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カテゴリ:BOOK
本屋で黒塗りの雑誌「G2」(講談社)を見つけた。創刊号である。 黒一色にタイトルロゴというシンプルな装丁で、デザインという点ではわたし好み。ほかの雑誌と並んでいても目立つし(平積みにされていた)、ちょっと厚いけれど開いてみたくなる雑誌だった。 柳美里さんの記事を読む。 柳さんの今回書かれた記事の経緯は、以前から知っていたけれど、柳さんの告白に近い文章とカウンセリングの話は、とても生々しくて、記事の内容に「自分自身」が占拠させてしまった。 このごろ、わたしのハートはむき出して゛、プロテクトをしていないから、いいことにも悪いことにも反応しやすい。とてもナイーブで繊細なんだ。 やりきれなさとともに、こころがズシリと重くなる。 そして、家に帰り、ネットでこの雑誌について検索していたら、この雑誌は、休刊した「月刊現代」の後継誌で、雑誌の内容はサイトで全文公開する実験的な雑誌だと知る。 (この話題は知っていたけれど、わたしはすっかり忘れていた) http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090617/bks0906171753000-n1.htm
検索してみると、ありました、雑誌「G2」のサイト→ http://g2.kodansha.co.jp/
ここでまた、柳美里さんの記事を読み直す。 すると、まったく伝わってくるものが違うことに気づいた。これはなんでだろう。。。。 個人的な感覚によると思うのだけれど、文字の縦組み(雑誌)と横組み(ネット)でまず違う。太宰治の小説を縦組みで読むのと、青空文庫などで横組みに読むのとでは印象が違うように、響き方が違ってくる。 世代の差もあるかもしれない。でも、わたしはやっぱり縦組みに慣れている。ペーパーに印刷されているほうが頭に入りやすい傾向もある。雑誌から読んだ印象が強かったせいもあり、ネットで読むと内容が「軽く」なったように感じられた。 (※追記 いまネットで見られるのは、ダイジェスト版で、全文ではなかった。けっこう「重い」部分はカットされている。全文読むには会員になり・・・とあるけど、イマイチしくみがわからない。印象の違いはそれも大きい。とにかく今回の記事をしっかりキャッチしたいひとは雑誌を買うことですねっ) また、ネットの記事には柳美里さんのお子さんの泣いている写真などもレイアウトの雰囲気からインパクトが違う。雑誌では掲載されていた、こどもの泣いている写真が、あまりにも衝撃的だったので、この差も大きいのかもしれない。 あとは、雑誌を持ったときの重さみたいな物質的な感覚もネットにはない。ページをめくるのとスクロールをしてキーで操作するのは、また違う。所有感が出ない。
近頃、「ハコモノ」行政について真剣に考えることが多いのだけれど、それとちょっと似ている気がした。「ハコ=入れ物・ハードウェア=この場合メディア」と「ソフト=中身=コンテンツ」は、互いに意味を持ちながら存在しているのではないだろうか。 その意味合いについて考えていけば、休刊が続く雑誌メディアの活路も見つけ出せるのではないかなぁ、と素人考えで思ったり。
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Last updated
2009.09.09 16:43:35
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