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マックの文弊録

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2010.01.07
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カテゴリ:よもやま話
☆ 1月7日(木曜日) 旧十一月二十三日 丁巳(ひのと み) 先負: 下弦、七草、人日、太宰府天満宮うそ替え

【人日】
「じんじつ」と読む。
これは一般には余り馴染みがなくなってしまったけれど、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽(菊)の節句と共に、五節句の一つである。

お正月があけると色々な行事が続く。殺生を諫めるという日も続き、元日から順に、鶏、狗(犬)、猪(豚)、羊、牛、馬を殺してはいけない日とされてきた。だから元日に鶏を絞めて、きりたんぽ鍋を拵えたり、三日にしし鍋や豚のしょうが焼きなどをいただいたり、五日にすき焼きや牛しゃぶをしたりするのは、本来余り勧められない事だったのだ。尤も殺すのはいけないけれど、予め精肉にしておいたのを戴くのは良いのだと、理屈をこねる事は出来る。

そして七日目は、いよいよ人を殺めてはいけない日とされ、犯罪者に対する刑罰の執行はしない事になっていた。だから「人日」である。

今はこんな事を気にする人も、知っている人も居なくなってしまったが、この節句の別の行事、つまり「七草粥」を戴く風潮は、最近になって殊更に復活してきた様子だ。
冬の厳しい寒さの最中にも、めげずに青い葉や新鮮さを保っている野菜や根菜を戴いて、人間にも自然の元気を戴こうというのは、この頃の「自然回帰ブーム」に良く馴染むのであろう。最近はスーパーなどにも「七草粥セット」として売られるようになった。

私も七草粥などという「枯れた」ものではなかったが、青々としたセリをいっぱい入れた「きりたんぽ鍋」を作って戴いて、人日の節句をささやかながらお祝いした。
鶏は薩摩地鶏(結構なお値段だったが、流石に肉が締まり、こくがあって美味しかった!)、スープは比内鶏からとったもの、きりたんぽは秋田からの到来もの、セリとささがき牛蒡は地元埼玉産と、全国各地ごたまぜだったが、今は流通システムが進歩したからこういうことも出来る。
無論しきたりを尊重して、人を殺めたりする事は遠慮して(!)しなかった。

人日の節句には又、七草を煮た汁に、手足の爪を浸して、柔らかくしてから爪を切ると(爪の切り初めだな)、その年は風邪を引かないという言い伝えもある。

昔からの風習には怪しげなものも多くあるけれど、先人の智慧の集積という面も大きい。何より合理化とか近代化とかいう、普段我々が翻弄され続けている面にひと時背を向けて、ご先祖たちの生きた環境や生活に思いを致してみるのも、意味のあることだろうと思う。

人日も含め、五節句は中国起源の習慣で、わが国には平安時代に伝来し、江戸時代に定着し、昭和が終わって殆ど忘れ去られた。


【政治資金問題】
藤井さんが健康上の理由で財務大臣を退き、菅さんが後を襲った。
谷垣さんは、「健康上の理由なら仕方が無いが、閣内の軋轢や軋みがその原因になったとするなら問題だ」と、よそ様の健康まで政争の種にこじつけようとしている。情け無い話だ。

「藤井さんは、初めての予算作りで、さぞかしご大変なご苦労をなさったのだろう。ご自愛第一。ご自身のみならず後進のためにも、この際ゆっくりご静養に意を砕いていただきたい。変わって後任の方には、予算審議に齟齬を来たさないよう、大いにご奮闘願いたい。」とでも言っておけば、かつて永きにわたり、政権担当政党として君臨した老舗政党の、度量と自信を誇示できることにもなったろうに。
又谷垣さんご自身のラッキョウ顔にも、多少の品格と威厳が備わることにもなったろうに。
これじゃまるで自ら望んで、文句ばかり言い立てる「並みの野党」に堕ちようというようなものだ。谷垣さんもひょっとしたら長くは無いな。

由紀夫さんは、お母さんからお金を戴いて、政治資金としたようだ。
実は、弟の邦夫君も、同様にお母さんから資金援助を仰いでいたそうだ。
お母さんは、「お腹を痛めた我が子が苦労しているのを見れば、母親として助けるのは当然だと考えました。」という趣旨の説明をされたそうだが、それはその通りだ。
由紀夫さんも、これが明らかになったら四の五の言わないで、「生前贈与」として認め、後付ながら相続税を支払ったという。

これはむしろ美談じゃないか。
金額が兄弟それぞれに10億以上というのは、庶民感覚を遥かに逸脱しているが、それを理由に色々論うのは、これは僻みだ。そういう人に限って、もし自分が同じ立場だったら、あれこれへ理屈をこねて、逃げ回るに決まっている。
私はそんな立場になる気遣いは全く無いけれど、素直にそう思う。第一日本を束ねる総帥の立場にある人、及びその一族はこれ位の財力が有っていいじゃないか。結果として、国庫にも6億円という税収があったのだ。これはむしろ「Noblis oblige」の一つの例とも言っていいとすら思う。
ところで、由紀夫さんはニュースで喧伝されたから分かっているけれど、邦夫君は税金はどうしたのだろう?

