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テーマ:まち楽ブログ(32216)
カテゴリ:ローカルニュース
こんばんは。D(でぇ)です。
1月5日からNHK大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。 幕末の会津藩を舞台に始まったこのドラマ。 まず第1話では、藩校日新館の教えや「ならぬことはならぬ」で有名な「什の掟」など、会津の人々の精神、価値観などが描かれました。 この独特な藩風の基礎を築いたのが、藩祖「保科正之(1611-1673)」です。 保科正之は、3代将軍徳川家光の異母弟。 若くして高遠藩の藩主となり、その後最上藩、そして初代会津藩主になりました。 名君と謳われた彼が定めたのが、藩の憲法ともいうべき『会津家訓十五箇条』です。 「八重の桜」第1話の中でも、お国入りした第9代藩主松平容保の前で「御家訓の読み上げ」の場面がありましたね。 この家訓が、後の会津藩の運命に大きくかかわって来るわけですが・・・・。 実は、その保科正之公の生母のお墓が、身延山にあります。 開祖日蓮聖人の祖廟(墓所)や御草庵跡がある「祖廟域」の一角。 「篤信廟」の一番左に建つ大きな墓碑がそれです。 熱心な日蓮宗信者だった「浄光院」は、もともと別の地に埋葬されていましたが、 子どもの保科正之によって身延山に改葬されました。 墓碑には「浄光院」の文字。 命日は「寛永12年(1635年)9月17日」とあります。 その裏面には、保科正之のことが刻まれています。 大河ドラマ「八重の桜」。 これから物語が進んでいくと、やがて松平容保が京都守護職に任命されます。 おそらく再び『会津家訓十五箇条』のことが登場するのではないかと予想しています。 その時は、家訓を定めた保科正之公と、母浄光院のことを思い出してみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.01.25 21:55:31
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