|
**********************************************************************
2006年2月28日、脳腫瘍と診断されてから、3年6ヶ月、 病気と一生懸命闘い、2009年8月11日にだいすけは永眠しました。 壮絶な3年6ヶ月でした。 私は、必死に病気と闘い、「生きたい!」と、 どんな時も強く思っただいすけに、 本当に色々なことを教わりました。 だいすけがいなくなった今も、 その事実がちゃんと把握できないまま、 何かで足が立ち止まると、 だいすけに背中を押してもらっている気がします。 病気が発覚し、1人暮らしをしていただいすけが実家に戻り、 まいちゃんと結婚をし、4人で暮らしていた私の実家も、 だいすけが亡くなり、まいちゃんも除籍をし、実家に戻り、 父と母の2人だけとなった今、 なんだかとっても広くて、寂しい気がします・・・。 実家に行くと、だいすけまいちゃん夫婦がいつもいてくれたあの頃が、 ついこの間のことのような、遠い記憶のような、不思議な感覚です。 ブログの存続をどうしようかと、私なりに悩みました。 家族会議で、立ち上げることになったこのブログ。 同じ病気や、病気等で苦しんでいる方、 また家族のみなさんと、このブログで知り合い、 少しでも情報を得れたら・・・という思いで立ち上げたブログでした。 まいちゃんがだいすけの日々の様子を書いてくれて、 私も、安心したり心配したり、身内だけど、 まいちゃんに励ましのコメントをしたい時もたくさんありました。 振り返ってみると私自身も、だいすけが病気になった時、 インターネットでたくさんの闘病ブログを読み、 励まされ、勉強になりました。 でも、私の正直な気持ちとしては、 このブログには書ききれなかった沢山の事があります。 病気と闘うにあたり、いっぱい頑張った部分もあれば、 後悔している部分もあります。 だいすけがブログを読んで悲しくならないように、 真実を書けなかった部分もあります。 主人と話をし、主人に「思ったままを書いてみたらどうだ!?」 と言われ、ハッと思いました。 そして、「素直な気持ちをそのままに、書いてみよう。」 と思いました。 だいすけが生前に、「俺は何を残せたんだろう・・・」と、 言っていたことがあります。 私は、だいすけの存在と、だいすけが闘ったこの3年6ヶ月は、 とても大きなものを残していると思っています。 なかなか事例のない、大人の脳幹グリオーマという病気ですが、 病気に関わること全てを、良いことも悪いことも、 全てを伝えることによって、 今現在、病気で闘っている皆さんの、 少しでも力になれたらと思っています。 姉:たかこ ********************************************************************** 私の弟が、脳幹グリオーマという病気になりました。 病気が原因で、パソコン等も使えなくなってしまった弟の変わりに、 ブログを立ち上げることを決めました。 弟(だいすけ)のまわりを囲む家族みんなで更新していこうと思います。 願いはただひとつ! このブログを通じて、同じように苦しんでいる人や、 頑張っている人と出会いたい。 本人はもちろん、家族の方も! そしてもちろん、病気でない方も、何か良い情報等、 すこしでもあればぜひぜひ、教えて下さい。 何でもいいです。ぜひ足跡を残して頂けたら・・・と思っています。 家族みんなで更新していこうと思っているので、 日記など、一貫性のないものになってしまうと思いますが、 ぜひ読んで下さい。 明るく元気の素になる!ブログにしたいと思っています。 姉:たかこ
テーマ:闘病日記
カテゴリ:闘病生活を振り返って・・・
