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こんにちは。特派員emmaです
下部は、文豪・井伏鱒二がこよなく愛した地として知られています。 頻繁に訪れた時期は、昭和4年ごろから40年代後半。 作品の中にも、下部川や栃代川、久那土の渓流、源泉館、守田屋など、下部の川や旅館が登場しています 中でも、床屋さん「やまめ床」の先代・依田喜史さんは、井伏鱒二の40年来の友人で、釣りの師匠でした もちろん、作品にも度々、出てきます 「下部の湯元」(昭和41年 中央公論)より 下部川での私の釣りの師匠は、『ははァ、ここが酒屋だ』という看板を出している酒屋のならびにある『やまめ床』の主人である。ヤマメの習慣や竿の振りかたなど、私は三十何年前にこの床屋さんに教わった。今度も私の顔を剃りながら、こうなると髪は貴重だねと言った。 井伏が訪れていた当時のやまめ床 ![]() 二人の交友について聞いてみようと、やまめ床を訪ねてみました。 喜史さんは平成元年に76歳で亡くなりましたが、二代目の啓史さんが快く応じてくださいました。 ![]() 「二人の共通点は、酒とヤマメ釣りが好きだったことだね。 とにかく二人とも、酒を浴びるくらい飲んで、釣りに行く時も、一升瓶を担いで行ってた。なかなか帰って来ないから、お袋が見に行ったら、二人で川で寝てたこともあったって」 文化勲章を受けた文豪が 「だから偉い作家さんとは全然、思っていなくて(笑)。私が会ったのは3回ぐらいだったけど、温厚で親しみやすそうな人でしたよ」 お店に飾ってある写真を見ると、井伏鱒二は随分、上品な格好で釣りをされてたんですね~。 コートの襟、立ててます ![]() 「そんな感じで『喜史、きたぞ~』って店に来て、釣りに行く。場所は下部川、雨河内川、栃代川だったね」。 髪もこちらで切ってたんですか? 「わざわざ髪を伸ばして来てくれて、来るたびに切ったようですよ。でも、親父は井伏先生の話を家族にはあまりしなかったですね」 依田喜史さん ![]() 喜史さんは、釣りがとても上手だったんですねー。作品にも以下のように、喜史さんの釣りの腕前が書いてありますね。 「飯田龍太の釣り」(昭和43年 『俳句』より) 釣の技術が堂に入っている。川面を流れて行く木の葉をねらって振り込むと、その葉の上に餌が乗っている。それほどの技術を持っている。 「45センチのヤマメを釣ったことがあると言ってました」 そんなに大きいのが、この辺の川にいるんですか 「これは私が釣った魚ですが・・・」 ![]() でかっ 「釣りをしてると、井伏先生の作品の魅力がよく分かる。大物がかかった時のわくわくする感じとか、釣り人の心をそのまま描写してるから、読んでて楽しいよ」 すっかり井伏文学のファンになったという啓史さん。 井伏鱒二からやまめ床に届いた年賀状も見せていただきました。 直筆です。貴重なものですね ![]() 井伏鱒二が平成5年に95歳で亡くなった後も、井伏家とやまめ床の付き合いは続き、家族で荻窪の井伏家に訪問したこともあったそうです。(真ん中が井伏の妻・節代さん) ![]() 「この時、節代さんが『うちの人は難しいから、よっぽど気心が知れた人でないと(親交が)40年も続かないですよ』と言ってくださった。井伏先生と親父は、本当に気が合ったんでしょうね」 啓史さんは、下部の旅館などに残る当時の写真やゆかりの品々を集め、平成18年に金山博物館で開かれた特別展「つり人 井伏鱒二~しもべを愛した文学者」で紹介しました。 啓史さんがまとめた井伏鱒二と下部温泉にかかわる資料と、 ![]() 下部温泉周辺のゆかりの地 ![]() 「下部温泉に残る井伏先生ゆかりの品は下部の財産。町の文化振興にも役立つと思うんですよね。 でも、当時を知る人たちの高齢化などによって、資料が紛失してしまったり、町の外に出てしまわないか心配です」。 井伏作品に描かれた下部の自然と、そこに住む人々との交友。 当時の記憶を今に伝える品々は、確かに、町の財産ですね ![]() 下部川上流 撮影:啓史さん [★特派員(身延町専属ライター)さんの日記]カテゴリの最新記事
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