根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
ようやく暑さもやわらぎ、すごしやすい気候になりましたね。
ハイキングに適するようになってきましたので、第3回の今回は、中標津のフットパス沿いに開拓の歴史をご紹介します。
中標津のフットパス--「北根室ランチウェイ」(ブログはこちら)は中標津町からJR美留和駅まで伸びる長大な散歩道です。
全長で70kmもありますが、ご安心を。北根室ランチウェイは、10km前後の6つのステージにわかれています。
今回は第1ステージ(中標津町~開陽台:15km:ルートマップはこちら)を私と一緒に歩いてみましょう。
中標津交通センター(旧JR標津線中標津駅)から出発です。
標津川を越えて、緑ケ丘森林公園に差し掛かったところで、ちょっと寄り道。
「深い森の中に瀟洒な建物があります」
「ずらりと並ぶ小麦のサンプル」
この建物は、昭和3年 北海道農事試験場根室支場(現 根釧農業試験場)の陳列館として建設されたものです。現在では中標津町郷土館の分館として当時の農具やサンプル、建築様式の展示を行なっています。
今の根室地域の農業の基礎固めの研究がこの施設で行われ、根釧台地が「バレイショ」と「牧草」の栽培に適することを立証したのだそうです。
さて、フットパスに戻りましょう。
「フットパスの看板が目印」
「右手は小川です」
なんでもないように見えるこの道は、むかし、鉄道が走っていました。
殖民軌道と呼ばれる線路です。
北海道東部への移住は、明治30年代後半から盛んになりました。しかし、降雪期と融雪期の根釧原野の道路は泥道となり、馬車も馬橇(ばそり)も通ることができず、秋の収穫物や春耕期の農用物資の輸送も困難でした。
1924年(大正13年)、北海道第1期拓殖計画の末期に厚床から中標津まで試験的に敷設が始まった鉄道が殖民軌道根室線です。
殖民軌道は道内各地に市街地を発展させました。中標津の発展にもこの殖民軌道は大きな役割を果たしました。
殖民軌道は現在の鉄道と異なり、道庁で用意した車輌を地域の農家が所有している馬で曳きました。地域の主要交通機関となっていたそうです。
「再び深い森の中へ」
さて、フットパスのルートはここからが本番ですが、だいぶ紙幅を費やしてしまいました。続きは、次回にいたしましょう。
参考文献:北海道の鉄道(田中和生 著)
参考:中標津町郷土館緑ヶ丘分館説明展示
・今回の取材にご協力いただいた北根室ランチウェイのブログはこちら
・フットパスルートの詳細はこちら
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