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love&peace♪マチオの脱力生活日記!

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天使の足跡

 天使の足跡

親愛なるミナへ捧ぐ・・・

 会社での小規模な企画が滞りなく終わったあと、まとまった休暇がとれたので小旅行しようという気になった。最近、交際している男性と口論になったままデート先で喧嘩別れしたため、彼に連絡なしに出かけて心配させるのもいい気味だ、という気持ちもあったのだ。行き先に特にこだわりはなかったが、正月に送られてきたペンションの招待状を思い出し、来年の宛名書きのために年賀状をまとめてしまっておいた小箱を取り出して、その書状を探り出した。

 雪国のペンションの招待状を兼ねた年賀状だ。知人の経営するペンションからの書状で、手書きで“いつでもお出でください。歓迎します”の文字が書かれている。知人という言い方は今では正しい。が、実は以前の私の恋人であり、上司でもあった男からである。

 入社してから6年なんて、あっという間だ。小学校入学から卒業までは、気の遠くなるような長い時間に思えたものだったが。社会に出て、仕事を覚えるまでの1,2年はともかく、3年目からの月日の経つのはあっという間だった。私が入社した19の頃、彼は28歳。役職は無かったものの、若手のリーダー的な存在だった。右も左もわからぬ私に、仕事を進める上での事務処理や手続きの仕方をいちから教えてくれたのも彼だった。

 入社して半年ほど経ったとき、交際を求められた。断る理由はなく、彼に好意を抱いてもいたのでいちもにもなくOKした。学生時代とは違う、大人の恋愛なのだなどと、背伸びをしていたあの頃は自分で思い出してもほほ笑ましく、また危なっかしくもあった。男女が交際する上での必要なことはほとんど彼から教わった。彼は紳士的であり、とてもやさしかった。

 ふたりの交際は、さしたる波風が立つこともなく順調に続いていくはずだった。突然彼から、いわゆる脱サラをして、ペンション経営をしたいという夢を聞かされるまでは。

 彼なりの目算があったのだろう。会社を辞めて、郷里の新潟でペンションを開くのだという彼は、自分自身で貯めた資金と、出資者を募って集めたお金で独立の準備をすでに整えていた。結婚を申し込まれ、一緒に付いて来てくれという彼の言葉に、私はどうしても首を縦に振ることができなかった。私は都会での暮らしに、当時の友だちに、会社での仕事に未練があったのだ。自分の人生をその年で主婦業に決定してしまうことへの抵抗もあった。

 見苦しい愁嘆場を迎える事もなく、引き下がった彼はやはり紳士だった。2週間ほど、毎日のように懇願されたものの、私が断り続け、『どうしても、駄目。ごめんなざい』の言葉に、最後は突然驚くほどあっさりと引き下がった。その変わり身の速さにあきれるというより、正直言って潔いと思ったものだ。気持ちに応えることはできないとしても、やはり私は彼のことを好きだったのだろう。

 引継ぎを終えての送別会。そして郷里に帰る彼を見送りにいった駅のホーム。寂しい気持ちとともに感じていた感謝の気持ちを、私はどうしても言葉にして彼に伝えることができなかった。どうしてだか、今でもはっきりとはわからない。

 郷里に帰り、宿泊業に転向した彼は毎年招待状兼年賀状を送ってきてはいたが、私は返事を出すだけで出かける気にはならなかった。別れたばかりの頃は当然としても、それ以後も何故だか素直に招待を受ける気にはならなかった。なんだかんだ言っても昔の男である、それは当然かもしれない。それに私はスキーが得意ではないのだ。

 しかし今回は何故かふと興味が湧き、思いつくと頭の中で私は計画を練り始めた。彼に(いやペンションに)連絡を入れ、旅券の手配をし、荷造りをすることのすべてを楽しむことができた。彼は帰郷してしばらくした後、結婚して子供をもうけている。今年の年賀状には、健やかに笑う男の子の笑顔が写っていたはずだ。そうであれば、いまさら過ちも起こるまい。彼はもとより私も、もういい大人なのだから。

 * * *

 人づてに聞いた話では、彼の経営するペンションは結構繁盛しているようだ。資金だけでなく、経営術も独自に研究していたのだという。彼のそういう周到な部分に、私は別れた後に気づくことが多かった。付き合っていた頃は、その快適さを当たり前のものと受けとめて、ありがたみを感じなかった。しかし何度か交際相手を変えるたび、彼の細やかな気遣いが幾度も思い出されたものだ。人によってはそういう好意をうっとうしく思う場合もあるが、私は彼の繊細さが好きだった。

