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マックの文弊録

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2011.02.03
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カテゴリ:よもやま話
【2011年辛卯 2月3日 己丑(つちのと うし) 先勝: 節分、旧元旦、新月】

皆さん、お久しぶりです。これは私の今年最初ブログです。
さて、最初のブログ投稿だからお正月の話を書きましょう。今日は期せずして旧暦の1月元旦ですからね。

「お正月はなぜ1月1日なのでしょう?」
・・・こんなことを書くと「何でそんな当たり前の事を!?」と馬鹿にされそうですが、考えてみると不思議ではありませんか?

皆さん良くご存知のように、地球は太陽の周りを1年かけて一周しています。その始まりが1月1日なのだから、それがお正月であって何の不思議があるのか?

そう思われるでしょうが、地球が太陽を周回する軌道は円(正確には楕円)です。今地球の軌道の上に長い長いテープを重ねてみるとします。このテープの上に1年365日を順に書いていって、一周するところで12月31日と1月1日を隣同士に繋ぎます。そうすると、大きな輪になりますね。このテープで出来た輪は、軌道に沿ってぐるぐる回して、適当にどこで止めても差し支えはありません。その時1月1日と書かれた場所を「お正月の元旦」としてもいい筈ですよね。

しかし現実にはそうなっていません。世界中の国がほぼ同じ時期(北半球では冬)に、1月1日があり、その日をお正月、つまり1年の始まりとしています。

実はお正月が今のように定まったのには、色々な歴史が重なっているのです。
先ずヨーロッパでの話をしましょう。
緯度の高いヨーロッパでは、冬は暗く寒く辛いものです。夏が終わり秋が過ぎると、いよいよ夜が長くなり、寒くなります。それがある日にちを境にして、再び少しずつ日が長くなり始めます。そうです。冬至です。

この日は当時の人には、太陽が復活する日としてとても嬉しく、冬至祭として盛大に祝っていました。部族によってはこの日を一年の始まりとしていました。
ついでですが、この冬至祭の名残は、今でもドイツに残っています。ドイツではサンタクロースはヴァイナハツマンと呼ばれ青い服を着ています。ヴァイナハツマンは元々冬至の神様で、ボロボロのマントをまとい、やせ馬に乗ってやってきます。そして、家々を訪れ悪い子には鞭を、良い子にはプレゼントをくれます。丁度日本の「なまはげ」ですね。
クリスマスもドイツ語ではヴァイナハッテン(Weibnacbnachten)といいます。

その後、パレスチナの地からキリスト教が伝来しました。キリストの生誕日は、この冬至祭と融合し12月25日となりました。実はキリストの誕生日はユリウス暦という暦では4月7日だったという説もあります。しかし、キリスト教を広くヨーロッパで普及させるためには、地元で元々祝われていた冬至祭と合体するのが都合が良かったのでしょう。
そして、キリスト教ではキリストは生まれてから8日後にユダヤ教の割礼(割礼がどういうものかは詳しく聞かないでくださいね。ちょっとここで説明するのは・・・)を受けるのです。そこでその日を1月1日と決めようということになりました。これは当時の東ローマ帝国の修道院長が言い出したことだそうですが、この「1月1日の決め方」が、ヨーロッパの公式の暦として採用されることになりました。つまりこれが「西暦」の始まりです。紀元532年頃(6世紀)のことでした。

つまりは、ヨーロッパでは冬至(北半球では太陽の高度が一番低くなる)という天文上の日付を元にして、宗教上の理由で1月1日が一年の初めとして定められたのですね。そういう背景があるので、ヨーロッパではクリスマスは盛大に祝われますが、お正月はそれほどでもありません。

ギリシャの昔の暦では夏至(北半球で太陽高度が最も高くなる日)を一年の初めの日としていましたし、古代メソポタミアでは春分の日(昼の時間と夜の時間が等しい日)が一年の初めとされていました。インドでも春分の日が正月として祝われており、これは今でもその名残が残っているようです。
お正月はこうして様々な日で太陽と関連付けて定められ、祝われていたのですね。

さて、日本を含む東洋ではどうだったのでしょうか?
日本は、昔は何でも当時の「先進国」であった中国から「輸入」していました。文字も、宗教も、公の習慣も中国渡来のものばかりでした。
その中国では、周以降、古代~前漢の時代まで冬至(12月22日頃)の日のある月が正月であったそうです。 やはり中国は農耕民族なので、冬至は太陽が復活する大事な日だったのですね。

ところで中国の暦は太陰暦といって、月の満ち欠けに基づいて決められていました。新月の日が「朔(さく)」といって、月の最初の日、つまり1日とされます。
月の満ち欠けの周期は29日とちょっとですから、これを12倍すると地球が太陽の周りを一周する期間、つまり1年365日には10日とちょっと足りなくなってきます。これを繰り返していると、暦と太陽による季節とがずれてきてしまいます。そうなると、種まきや収穫など太陽の動きと連動する農作業には困難が生じてしまいます。そこで、太陽の動き(言い換えれば太陽の周りを巡る地球の動きです)を元に、1年を24等分し「二十四気」という節目を設けました。つまりこれは一種の太陽暦ですね。

月の満ち欠けによる太陰暦と、太陽の動きによる二十四気を噛みあわせて、太陰暦のずれが大きくなったら「閏月(うるうづき)」を作って調整する。つまりは、中国では太陰太陽暦を採用してきたのです。
そして、冬至の日から四分の一年、或いは太陽の黄経が315度(黄経は、天空を太陽が通る道筋の事で、黄経0度は春分に定められています。)の日を立春とし、この立春を含む月の新月、或いは立春に一番近い新月の日(朔)を1月1日と定めました。これが東洋でのお正月です。

これは日本にも輸入され、明治5年に西洋のグローバルスタンダードだった太陽暦が採用されるまでは、標準的な暦として使われてきました。今では「旧暦」と呼ばれています。

日本では今では単に「旧正月」と呼ばれるだけで、この日に特にお祝いはしません。しかし中国ではこの日のほうが西暦の1月1日よりは遥かに盛大に祝われます。
今年も2億人以上の中国人が一週間以上の長期にわたるお正月休みを取り、故郷に帰ったり、海外に旅行に出かけたりと大移動をしているそうです。2億人ですよ!日本人全員がどこかに行ってしまうより大勢の人たちが、この期間に移動するのです。

ところで、中国では「明けましておめでとう!」を、新禮發財とか恭賀發財といいます。今朝私の中国の友人から飛び込んできたメールにもそう書かれていました。後者の発音をアルファベットでは、「Kung Hei Fat Choi」(広東語の発音です)と書けますが、発音は「クンヘイ・ホッチョイ」と聞こえます。今頃中国の街(私は香港にはなんども行きましたが)を歩いていると、そこいらじゅうで「ホッチョイ、ホッチョイ」と賑やかな掛け声のように耳に飛び込んできます。
ホッチョイとは、字のように「お金が儲かりますように」という意味なのですね。
つまり、さすが中国人!「明けまして、お金を儲けましょう!」、「おめでたく、お金を稼ぎましょう!」と挨拶しあうのです。

中国や日本では、春の始まりと年の始まりを一致させることで、一年を考えていたのですね。





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最終更新日  2011.02.03 17:37:25
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