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マックの文弊録

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2009.10.12
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◇ 10月12日(月曜日) 旧八月二十四日 庚寅(かのえ とら) 先勝: 芭蕉忌、体育の日

【厚木憧憬】 - そろそろ
コスモス(2)今まで色々厚木について独りよがりの勉強をしてきた。そろそろ一応の締めくくりをつける頃合かもしれない。余りしつこく厚木をあげつらうと、温和でありながら奥底では誇り高い厚木人の逆鱗に触れて、身辺に危険が及んでしまう不安がある。

厚木の街には鉄道駅は二つしかなく、人口に較べて鉄道駅の数が少ないことは前にも書いた。
二つの駅(本厚木駅と愛甲石田駅)はどちらも小田急線の駅で、都心(新宿)と小田原や箱根と、東西方向を結ぶには便利だ。それでは、南北方向を結ぶ、特に厚木から湘南方面に行くにはどうするかと云うと、JR相模線(茅ヶ崎~橋本)というのがあって、これにはちゃんと厚木駅というのが有る。ところがこの厚木駅は厚木市ではなく相模川を隔てたお隣の海老名市に存在しているのだ。
又もや厚木には存在しない施設に「厚木」の名前だ!件の厚木人の畏友にそれを指摘すると、「フン!あんなものは川向こうで厚木じゃないし・・・」とつれない。

僕などは、他所に有っても厚木という名前がつけられているのは凄いじゃないかと思う。厚木ナイロンは海老名市に、厚木飛行場は大和市と綾瀬市にあるのに、それぞれの土地の名前は無視されて厚木の名前を被せられているのだから、厚木人としては大いに喜んで良いだろうと思う。しかしながら、その辺は厚木人には中々複雑な思いがあるらしい。だから厚木人はJR厚木駅を認知せず、実際に厚木にある小田急の駅には「本当の厚木」、つまり本厚木と命名している。これは「川向こうはニセの厚木」というココロである。

そのくせお膝もとの厚木の街はハレの日に晴れ着を着て行く場所などではなく、単に新宿や湘南地域への通過点位にしか扱われていないのだ。友人の厚木人も子供の頃は、「川向こうのニセの厚木駅」から相模線に乗り換え、茅ヶ崎経由で横浜に行って、高島屋で「デパ食」に行ったり玩具を買ってもらったりするのが、ハレの日の大きなイベントであり楽しみだったそうだ。厚木の街の影は薄い。

どうも屈折した話だが、それでも厚木人の心根には密やかな誇りがあるもののようで、僕などが余りに「シロコロ、シロコロ」というと、「あんなゲテモノばっかり有名になって」と、自嘲的な中にもまんざらでも無い表情を、件の友人などはなさるのだ。
厚木人は、左様に複雑でデリケートな方々だから、余り調子に乗って揶揄し過ぎると剣呑である。

そうなると、天下に昂然と自慢できる厚木の誉れは無いのかと云うことになるが、実はこれがある。
厚木は実は財政的に非常に豊かな街なのである。

以前このブログで「都道府県の財政力指数」というのを取り上げたことがある。財政力指数とは簡単に言えば、自治体の年間支出に対する収入の割合のことだ。
つまり、財政力指数が1だと、その自治体は収入と支出のバランスが取れていることになり、1を上回れば財政上黒字と云うことになるのだ。逆に1未満だと従って赤字と云うことになり、国の地方交付税の交付対象となる。つまりは「お国の紐付き」となるわけだ。
厚木は1964年(昭和39年)以来今日まで45年もの長きにわたって、地方交付税の不交付自治体、つまり自主独立の財政団体としての輝かしい歴史を持っている。

その厚木の財政力指数であるが、平成18年度は何と1.47であった!
同年の神奈川県下市町村の財政力指数の平均は0.86、全国の都道府県平均は0.46であったから、厚木市の財政は神奈川県内のみならず、全国の中でもトップ10に入る極めて健全なものなのだ。

「小江戸訴求」において厚木市がライバルと看做す川越市は、同年の財政力指数が1.07であったから、財政の健全度と自治体としての自主財政という面からは、川越市ではなく厚木市の方に堂々の軍配が上がる。

厚木市の人口は22万人余り。標準財政規模は532億円超であるから、単純に計算すれば平成18年度の厚木市の収入は782億円で、年間250億円程度の財政黒字となる。これは赤ちゃんから老人までの全厚木市民が、一人あたり年間約11万円の利益を上げていることにもなる。

ところで財政力指数は過去3年間の数値を平均して算出される。
昨年の秋以降の経済・金融大不況の影響は、勿論未だ上の数字に反映されていない。厚木市内に著しい「シャッターストリート化」の影響なども、その後の数字にどのように反映されているかは未だ測り難い。現在の状況は、実は中々楽観を許さないのかもしれない。
であるにしても、全国の殆どの自治体が永続的な財政赤字の中で低迷している中で、厚木市の健全財政の長年の実績を、厚木人としては大いに誇って良いし、又厚木の街の潜在力にも自信を持って宜しかろうと思う。

さて、今まで概観してきた厚木について、幾つかのキーワードを抽出してみよう。

◎ 厚木は、相模川を母、大山を父として発展した、元来「通過型」の街である。
家鴨の足の形に似た厚木市の地図を見れば、厚木の街が大山に至る街道と相模川の流路を軸に出来上がっているのは明らかである。だから街に「へそ」は無いし、もっと言えば独特の文化も史跡もない。あるのは自然の地形と古来の民間慣習の流れである。
しかし、これは悪いことではない。山と川が美しい事を山紫水明という。そして現在を規制する中央指向の過去(歴史)が無いことは、将来に向けて自由な発想が出来るということでもある。

