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カテゴリ:ヤンゴン 雑談×日常
ある日のこと、近辺の家に兄弟おぼしき8歳くらいの子と、5歳くらいの子がいた。
彼らは、周りの人に、「邪魔だからどっか行け」言われていた。 普通と違えば受け入れられない人もいる。 帰る家もなくヤンゴンを彷徨う。 日本にも孤児いるが、たいてい養育施設にいると思う。 ミャンマーにも孤児院はあるが ミャンマーの孤児数は正確にはわかっていないらしい。 ミャンマーの孤児院は、お寺が運営しているらしい。 ただ道に迷うというような生易しいものでなく行き場もなく、彷徨う。 よくレーダンセンター周辺でも孤児をみかける。 なんか胸が痛くなる、考えたことはあるだろうか? 両親に捨てられ、その両親が別々に新しい家庭を持ち、新しい生命が誕生したとき、 どう孤児は思うのだろうか。「なぜ僕を私を愛してくれなかったの?どうして?」 道に段ボールを敷き座っている孤児に僕は自分も似た境遇であるが 彼らは私よりもはるかにつらい経験を僕より幼い頃からしているかもしれない みすぼらしい 確かにそう思う人もいる。 しかし、考えてほしい。両親という有難み。 家族を失った人というのは僕の経験上でしかないが血のつながりのない他人 を大事にする。理由として人に支えられることで、もっと仲良くなりたいと 自分はそう思う。 僕はこのミャンマーで両親というものについて学ぶことができた。 幸せでも普通であっても少しの喧嘩であっても家族がいるだけで 幸せである。自分も失った分、色んな人と出会いたい。 そういう思いでミャンマーに来たといっても過言ではないくらいだ。 自分はそんな風に思いながらうつむき、お金を恵む孤児の前を通り過ぎる……。 そんな自分に本当に分かっているか問い詰める。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.12.14 21:40:51
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