自分は、なぜ文学しているのでしょうか!?
予備校の1学期が先週木曜日に終わったのですが、土曜日には高校に派遣授業、日曜日には予備校のイベント授業があり、結局、休めたのは11日の月曜日になってからでした。今日は、夕方母の病院への付き添いをしたのですが、その間に父が私の妹に「母がいない」という電話をしたり、クーラーの調子がおかしい(実は操作ミス)ので、なじみの電気屋さんを呼んだのですが、「呼んでない」と言い張ったりして、またたいへんでした。最近、感情的になることが多く、どうしたらよいのでしょうか。落ちついて、本も読んでられません。調べたいことがあっても、中断してしまい、やる気がそがれます。しかし、それにしても、なんで私は、文学研究をしているのでしょうか。研究職についているわけでもないし、たんなる文学愛好家にすぎないのに、どうして、作家や作品のいろいろなことが気になってしまうのでしょうか。私が、文学研究がおもしろいな、と思ったのは、1984年ころです。ちょうど、ニューアカデミズムが流行っていたころでした。こんな面白い文学研究というのができるのかということで、飛びついてしまいました。私の学部のときの指導教官は、小森陽一先生です。私は、紆余曲折して大学に入りました。小森先生との出会いは大学2年のときでした。初めて小森先生が教室に入ってきたときのことは今でも覚えています。ラフな格好で、シャツを腕まくりして、ジーパンだったので、はじめ、大学事務の若い人が入ってきたのかと思いました。でも、なんか授業を始めています。あれ、先生なの? というのが初対面の印象でした。それもそのはず、後でわかったのですが、北大の大学院から大学にきたばかりだったからです。私と5歳しか違いませんので、そんなふうに思ってしまったのです。それから、個人的にもいろいろと教えてもらうようになりました。ずうずうしくも、妻と子どもを連れて、先生の家にお邪魔したこともあります。当時私は学生結婚していました。生まれたばかりの子どもが泣いたので、ミルクを作ろうとしたら、先生が作ってくれて、なんと娘にミルクを飲ませてくれました。びっくりしました。私がやりますといっても、平気慣れているから、ということで飲ませてくれました。楽しんでいるようでした。大学院に入ってからも、お世話になりっぱなしでした。院をでるまで、合宿に行ったり、自主ゼミをしたりして、7年間楽しかったです。1985年の秋には、「国文読書会」(前田愛先生を囲む会)に連れて行ってくれました。先輩の石原千秋さんは、その少し後にやってきました。いろいろな文学研究の理論書を読みました。たくさんの研究仲間に恵まれて、幸せでした。前田先生がなくなられてからも、会は続きました。前田先生の葬儀のことは、夏になると思いだします。その後、「国文読書会」で知り合った山本芳明さんらと「大正文学研究会」を立ち上げ、大正のさまざまな文学トピックを研究しました。会の終わった後に、料理とお酒のおいしいお店にいくのが楽しみでした。1990年代の初め、川崎賢子さんに『新青年』研究会に誘われました。そこでもまた、いろいろな人たちに出会いました。研究会での報告結果がそのまま消えてしまうのが惜しいので、『新青年』趣味という機関誌を作りました。現在は、休刊していますが、いずれでると思います。この研究会で、一度、山下武先生をお呼びしました。それが縁で、山下先生の主宰する「参土会」に誘われました。ここでもまたいろいろな方に出会いました。本当に楽しかったです。でも、その山下先生もなくなられてしまいました。悲しいです。こうやって自分の来歴を書いていると、大勢の人たちに支えられているのがわかります。その人たちと楽しい文学談義をしたいから、本を読んで、調べているのでしょうね。