こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えた根室管内は色々な人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんな形で残っています。古代から近代までねむろの歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えしていきたいと思います。
わたしと一緒にちょっと昔に想いを馳せてみませんか?
最近、気温が上昇し、めっきり春めいて来ました。冬場は凍結する根室港もすっかり春のよそおいです。
この根室港の港口には、弁天島と呼ばれる小島が横たわっています。
弁天島
今回から数回にわたって、この弁天島を起点に歴史散歩のご紹介をいたします。
第10回「知床半島の松浦武四郎」でも紹介しました知床日誌を紐解いてみると、
「ホロモシリ 海上五丁周九丁。今大黒島と言えり。上に弁天社あり」
と説明しています。
現在の弁天島は、過去には「大黒島」、アイヌ語では「ホロモシリ」と呼ばれていたようですね。ホロモシリは「大きな島」という意味ですから(難読地名シリーズ第26回「幌茂尻」参照)、「大黒島」はその直訳なのでしょうか。
弁天島にはオホーツク文化の遺跡があります。
オホーツク文化は中世に、オホーツク海沿岸(アムール川から千島列島あたりまで)に居住していたオホーツク人の文化です。モヨロ貝塚(網走市)や常呂遺跡(北見市)が有名ですが、根室管内にも複数遺っています。
竪穴式住居に暮らした彼らは、家の一角にシカやクマをはじめとした哺乳類などの骨を集めた「骨塚」を作っていたようです。
同じような風習はアイヌ文化でもみられます。
もしかすると、オホーツク文化はアイヌ文化の源流の一端であるかもしれませんね。
弁天島の遺跡を初めて調査したのは、イギリスの地質学者John Milneでした。明治11年(1878年)のことです。
その後も何度も発掘調査が行われています。
弁天島遺跡を研究した多くの方々の中には教育者である長尾又六もいました。
長尾又六は明治5年新潟県に生まれました。
明治29年に教師として根室市に赴任します。
同35年には北斗小学校の初代校長となりました。
彼は教材となる古銭や植物、昆虫などの収集に熱心で、特に考古資料はとても充実していたそうです。
展示会を開くと多くの見学者が訪れたそうですが、残念ながら、彼のコレクションは根室空襲の折、失われてしまいました。
長尾コレクションの絵はがき
しかしながら、彼が作製した絵葉書が残っており、根室市歴史と自然の博物館に収蔵されています(詳細はこちら)。
もし復刻されたら、いち早く購入したいものです。
長尾又六は史跡などの保存活動にも熱心でした。
特に有名なのが「車石」の保存活動です。
車石
<地図の出典>
この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら
車石は玄武岩質の枕状溶岩で、柱状節理がよく発達しています。
今から約6,000万年前に形成されたと考えられています。近隣の崖を見ると、中生代の層「根室層」を溶岩が突き抜けているのが見て取れます。
車石は長尾又六らの保存活動の努力により、昭和5年に「日本地理体系」第10巻に写真入りで掲載、同14年9月に天然記念物としての指定を受けました。
この奇観は今でも健在です。
車石の近くには花咲灯台が立っており、沖合にはエトピリカの繁殖地でもある天然記念物ユルリ島・モユルリ島が浮かぶ美しい風景も見られます。
海に癒されたい方はぜひ根室にいらしてください。
参考文献:北海道の考古学(宇田川 洋)
参考文献:松浦武四郎紀行集(吉田武三 編)
参考文献:北海道根室の先史遺跡(根室市教育委員会 編)
参考文献:根室・千島歴史人名事典(根室・千島歴史人名事典編集委員会 編)
参考HP:文化遺産オンライン
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