年、続けることになってしまう。

でもそれは大きな問題じゃなかった。

好きだったから、大変だけどできないことではないと思った。



でも、もともとワーホリでオーストラリアに行くことになっていた

私の計画。

特に、「コレがしたい!」という目的もなく、

行こうか日本で再就職先探そうか迷う時もあったのに、

アメリカにおいでよ、と言われたとき

当初の計画をを曲げてまで、

お金がないのに無理をして行くことに抵抗を感じていた。

オーストラリアでは合法的に働ける。

そして彼が学生なうえ、とても年下で

安定した人と幸せな結婚をしてほしいと願っている

自分の両親が何て思うだろうと気になった。

こんなにビンセントが好きなのに、

なんで自分がこんなにオーストラリア行きにこだわるのか、

人の目が気になるのか、そのときは自分でもわからなかった。



彼との最後は、かなりグズグズだった。

彼は私の気持ちを疑うばかりになり、私も彼の疑いを晴らすような言葉を

かけることができなかった。

私はきっと、彼が欲しがっている愛情がどれほど深いものなのか

わからなかったんだと思う。

今まで私が経験したことのないほどの、深くて確かなものが欲しかったんだろう。



結局、私は彼に最初、アメリカへは行かないといった。

すると彼は、1年も会わないのは寂しすぎるという。

それは耐えられないから、それなら別れるという。



だから私はその後少し考えて

アメリカとオーストラリアを半分ずつ行くよと言った。

お金がないからね。

そして気持ちのどこかで、両親に向けられる顔が欲しかった。


でも、彼はそれでも意味がないという。

1年、ずっと一緒にいないと自分はダメだという。

だったら別れるしかないという。


だから私は、腹をくくって、アメリカに一年行くことにした。

でも、出発月は2月にした。

このグズグズのせいで私は、当初12月には行く予定だった

オーストラリア行きを延ばして、ずっと東京にいたからだ。

一刻も早く日本を出たかった。

精神的に限界に近い毎日だった。



すると彼は、離婚して一ヶ月もたたないうちに来るのは早いから

できればも春ごろに来れないかい?という。

私はできないといい、事情を話し、彼も了承してくれた。


が、次の日、考え直した彼は私に

アメリカに来るなと言う。来て欲しくないという。

やっぱり一度抱いた私の彼に対する気持ちへの疑念があるらしい。

でも次の日には、寂しいから2月でもいいから来て欲しいという。



そんな会話を数回繰り返した。


いいかげん、もうこの押し問答を終わらせようと思った。

私は気持ちを固めて、彼に「これで最後だよ」と前置きをして聞いた。


次の日、彼が出した答えは、やっぱり来て欲しくない。だった。

だから私は、それならオーストラリアに行くね。と伝えた。



彼はそれが私の本音だったんだろう、みたいな感じだった。

常に向かい合って来てくれた彼には、きちんと答えを返そうと思い

あの日、私は気持ちをきっちり固めて最後の質問をしたんだよ。

と言うと、彼は私の気持ちを悟ったらしく、それなら、と別れを切り出した。



未練たらしいのは私。

私は遠距離は平気だった。

お互い好き同士なら、別れる必要はないし、来年会えると言ったが

彼の決心は固く、それから連絡が途絶えた。


私がオーストラリアに着いて数回出したメールに返事はなく

バレンタインデーに送ったEカードを開封した形跡もなく。


こうして、短い時間にグオッ!と燃え上がった恋は終わったのでした。






2007 -運命- へ続く



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