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マチオの脱力生活日記―非健常者立志篇―

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2005/09/17 楽天プロフィール Add to Google XML

映画“ベアテの贈り物”
[ カテゴリ未分類 ]    

 女性は概ね、非論理的である。筋道立った論を重ね、それを言葉にして他者に理解させることが苦手である。…と、オレは思っている。

 これは体験から得た感覚なので、そう間違っていないんじゃないかなぁ?読み聞かせ会の反省会兼次回の打ち合わせでも、年配の女性のなんとなーくの阿吽の呼吸で、すべてが決まっていく。女性が多く集まると、その場の雰囲気でだいだい、曖昧にものが決まっていくものだ。男性のオレとしては、いつも何か釈然としないものが残るものなのだが、組織としての調和はみごとに保たれている。

 女性と相対して、あるいは電話で話していても違和感を感じることは多い。女性と話していて、『はたしてこの人は何が言いたいのだろう?』と疑問に思うことが多々ある。論旨がはっきりしないのである。女性と話すときの多くの場合、会話の内容を把握しきれない。話題がころころ変わって、結局何がいいたいのだろう?と釈然としないまま延々と話を聞いていると、こちらの頭脳の処理能力をゆうに越える枝葉末節が次々と繰り出されるのだ。会話の冒頭に出てきた話題が、5分も話していると、言い出した本人が忘れている、ということもしょっちゅうだ。女性との会話は概ね、だからオレにとっていつも疲れるものだ。

 女性は男性に比して、非論理的であり非合理的であり、ひとつの結論を矛盾なく導き出すことに長けてはいない。その点で男性は、女性より勝っているのだ。…と言ったら、多くの女性読者の怒りを買うだろうか?

 実際、これらのことはオレの実感として心にあったことであり、2,3年前までは口に出すべきではないこととして、敢えて触れなかった部分だった。女性は不等に貶められるべきではない。しかしながら、女性性の中に、公に議論しものごとを推し進めていく上で、乗り越えがたい不利な点がある、と当時オレは認識していたのだった。

 一方で、男性的な手法で、女権拡張を唱える論客への違和感もあった。『男に負けるな!男に追いつけ追い越せ!』とスローガンを叫び、男性性を否定しつつもその論や態度は男性の、あまり誉められたものではない部分をコピーしたものだという例は、女権拡張運動家の典型的な姿のひとつとして認識されているだろう。これもまた、オレにとってはいただけないものだった。

 現時点で、女性はやはり公の場で発言し、その力を振るうことにおいては圧倒的に不利なのである。そしてそれはまたやはり、女性の持つ非論理性・非合理性に負うところが大きいと感じる。

 さてではオレは、女性は男性より劣っているということを言いたいのだろうか?決してそうではない。女性の持つ特性を活かすように、少なくとも今の日本の社会は出来上がってはいないのだ。それは、男性主体の社会が延々と続き、また女性が不等に貶められ虐げられてきた歴史のせいでもある。

 女性が公の場で力を振るえないのは、社会に女性性を受け入れる余地あるいは素地が無いからだ。いまだに男性側に、極端に偏った社会であることは否定できない。男性的な手法というのは、できるだけ無矛盾であることを理想とし、例外を認めたがらない。一方女性の、論理より情緒性(人情と言えばいいか)を重んじる考え方・感じ方は、広く浅く物事を捉え、一括で効率的に処理することには向かないが、ひとつひとつを個別に検証し、人間の心情に叶った対処を行うことに関して優れている。一長一短なのだ。男性性に比して、女性性が一方的に劣っているように感じるのだとしたら、それは男性主体の社会に慣れ、そういう合理性やものごとの効率を至上とする価値観を享受している証なのだと思う。

 一部の聡明な女性たちは、現社会が男性的な手法または思想あるいは手続きしか受け付けない現実を認識して、自ら男性的に振る舞うことで、自らを活かす道を見出している。そのような立場を採る女性たちが、男性性の嫌悪すべき一面に無自覚であるとは考えにくい。女性でありながら、男性的な思想・姿勢に身を染めなければ、大胆に言ってしまえば、人間扱いされない面を、今の社会は残していると言える。それは社会の側の不手際であり、男性が責任を負うべき部分が大きいだろう。

 矛盾を嫌うはずの現在の男性偏重の社会が、多くの矛盾や顧みられるべき課題を多く残しているということは、男性性が無批判に女性性より優れているとは言えない、という何よりの証だろう。今の社会は、最大多数の幸福を前提としている。だから、少数派が顧みられるためには、多くの時間と労力を費やさなければならない。国という大きな単位でものごとを決めていく際に、最優先なのはそれぞれの必要の度合いではなく、どれだけ多数を占めるか?ということなのだ。マイノリティに多く矛盾や忍耐を強いる現社会に疑問を抱く者であれば、今だ男性主体の現社会の歪な構想に敏感にならざるを得ない。

 さて、女性の持つ非論理性というか、論理より情緒・人情・感覚を重んじる姿勢は、巨大な組織あるいは社会単位を一括で大きく動かすことには必ずしも向いてはいない。少なくとも現時点では、女性性を活かせる仕組みや枠組みができていない(というより、想定すらされていない)のだ。この先、社会が女性性を受け入れるとき、司法・立法・行政そして会社などの公的組織はいずれも、大胆なシェイプ・アップを迫られるに違いない。情緒または人情を公の場に大胆に持ち込むことは、非効率であることを受け入れざるを得ないからだ。女性の情緒偏重のものの考え方は非効率的である。しかしながら世の中には、概括して論じるべきではないさまざまな問題が山積している。最大多数の幸福を理想とする姿勢を変えないかぎり、マイノリティの急を要する案件は、少数派というだけの理由で後回しにされ続けるに違いない。

 “ベアテの贈り物”を観て、現在までの女性の権利獲得への道程に、非常な困難と女性の嘆きの歴史があったことを感じた。しかしながらそういった不遇な歴史、道程を含めてさえ、これからの時代を築く女性たちは祝福されていると感じる。困難に立ち向かい、自ら求めるものを自分自身の手で手に入れた者たちは、揺ぎ無い力を得るものだ。また、虐げられ続けた歴史は、社会的弱者の立場に立った変革を促すものとして、社会をよりよく変えていく力になると信じる。

 言うまでもなく、女性は男性のコピーをする必要はない。お互いを否定し、糾弾しあうこともない。お互いに足りない部分を補完し、両性がお互いの特性を認めあい支えあう社会作りを切に望む。おそらくこれから起きるそういった変革のイニシアティブは女性が握ることになるだろう。自らが女性であることを心から素直によろこび、女性性を隠すことなくおおらかに発揮するヒロインが、きっとこれから50年先、100年先に現れるのではないだろうか。そのことが、とても待ち遠しい思いだ。


Last updated  2005/09/19 04:03:41 PM
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