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カテゴリ:観光情報
「鍋奉行」さんからのお知らせです
先日江戸時代の俳聖・松尾芭蕉が岐阜を訪れた際に俳人仲間らと詠んだ連句(れんく)を 県連句協会が石碑にして建立し、岐阜市内で除幕式があったとの新聞記事を読みました その記事の中には連句碑の写真もあり関市が生んだ芭蕉十哲の一人、 広瀬惟然(ひろせいねん)の名前がかすかに判読でき、 どんな連句だったのか確かめたくて出掛けてきました そこは岐阜公園近くにある川原町広場(同市堤外)の一角にありました。 あたりには水の流れる音と鳥の鳴き声と緑溢れる空間でした 1688年6月19日 十五吟五十韻 蓮池の中に藻の花まじりけり 芦文(ろぶん) ※関市の俳人 水おもしろく見ゆるかるの子 荷兮 さゞ波やけふは火とぼす暮待て 芭蕉 肝のつぶるゝ月の大きさ 越人 苅萱に道つけ人の通るほど 惟然 ※関市の俳人 鹿うつつ小屋の昼はさびしき 炊玉 (中略) 筆ゆひかぬる茄子小さし 角呂(かくろ) ※関市の俳人 約300年前、松尾芭蕉がこの岐阜市に逗留し、 岐阜市内はもとより関市や名古屋市から 俳人たちがこの地に集い、鵜飼を観覧したり連句を巻いたりと、 さぞ楽しい賑やかな集まりだったことでしょう いいえ、天才的な俳人・松尾芭蕉の句会ということで、 厳かで荘厳な集いだったんだろうなと、当時に思いを馳せました この時惟然と芭蕉の2人だけで詠まれたのが次の連句です みせばやな茄子をちぎる軒の畑 惟然 その葉をばかさねおらん夕顔 芭蕉 川原町広場を通り抜け川原町通りを散策すると、 「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(芭蕉)の句碑や、 川端康成・北原白秋・山口誓子の句碑もあり、 また川原町屋カフェでは美味しい珈琲と絵画の鑑賞もでき、 芸術の秋を満喫できるひとときでした わたしのいる弁慶庵は関市西日吉町、善光寺さんの麓にあります この秋、ホトトギスの咲く弁慶庵(惟然記念館)にもぜひお立ち寄りください 弁慶庵主 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年10月28日 14時52分28秒
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