 上越新幹線の車内は快適だったものの、ローカル線の到着を待つ駅のホームはひたすら寒かった。気温は思ったより低くはないのだが、見渡すかぎりの雪、雪、雪が私の体温を吸い取っていくように感じた。街の大部分が雪で覆われ、鮮やかな色彩を失ったモノクロームの世界。吐く息が白く染まって周囲に溶けていく。やっと来た電車に乗り込み、十数分で2つ先の駅へ。その後タクシーを使い、1時間近くかかっただろうか。私は目的の場所へやっとの思いで足を踏み入れた。

 田舎に似つかわしくない瀟洒な建物かと思いきや、ペンションはログハウス風の頑丈そうな作りだった。出迎えに出てきた彼の顔を見ても、想像していたほどの感慨は湧かない。さすがに若くないな、と頭の隅でちらと思った。それよりも私の興味を惹いたのは、彼の奥さんと長男の愛らしさだった。奥さんは、なるほどこれなら私が男性なら、一生たいせつにしたい気持ちになるに違いないと思える小柄な童顔の美人だった。郷里に帰ってから、一年も経たないうちに結婚を決めたのだと後から知ったときは、私は彼のその行動を逆恨みする気持ちにもなったが、この人なら仕方がないと思える気立ての良い人だった。
 そしてなんと言っても、私の心を奪ったのは、彼の長男の陽(あきら)くんだった。北国の子らしい真っ赤なほっぺに愛くるしい笑みを浮かべて歓迎の意を表わしてくれる彼に会えただけで、私はそこまでの長旅の労を忘れる思いだった。

 荷物を部屋に運び入れてもらった後、私はロビーで嬉しい発見をした。もはや完全に“お父さん”の顔になってしまっているオーナーに多少の落胆に似た気持ちをも抱いていた私は、その若者の逞しい雪焼けした顔立ちを見て、ひと目で気に入ってしまった。アルバイトの厚治(こうじ)くんだった。地方都市の某美大に通っていて、将来は写真家志望なのだと、まぶしい笑顔で彼は語ってくれた。ペンションのロビーや階段の踊り場に飾られている野生動物のスチール写真は、彼の撮ったものだ。都会では稀にしか見られない野生動植物の姿を、彼の写真は効果的なアングルで捉えていた。私は東京に残してきた自分の彼氏と厚治くんを遠慮なく比べてみて、ルックスではほぼすべての部分で“負けた・・・”と思った。そのときに頭の中で念じた、彼氏をかばうためのフォローの言葉が果たして申し訳になったかどうか・・・?

 ゆっくり休み、昼食をいただいた後にゲレンデに出た。スキーは高校の修学旅行以来。うまくいくはずもないが、滑るだけでなく転ぶことすら楽しいと言えば、楽しい。ゲレンデに咲いた花のような色とりどりのスキーウェアが、斜面を滑り降りてくる情景を眺めるだけでも、楽しい。白い雪の敷き詰められた斜面は、まるで雲上の景色のようだと、高校の頃と同じ感慨を抱いた。

 普段使わない筋肉を酷使した後、私はスキー道具を担いでペンションに戻った。入り口の前まで来たときに、ふいに横方向から雪玉が飛んできて、私のウェアにぶつかった。雪玉の飛んできた方向を見ると、髪をおさげに結んだ、赤いほっぺたの小学校一年くらいの女の子と目が合った。どうやら雪合戦をしているらしい。確か、同じペンションに宿泊している比較的若い夫婦のお嬢さんだったと記憶している。ご両親にロビーで会釈したことをおぼえていた。

 屈託ない笑顔に、童心に返ったわたしは、『やったな!』と小さく叫ぶと、スキーの道具を道の脇に突き立てて、足元の雪で雪玉を握り、彼女に投げ返した。  次の瞬間、背中に雪玉が当たった。振り返ってみると、陽くんが歓声をあげながらこちらに雪玉を投げつけてくる。子供たちふたりに挟まれた私は、一方的にやられっぱなしだった。もとより子供相手に本気で投げるつもりはなかったが、顔に直接あたるとさすがに頭に血が上って大声で文句を叫ぶ。子供たちはそれが面白くて、なおさら真剣に雪玉をぶつけてくるのだ。

