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カテゴリ:ローカルニュース
こんばんは。D(でぇ)です。

1月5日からNHK大河ドラマ「八重の桜」が始まりました。
幕末の会津藩を舞台に始まったこのドラマ。
まず第1話では、藩校日新館の教えや「ならぬことはならぬ」で有名な「什の掟」など、会津の人々の精神、価値観などが描かれました。
この独特な藩風の基礎を築いたのが、藩祖保科正之(1611-1673)」です。

保科正之は、3代将軍徳川家光の異母弟
若くして高遠藩の藩主となり、その後最上藩、そして初代会津藩主になりました。
名君と謳われた彼が定めたのが、藩の憲法ともいうべき『会津家訓十五箇条』です。

「八重の桜」第1話の中でも、お国入りした第9代藩主松平容保の前で「御家訓の読み上げ」の場面がありましたね。
この家訓が、後の会津藩の運命に大きくかかわって来るわけですが・・・・。


実は、その保科正之公の生母のお墓が、身延山にあります

開祖日蓮聖人の祖廟(墓所)や御草庵跡がある「祖廟域」の一角。
篤信廟」の一番左に建つ大きな墓碑がそれです。
浄光院墓所01
 
熱心な日蓮宗信者だった「浄光院」は、もともと別の地に埋葬されていましたが、
子どもの保科正之によって身延山に改葬されました。
浄光院墓所02
 
墓碑には「浄光院」の文字。
命日は「寛永12年(1635年)9月17日」とあります。
浄光院墓所03
 
その裏面には、保科正之のことが刻まれています。
浄光院墓所04

大河ドラマ「八重の桜」。
これから物語が進んでいくと、やがて松平容保が京都守護職に任命されます。
おそらく再び『会津家訓十五箇条』のことが登場するのではないかと予想しています。
その時は、家訓を定めた保科正之公と、母浄光院のことを思い出してみてください。





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最終更新日  2013.01.25 21:55:31


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