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2005.09.18
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カテゴリ:音楽
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アルバム名と曲名『NO JACKET REQUIRED』(試聴出来ます)
phil collins
発表年/1985年 プロデューサー/フィル・コリンズ、ヒュー・パジャム
【'80年代を代表する一枚】
フィル・コリンズはジェネシスのドラマーとして長年活躍してきたが、リーダーのピーター・ゲイブリエル(ガブリエルは発音的にはおかしいので)とギターのスティーブ・ハケットの脱退でトリオ編成になってからリード・ヴォーカリストとしてグループを牽引した。
そんな彼が'80年代に突入してからは、ジェネシスとしての活動とは別にソロ・アーティストとしても活躍した。'80年代を代表するヒット・メイカーとして、プロデューサーとしてハワード・ジョーンズやエリック・クラプトン、ポール・マッカートニーのアルバムの制作にも関わる活動、ライヴ・エイドではイギリス会場で演奏した後にコンコルドでフィラデルフィアへ移動してレッド・ツェッペリンのバックで演奏したり、映画に出演してサントラに曲を提供したりと話題に事欠くことはなった。
そんなフィルのこの年代でもっともヒットを飛ばしたのがこのアルバムである。2曲の全米ナンバーワンヒットをはじめ、当時大流行したMTVでも連日彼のビデオがオンエアされたのを記憶している。
【このアルバムについて】
1曲目のSussudioからいきなりご機嫌なフィルのサウンド全開だ。ビートが利いているこのナンバーのバックのホーン・セクションは、EW&Fの「フェニックス・ホーン」を起用している。EW&Fは当時はグループとしての活動が休止状態だったので起用したのだろう。正にこの曲をサウンド的に支えているのが、このホーン・セクションであるのは言うまでも無い。この曲のPVもそうした楽しそうな雰囲気が現れていて、英国のパブでフェニックス・ホーンを従えてライヴ風に演奏している。2曲目のOnly You Know And I Knowも前曲同様にご機嫌なナンバーで、ここでも「フェニックス・ホーン」を効果的に起用して曲に厚みを加えている。フィルのドラムスとキーボード、相棒のダリル・ステューマーのギターのリズムを強調するプロデュースはヒュー・パジャムの特徴だ。
3曲目のLong Long Way To Goは、ご機嫌な2曲の後に一端ここでペースを落とすジェネシスっぽい?雰囲気の曲。スティングのバック・ヴォーカルも堪能できる。4曲目のI Don't Wanna Knowでは再びフィルのポップ・センスが溢れる明るいナンバーが戻る。このタイプの曲をフィルは好んで書く傾向にあり、次作でもこのタイプの曲が収められている。
5曲目のOne More Nightは、フィルの代表的な曲でしっとりとした陰影を感じさせるバラードだ。打ち込みのようなドラムスとキーボードが中心のシンプルな編成且つアレンジの曲だが、フィルのヴォーカルもそんな曲の流れを上手く捉えている。この曲は第一弾シングルとして全米1位を獲得したが、PVは1曲目のSussudioと2曲でセットになっている。パブでSussudioを演奏してバンドが、23時の閉店のベル(英国のパブは23時閉店で鐘が鳴ります)と同時に演奏を止める。一人残ったパブでフィルが暗い店内で演奏するシーンがこの曲のPVです。6曲目のDon't Lose My Numberはスティーリー・ダンに似たようなタイトルの曲があったが、ここではフィルのポップセンスが正に全開の楽しいナンバーだ。曲の中で出てくる「ビリー」を中心としたストーリー仕立ての歌詞も面白いが、演奏面でのフィルのビートを利かせたドラムスとダリル・ステューマーの中間部でのギター・ソロもシャープで決まっている。
ヒュー・パジャムとフィルの才能が見事にぶつかったナンバーだ。そしてPVも歌詞に負けず?ユニークで、エルトン・ジョンやデヴィッド・リー・ロス(ヴァン・へイレンのヴォーカリスト)のビデオをパロッタかのようなビデオは大いに笑える。
7曲目のWho Said I Wouldでは再びフェニックス・ホーンをバックに起用している。Sussudioと似たタイプの曲でとてもスピード感に溢れているナンバー。8曲目のDoesn't Anybody Stay Together Anymoreは前曲と似てはいるが、スピード感を多少抑えてフェニック・ホーンを除いたような(判るかなこの意味)雰囲気の曲。
9曲目のInside Outはビートの利いているパートもあるが、中間部でのサックスを入れるアレンジも見事だがアルバム中では余り目立たないナンバー。10曲目のTake Me Homeは発売当時のLPではラストになる。この曲はOne More Nightを少しアップテンポにしたかのような曲。バック・コーラスにはピーター・ゲイブリエル、スティング、ヘレン・テリー(カルチャー・クラブ)が参加している。
コンサートではこれがアンコールの前の曲で、これをフィルが歌いながら一端ステージから消える。PVではフィルが曲を歌いながら世界中をツアーで廻った時のショットがバックに流れる。最初はロンドンで歌っていたフィルが、シドニーやニューヨークや東京や京都でのショットをバックにこの曲を歌う。東京では何故だか新宿駅東口のヨドバシカメラの前で夜遅くに歌っているし、京都のお寺をバックに歌うシーンもある。最後にフィルが車で自宅に戻り、奥さんらしき声が「あなた、どこに行っていたの」と言われて、フィルが「ニューヨークや東京に行って来たんだ」と言うと「あなたパブに行っていたのじゃなかったの?」と言われ我に返ったフィルが「ニヤリ」と笑うというオチでPVが終わる。
CDではラストになるWe Said Hello Goodbyeは、LP時代には収録されていなかったボーナス・トラックだ。もの哀しいピアノ・ソロで始まるが、徐々に盛り上げていくがフィルにしては地味な部類の曲だ。
【ヒット・チャートとグラミー賞】
このアルバムからは4曲のシングル・ヒットが生まれた。中でもSussudio、One More Nightは全米1位を獲得した。更に、Don't Lose My Numberは4位、Take Me Homeは7位と大健闘した。アルバムも見事に1位を獲得し1986年の年間チャートでは9位だった。
グラミー賞では1985年度の「最優秀アルバム」「最優秀男性ポップ歌手」の2部門で授賞した。正にこの年代を代表するアルバムである。

【バック・ナンバー】
1.リー・リトナー「RIT」(1981)
2.ボズ・スキャッグス「MIDDLE MAN」(1980)
3.ジェイ.P.モーガン「JAYE.P.MORGAN」(1976)
4.クインシー・ジョーンズ「THE DUDE」(愛のコリーダ)(1980)
5.サントラ盤「FOOTLOOSE」(1984)
6.ヒューイ・ルイス「SPORTS」(1983)
7.ジョン・レノン「IMAGINE」(1971)
8.フランキー・ブルー「WHO'S FOOLIN' WHO?」(1982)
9.ワークシャイ「OCEAN」(1992)
10.バーシア「SWEETEST ILLUSION」(1987)
11.グロリア・エステファン・アンド・マイアミ・サウンド・マシーン「LET IT LOOSE」(1987)
12.リンゴ・スター「RINGO」(1973)
13.デイン・ドナヒュー「DANE DONOHUE」(1978)


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自己PRコーナー
日記のテーマとは関係ないけど、私のカンボジア・タイ旅行記の写真が完成しました。
是非、暇つぶしにでもご覧下さい。ついでに感想を書き込んで戴けると、とても嬉しい管理人でした。
写真をご覧になれます
第一日目
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Last updated  2005.09.18 21:51:27
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