 私が『降参、降参』と言って両手を上げると、ペンションから厚治君が出てきて、雪だるまを作ろうと提案した。子供たちふたりに異存のあろうはずがない。私も手伝って、私の郷里では絶対に作ることのできない大きさの巨大なスノー・マンを4人がかりで作り上げた。厚治君が、雪だるまの前に並んだ私たち3人の記念写真を撮ってくれた。そして私と女の子(絢ちゃんという名前、小学一年生だった)に送ってくれると約束した。

 * * *

 不思議な現象を目にしたのは一泊した翌日のこと。朝遅くに目が覚めて2階の廊下の窓から外を見下ろした時だった。白く積もった雪の上に、点々と足跡が付いていた。それ自体は不思議でもなんでもない。不思議なのはその間隔だった。足跡はふたり分あり、二列に並んだその足跡は、一歩一歩の距離が、信じられないほど離れているのだ。1.5mから2m、場所によっては3,4メートルくらい離れている箇所もあった。良く見るとその足跡は、小さな子供の靴の大きさのようだった。小さな子供が、3,4mもの跳躍力を備えているだろうか?ましてや、足場の悪い雪の上である。どう考えても無理だ。

 ちょうどそのとき、階上へ登ってきた厚治くんと出会ったので、足跡を示しその理由を訊ねてみた。彼の返した答えは次のようなものだった。

『ああ、あれ?ちっちゃな天使がふたり、飛びたつ練習でもしていたんじゃないですか?』そう言って彼は笑った。雪焼けの肌に白い歯が、まぶしい。

 朝のその時間に彼が言ったのでなければ、吹きだしていたかも知れない。しかし彼の言葉は、少なくとも目の前の現象を的確に説明しているような気がした。そう、翼の生えた天使がふたり、手をつなぎながら雪の上をぴょん、ぴょんと飛び立つ練習をしていたような足跡のつきかたなのだった。跳躍の歩幅はふたつの足跡でかなりの差があった。跳躍の上手な片方の足跡の主に教えてもらいながら、もうひとりの下手っぴぃの方が、一所懸命に飛び跳ねている風情だ。朝のまぶしい光の中で、彼のその言葉は説得力を持つように思えた。いたずらっぽい笑みを浮かべて立ち去りかけた彼を、なるべく可愛らしく見えるように睨んだ後、私は階下へ降りることにした。とても空腹だったのだ。

 * * *

 連泊を楽しんだ後、予定通り私は帰ることにした。あの足跡の謎は、改めて訊いてみようと思いつつ忘れてしまっていた。帰京した後に、手紙やメールで問い合わせるほどの事でもなし、不思議な体験をしたということで心にしまっておくのも良いかな、と思えた。

 謎のままにしておこうと思った足跡の謎だが、その後雪国育ちの友人にそのことについて訊ねる機会があり、謎は文字通り氷解した。
 “しみ渡り”というのだそうだ。雪が降ったあとの晴天の日の翌日、夜の気温が極端に下がると、積もった雪の表面部分がカチカチに固まり、小さな子供なら雪の中に足を沈めずに歩けるようになるのだと言う。これは晴れた日なら午前中の限られた時間だけ、それもバランスに気をつけないと、足が沈んでしまうのだ。ちょうど私がペンションの二階から見たように。友人のその話を聞いて、わたしはふたりの子供たちに思いいたった。陽くんと絢ちゃん、まだ幼いふたり。おそらく陽くんが、絢ちゃんに染み渡りの秘密を教えていたのだろう。都会から来た年上の彼女に、雪国ならではのとっておきの秘密を教えてあげているときの彼の得意げな顔が思い浮かぶ気がした。そう、絢ちゃんの方は慣れていないので、ところどころ足跡が残る結果になってしまったのだ。なるほど、わかってしまったらなんてことのないことだったのだ。

 * * *

 今、自室でくつろぐ私の前には一葉の写真がある。私と陽くんと絢ちゃんが、雪だるまを作り終えたときに厚治くんが撮ってくれたものだ。背高のっぽのスノー・マンの前での記念写真をぼんやりと眺めながら、私は思う。やっぱりあの足跡は、ふたりの天使の残したものだったと。とてもちいさな彼氏と彼女の、そして自分の屈託のない笑顔を写真の上にながめながら、私は目を細めてほほ笑んでいる。

 ※この作品はキリ番5000GETを記念してミナ4784のために書きました。キリ番のプレゼントにふさわしいよう、足跡をモチーフにした作品です。



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