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身延町専属ライターの梅津です。皆さんこんにちは。

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色鮮やかな秋に包まれる身延山久遠寺。
三門から続く石畳の先には、287段の菩提梯(ぼだいてい)があります。

菩提梯とは「覚りに至る梯(きざはし)」のこと。高さ104メートルに及ぶこの石段がどのようにして造られたのか。今日のパワースポット案内は、石段周辺の風景とともに、そのお話をご紹介します。

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昔、佐渡に仁蔵(にぞう)という若者がおり、信心深い母親と暮らしていました。

仁蔵は年老いた母の願いを叶えたいと久遠寺を訪れ、母を背負って本堂までの急坂を上がります。これがことのほか大変であったため、息子に申し訳なく感じた母親が「ここに石段があったら、参拝も助かるであろうに」とつぶやきました。

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数年後、母は亡くなりましたが、仁蔵の耳には母の言葉が離れず、石段建設のための資金を貯めようと決意します。

十数年間、寝る間も惜しんで働いたお金を持ち身延山を目指しますが、途中、鰍沢で大飢饉に苦しむ人々に会い、そのお金をすべて施してしまいます。

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佐渡に戻り、再び石段建設の資金を稼ぐために半漁・半農の日々を送っていた仁蔵は、ある晩、漁の最中に、港の先の山がきらきらと輝いているのに気付きます。佐渡金山の発見でした。

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金山発見の恩賞金を受け取った仁蔵は、天の恵みと喜んで再び身延山に向かいます。

飢饉の際に助けられた人々は、あの時のお金が石段建設のためのものであったと知って感動し、建設の手伝いを申し出ます。参拝者からの力添えもあり、寛永9年(1632)年、石段は無事に完成しました。

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「南無妙法蓮華経」になぞらえ、石段は7区画に分かれています。登りきると左手には、大きく茜色の五重塔。

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仁蔵の勤勉な日々、母への想いと重なるように、一段一段大切に積まれた石段は、今日も参拝に訪れる人を優しく迎えています。

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※参考文献・NPO法人みのぶ観光センター刊「菩提梯の話(みのぶのびのびガイドブック)」





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最終更新日  2011.11.18 17:01:39
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