それに較べ、小沢さんの政治資金の話はいただけない。
相も変わらず、土地不動産絡みの古臭い話だ。あの、往年の慶應ボーイらしからぬオジサンの話は、どうしても昔ながらの胡散臭さが付いて廻る。
由紀夫さんの方は、金額はべら棒な話だけれど、いっそある種の可愛さとか、抜けの良さを感じるけれど、小沢さんの方はそんな気配は微塵も感じられない。不動産購入の代金を、小沢さん本人が後から4億円も出した(それも紙袋に入れた現金で!)などと云われると、「何で岩手選出の国会議員がそんな大金を持っているのだ?」と思ってしまう。由紀夫さんのそれより、此方の話の方が民主党にとっては致命的なものになりそうな気がしてしょうがない。

そして又自民党だ。
「政治資金」の話で、自民党の大島さんをはじめ何人もの魑魅魍魎染みた人たちが、生真面目そうに眉を顰め、正義漢の顔つきで慨嘆し批判するのを見ていると、申し訳ないがつい吹き出しそうになる。
あれはどう見ても、「自分たちではなく、矛先が相手に向かっていて先ずは良かった!」という、ホッとした表情に見えてしまうものなぁ。

中国の「詩経」に、「他山之石、可以巧玉」という詞が有る。
凡そ国政に携わる政治家たるもの(特に自民党の長老議員たち、そして小沢さんもだ)、今更ながらこの詞を自らのものとして、改めて拳拳服膺すべきであろう。
「錆がわが身から出ないで良かった!」では困るのだ。

それでなくても、世の中は職にあぶれ、生活に困窮する人たちが増えている。病人にしても、老人にしても、安心できるどころではない状況がどんどん進んでいる。景気も良くなるように見えながら足踏みしたままだ。特に日本を支えている中小企業に於いてはひどい。日本企業の活路を求めるといって、足下を見ず、憧れの慾惚け眼はいよいよ中国に向けられつつある。そうすれば、日本の産業の一番重要な中核部分まで中国に売り渡すことになりかねないというのに。

そして、相変わらずお金は上から下へしか流れない。下に流れ着く前に、情け無い滴り程度になってしまう。

そういう世の中であるのに、古臭い金権の問題が再現されてしまうようでは、もう情け無いどころじゃ済まないだろうに。

小沢さんも、猛省して旧弊を改め、埒もない陣取りゲームに現を抜かさないで戴きたい。由紀夫さんも改めて、是非堂々と、且つしっかりプリンシプルを通してくださいよ。


【初夢?】
三日の夜から四日にかけての夢だった。
国内か外国だか知らないが、行った先で昔憧れた人に会った。
高校時代に優秀だった女性で、楚々とした雰囲気をたたえた(そう思った)人だった。相思相愛どころではない、私が一方的に憧れていたというべきだろう。
学校で出される数学の問題を、実にエレガントに解くのが素晴らしかった。

数学の問題にはエレガントな解き方と「ダサイ」解き方がある。
元々数学は(特に高校程度の数学は)、人間の拵えた論理体系だから、馬力で解こうとすれば解けないものではない。しかし、エレガントというのは馬力でも努力でもない。あっと思うような着眼点で美しく解いてしまうのだ。

ごく身近な(有名な)例を言えば、1から10まで整数を順に足していくという問題である。
普通の人は、1+2+・・・と順に足していく。これは馬力であり、計算力の速度だけの話だ。
ここでエレガントというのは、(1+10)を先に計算し、これを10倍して、最後に2で割るのだ。
こうすれば、(1から10まで)どころか、(1から9999まで)であろうが幾つまでであろうが、たちどころに計算できる。
これはガウスという天才数学者の少年時代の逸話として有名だが、如何にもエレガントでしょう?

彼女はガウスほどでは(その後を見ると)なかったようだが、数学に限らずやはりエレガントさを感じさせる人だった。

その人と偶然出会ったのだ。幸いなことに彼女は高校時代に私が憧れていたままの姿だった。私がどんな姿だったのか、高校時代ではなく現在の姿だったかは、夢では自分の姿を見る事は無いから、幸いにして知らなくて済んだ。

私は少しでも彼女と一緒に居たくて、行き先から帰るのに飛行機ではなく列車で行きましょうと誘いかけた。そしたら彼女も承知してくれて、そして帰り着いた所が、何かの催しの会場だった。
そしたら何処かの壁にフックを取り付ける用事が彼女にあって、会場に居た何人もが我もわれもとその用事に志願したのだが、彼女はステージの上から私を見やって、「これは私の夫になるはずの人にやってもらいます」と宣言したのだ。
周囲がわいわいと冷やかす中で私は満更でもない。

フックを取り付けに行った先は別棟の建物で、一緒に来た彼女は、「あなたをずっと、こんなに好きだったなんて、今初めて分かったわ。」と囁いたのだ。

目が覚めた後も幸福感の余韻が残っていた。

初夢は元日の晩に見る夢だとか、いや二日の晩だとかの説があるが、三日の晩から四日にかけてみる夢だという説はない。
説は無いけれど、私はこれを今年の初夢にしようと思うのだ。





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最終更新日  2010.01.08 13:57:30
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