闘病生活を振り返って・・・『そして・・・最後に』 だいすけが亡くなって、1年が経ち、2年が経ち、もうすぐ3年が経とうとしています。 みんなそれぞれの想いを抱えながら、それでも前を見て歩いています。 時々色々な気持ちに襲われたりします。 あの時こうしていたら・・・。 あの時こうだったら・・・。 あの時こうしてあげられたら・・・。 でも、今振り返ってみると、どれも全て大切だったと思います。 2006年2月28日に病気が見つかり、 2009年8月11日にいたるまで、色々な選択をしてきました。 セカンドオピニオンをするか、しないか・・・。 延命処置をするのか、しないのか・・・。 だいすけの場合は、 リスクをおかしても手術を選ぶのか、選ばないのか・・・。 だいすけが信じたその「会」を辞めるのか、続けるのか・・・。 どれもが大きな道を決めるものでした。 後悔がないと言えば、嘘になります。 でも、一生懸命みんなで闘ったこの道は、決して間違えではなかったと思います。 100人の人が闘えば、100人の道があるように、正解の道なんてないのかもしれません。 そしてだいすけの闘病を通し、テレビでも放映されているような、 色々な問題を目の当たりにしました。 セカンドオピニオンをしようと思っても、セカンドオピニオンが認められているといっても、 なかなか難しいこの現実。 救急車がきても、すぐに搬送できない現実。 入院したくても入院できない現実。 自宅療養したくないのに、しなくてはいけない現実。 そして、だいすけが信じてしまったような「会」が、 この世の中には消しても消してもたくさんいること。 だいすけが信じたその詐欺集団だった「会」は、今現在も活動を続けています。 病気で心が弱っている時を狙って、多額のお金を支払わせるその集団を、私は正直許せません。 病院で治るはずの方まで、その集団に入ったことにより、 病状が悪化することがあると思うと、怒りでいっぱいになります。 ただ、それを生きる希望にして、騙されても希望が欲しいと思う状況もとても良く分かります。 私自身、自分自身が病気になったら、自分の子供が病気になったら、 今の気持ちと同じ気持ちで見られるのかどうか、確実な自信はありません。 だいすけは教えてくれました。 「当たり前の素晴らしさ」 今私が当たり前に出来ている、 ご飯を食べること、顔を洗うこと、お風呂に入ること、 呼吸をすること。 どれもがだいすけが、心から死ぬほどに願った願いです。 最初に病気を知った時に、 「俺が車椅子になったら、みんなに迷惑かけたくないし崖から落としてよ」 と冗談で軽く言っていただいすけが、 「手と足がなくなってもいいから生きたい。」 そう、強く願ったこと。 だいすけの車椅子に乗る姿を最初に見た時、症状がひどくなったことをショックに思ったけれど、 その何ヶ月か後には、 「だいすけを車椅子に乗らしてあげたい。」 そう、強く思ったこと。 本当に幸せのカタチはないのだと実感しました。 それぞれが感じる幸せのカタチ。 だいすけは、無念な想いもたくさん抱えたとは思いますが、 多分、みんなから抱えきれないほどの愛情をもらったと思います。 病気が分かって、余命1年と言われても強い気持ちで結婚してくれたまいちゃん。 病状が悪化してからも、必死に毎日看病してくれたまいちゃん。 父も母も、妹夫婦も、私の主人、家族も・・・。 親戚の方も、たくさんの友達も仕事仲間も、 そして、まいちゃんや父、母、妹夫婦、私達家族の友達や仕事仲間も・・・。 みんなみんな助けてくれました。 みんなみんなが支えあいました。 そしてその中心にいて、存在感あふれて必死に生きただいすけに、私は 「本当にありがとう。」 と、心いっぱいに想います。 *********************************************************** 闘病生活を書きながら、 辛くなることも、泣きながら書いたこともありました。 でもこうして79回かけながらも、だいすけのことをこのブログに記せたこと、 良かったと思っています。 これを読み辛く悲しくなることもあるとは思いますが、 それ以上に、 「頑張ろう!」 と励ましのブログになったら、と思います。 最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。 姉:たかこ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
エラーにより、アクションを達成できませんでした。下記より再度ログインの上、改めてミッションに参加してください。
x
|
|