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はじめまして新人のケイと申します。
これからどうぞよろしくおねがいします 今回は、深谷駅南口から徒歩20分くらいのところにあるロータリーに行って参りました。 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、ここ、「市指定史跡」(深谷市指定文化財)なんです 史跡の名前は「秋元氏陣屋跡」。 深谷市ホームページの「深谷市の歴史と文化財」のページ(深谷市指定文化財の史跡の一覧部分)にも載っています。 ロータリーの真ん中に大きな石碑が建てられています。 表面には「秋元氏館阯」の文字が… 現在は、この石碑が遺されているだけになっていますが、『広報ふかや』平成16年度1月号(平成17年1月発行)の「ふるさとの歴史散歩」の記事によると、昭和39年に秋元団地に変容するまでは、森の中に館跡、掘割りや崖が見られたそうです。 裏から見た図。びっしり文字が書いてあります この写真だと見えませんが、よーく見ると、昔の深谷市長(旧深谷市)のお名前も書いてあるんですよ~ もし近くを通る機会があったら、探してみてくださいね さて、この史跡の名前に出てくる秋元氏ですが、深谷城主上杉氏に仕えた一族です。 なかでも戦国時代の終わりごろに活躍した秋元景朝という人物は、「深谷上杉三宿老」の一人とされていたらしいです。 なんだか強そうですね… 看板を見ると、この「秋元氏陣屋跡」は、上野台の領主であった秋元景朝、息子の長朝が生きていたころ建てられた館の跡らしいですね。 戦国時代の終わりごろ…というと、以前、ねぎっこじぇい氏が紹介していた小説『のぼうの城』の舞台となった時代ですね この時代の秋元氏等々について調べてみたところ、秋元氏は深谷城主上杉氏に仕えていましたが、この深谷城主上杉氏は、戦国時代に関東を広範囲にわたって支配していた後北条氏(北条氏)に従っていたということです。 つまり… 『のぼうの城』でも出てきていましたが、天下統一を進める豊臣秀吉の北条攻め(小田原攻め・小田原の役)では、秋元氏は豊臣秀吉と敵対する北条氏側にいたんですね。 深谷上杉・郷土史研究会編纂『深谷市の史跡案内』によると、秋元長朝は、秀吉の北条攻めの際には、深谷城主上杉氏憲(小田原城に籠城)から深谷城の留守を任されていたそうです。 しかし、豊臣軍の猛攻を察知した長朝は、深谷城下を兵火から救うため、豊臣秀吉側の前田利家・浅野長政の軍に深谷城を明け渡したということです。 秀吉の北条攻めのあとは、秋元氏は徳川家康に従い、関ヶ原の戦いを経て1万石の大名(※1万石以上が大名…らしい)となり、総社(群馬県前橋市)・谷村(山梨県都留市)・川越(埼玉県川越市)・山形(山形県山形市)・館林(群馬県館林市)…と場所を移しつつ、幕末まで約330年続きました。 最終的には6万石の大名になっていたそうです。 今回、「秋元氏陣屋跡」をご紹介しましたが、ほかにも、市内には秋元氏にゆかりのあるお寺やお墓があるそうです。 それはまた今度、ご紹介できたらいいなと思っています 徳川家に仕えた時代の秋元氏についても、その時ちょっと詳しく書きますね では、また 参考 ・深谷上杉・郷土史研究会編纂『深谷市の史跡案内』深谷上杉・郷土史研究会、2011年3月 ・深谷上杉・郷土史研究会編纂『深谷市の神社と寺』深谷上杉・郷土史研究会、2011年3月 ・「広報ふかや」平成16年度1月号(2005年1月発行) ・深谷市ホームページ「深谷市の歴史と文化財」のページ: http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/web_rekisi_bunkazai/index.htm ※上記の本と昔の広報は、深谷市立図書館にも蔵書があります(禁帯出ですが…)。 気になった方は深谷市立図書館ホームページの「蔵書検索」で調べてみてくださいね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年05月08日 09時00分25秒
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