◎ 厚木は、わが国の梵鐘製作のメッカであった。
平安時代まで梵鐘の鋳造は京阪奈地帯が中心であったが、鎌倉時代になると各地に鋳物師が分散移住し、厚木の属する相模地方には特に優れた鋳物師が移ってきた。その結果厚木は日本一の梵鐘製作地になった。この事実を殆どの厚木人は知らないか忘れてしまっているようだ。これを街興しに利用できないものか。寺院の鐘の音の響きは、現代の「癒しブーム」の流れにも乗るものだし、何より「日本一」というのは価値がある。
梵鐘の素材は銅と錫の合金である。この二つの金属の配合、溶融温度、成型などは工業技術の分野であるが、梵鐘をどうデザインすれば、或いは何処にどのように帯をつければ、余韻の深い美しい音が出るかは、これは工業と芸術の融合した領域である。伝統というものもないがしろにして良いものでは無論無い。
幸い厚木には、こういった分野に近い大学が(神奈川工科大学、東京工芸大学、厚木高等専修学校)設置されており、「学園都市」という面も持っているのは前にも書いた。この辺りと地域に根ざした相互連携を考えて、厚木振興の作戦を考えてみたらどうだろう。渡辺崋山の「小江戸」に頼るよりよほど実質的意義があるような気がするのだが。

◎ 厚木は、養豚業が盛んだった。
コスモス(6)無論現在は、前に述べたように養豚業そのものは殆ど東北地方などに移っていってしまった。しかし豚肉の加工技術と食の伝統はちゃんと厚木に残っている。「とん漬」、「シロコロ」がその例だが、前者は生活臭が強すぎ、後者は老若男女に遍くウケルものでもなく、それぞれに訴求力が今一つだ。
実は厚木にはもう一つ「厚木ハム」というものがあって、ドイツ直伝の技術を駆使して作られたハムは、本場のドイツで賞を貰うほどだという。しかし厚木ハムは個人の職人さんが努力していらっしゃるレベルで、街を活発に又元気に出来るほどの存在ではない。ハムやソーセージは好きな人も多いし、何よりある層に嗜好が偏らない。菜食主義者で無い限り、老若男女貴賎貧富を問わずハムやソーセージが「大っ嫌い!」という人は見かけない。この厚木ハムを、同じ豚肉の加工技術の賜物として、とん漬けやシロコロと共に厚木の特産としてプロモートしていく作戦はどうであろうか?原材料ビジネスより付加価値加工ビジネスは、厚木人のみならずわが国の得意とするところであるし、「厚木のトングルメ」としてのオファーの幅も大きく広がるはずだ。それに再び、厚木には東京農業大学の厚木キャンパスも設置されているのだ。

◎ 厚木には温泉地が七つもある。大山詣の伝統もある。これを魅力あるものとして再開発する作戦はどうか。ここでも神奈川県初の観光文化学部を擁する松蔭大学のキャンパスが厚木市森の里にあるではないか!
例えば七つの温泉と大山(観光)詣、それに市内の森林公園などの観光・休養施設を様々に組み合わせ、相互にリンクさせるような工夫をして「ぐるっと厚木一巡り」などとルートマップ化するなどどうだろう?

◎ 厚木の街は道路のせいで東西に分断されてしまっている。良く整備された広域道路網が仇になって、市内には慢性的渋滞も生じている。これを物理的に解消しようとすると、道路の新設やモノレールの建設など大袈裟なことになってしまう。厚木は前に述べたように、インターネットの導入など先進的な試みに積極的な街でもあったはずだ。だからハード面ではなくソフト面で大いに工夫してこれを解消できないだろうか。例えば、駅を中心に放射状に延びるバス路線網それぞれの要所々に、ハブとなるべき場所を作り、ハブ間のミニバスやシャトルバスの運行を行なって、公共交通だけを実質的な環状路線網にしてしまうなど。

◎ 厚木には存在していないのに厚木の名を称する施設や団体を、厚木のために大いに利用させてもらう。
これはどうしたら良いのか。まさか「名前使用税」とかロイヤリティを徴収する訳にも行くまいし。ま、おいおい考えてみよう。

いずれにしても厚木は「線」の街である。要となる文化的歴史的な「へそ」が無いと嘆くのは、無いものねだりで致し方ない。それなら線と線を結んで平面にすれば良い。平面まで行かないでも、別々の線を縦横に結んで蜘蛛の巣(Web)のような展開を計れば良い。厚木は本来様々な人やものが通過し、又交差する街である。

そうすれば厚木本来の地の利、人々の心根、自然の配置を活かして、面白くも魅力的な街づくりが出来そうな気もするのだが、如何なものであろうか。

厚木も厚木人も共に不思議な魅力がある。何だかいつの間にか僕にとってはそうなってしまった。
地縁も無い門外漢のくせに色々お節介を焼きたくなるが、これからは「私製厚木語辞典」を気が向いたときに掲げながら、彼方から、しかも幾分斜めの方角から関わって行きたいと思うのである。
《とりあえずの締めくくりにて》





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最終更新日  2009.10.15 22:04:29
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