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マックの文弊録

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2009.01.06
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カテゴリ:小言こうべえ
◇ 1月6日(火曜日); 旧師走十一日 辛亥; 東京消防出初式、高崎だるま市

「金融経済と実体経済の乖離」という言葉がある。
記憶ではこの言葉を初めて聞いたのは昨年の9月、所謂リーマンショックが騒がれた時だ。麻生首相がテレビの記者会見などでしきりに口にしていた。僕はそれまで「金融経済」などという言葉を聞いたことが無かったので、「へぇそんなものがあるのか!?」と驚いたことを覚えている。無論金融という分野には僕自身は門外漢なので、ひょっとしたらその世界では当たり前の言葉なのかもしれない。
皆さんはご存知でしたか?

しかし、それ以来色々な人間が事あるごとに「金融経済と実体経済の乖離が問題なのだ」という主旨のことを言い出すに及んで、「これはおかしい!」と強く感じるようになった。

金融経済というのは、とどのつまり株価や為替などの変動によって、それを売り買いしたり、決算や資産評価に組み入れた結果、利益を生んだり、或いは損をしたりする事を云うのだろうと思っている。
それに対して、実体経済というのは、実際にものやサービスの生産や売買に関わる分野のことを言うはずだ。乱暴かもしれないが、それで概ね正しい理解だろうと思っている。
そうならば、「経済」とは本来実体経済でしかない。

実際時事英語で調べてみると、実体経済は「Real Economy」というそうだ。金融経済は、「Financial Economy」と言うのかもしれないが、何となく同語反復のようでしっくりしない。僕が調べた範囲ではちゃんとした訳語は見当たらなかった。
ならば、「Real Economy」に対して「Unreal Economy」と解釈するのが適当じゃないか?「金融経済」などという「新語(?)」が出現した所為で、本来単に「Economy」だけで済んだものを敢えて「Real Economy」と呼ばなければならなくなったんじゃないだろうか?

元々「経済」などというものは人が社会という環境に生きるようになって以来、「生業」として生まれてきたごく自然な行為、或いは活動である。それが、生活圏が拡大するにつれて、単純で素朴な物々交換が多岐にわたるようになって、全体として「富」という概念が生じた。更に域際的、国際的に拡大していく過程で、その流通や分配のしくみとして体系化されるようになったのだと思う。
体系化といっても、元々人間の素朴で自然な社会行為なのだから、主義や主張と云った主観的である意味恣意的なものが入り込む余地は大いにある。それが嘗ては共産主義とか資本主義などと云われて、国際対立の軸にもなった。つまり、経済又は経済学は本質的に従来の自然科学とは同一には語れるものではなく、どう解釈するか、どう向けるかという意思の対象である。

それを本質的に崩したのが、所謂「グローバリゼーション」だ。その根底には、移動や通信手段、もっと広くにはコミュニケーション手段の進歩と国際化(所謂ボーダーレス化)である。
これによって、様々な異文化や異なる環境が混合されるようになると、共通のメディアが必要になる。このメディアには、言語はもとより、通貨や更には経理上の共通ルールなどが含まれる。要するに汎世界的な符号の出現である。

言語では英語が、そして経済の世界では主要通貨といわれる「符号」が使われるようになるのだ。
通貨という符号は主なものに米ドル、ユーロ、ポンド、円などがあり、相互は為替レートという変動ルールで連結されている。この点では言語とは少し事情が異なる。

さて何であれ共通符号化されると、その符号は一人歩きを始める。局所的にはある会社の時価総額や、色々なものを証券化されたものも、これまた符号の一種だ。
符号であるから、抽象概念である。抽象概念であるから符合相互のやりとりも可能であり、そこでの損得も生じる。そこに着目して儲けようと始まったのが所謂「金融経済」というものの正体であると思う。つまりは元来は抽象的な世界での損得勘定の営為に過ぎない。
だから元々「Unreal」であるのは当然なのであり、噂や感情などに左右される極めて脆弱なものである。

だから、「金融経済」は、実体経済(つまり本来但し書きの無い「経済」)と乖離する宿命を本来的に持っているのであり、それを防止したり改善するのは、それらの制御を担当すべき政治や金融界首脳の責任である。
だから彼らがこれを大げさに驚いたり問題視したりする、ましてやこれを口実に雇用、融資、課税などの措置を採るなどは言語道断だといえる。

日本を代表する規模の企業は、「金融経済が実体経済に影響を及ぼした所為で」(上記により、こんな議論は噴飯ものだと思う)業績は甚だしく悪くなった。従ってやむを得ず・・・・などと云われると「なるほど」と思ってしまうのがいけない。
上記のような企業は赤字であっても手持ち資金は潤沢に持っている。実際に上記によって大きな影響を受けるのは、大企業の傘下で活動せざるを得ない下請けなどの中小零細企業であり、更に弱い個人である。
政府に金が無いことは事実だけれど、こういう滞留資金をどう社会に還流させてまじめに働く中小企業や、経済弱者である人達の生活を下支えするのは、当然政治や金融の世界の首脳たちの責任だし義務である。

ところがマスコミを始め、そういう論調がまるで見られないというのはどういうことなんだろう。
我々は、錯綜したり混沌とした状況に名前が付けられ、その「言葉」を覚えるとそれで納得してしまうところがある。

「金融経済と実体経済」なんて、漢字が一杯含まれたもっともらしくも、耳新しい言葉を聞かされて、分かった積りで納得していてはいけないのである。専門家でも無い僕の乱暴な意見かもしれないが、本当にそう思う。


明日はもう七草。
己丑の年ももう松が取れる。





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最終更新日  2009.01.07 20:48:56
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