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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
イタリアでの向こう1ヵ月に渡るロングステイの前に、イスタンブールでお会いしたい、10月頃必ず行きますからねと、この4月、初対面を果たしたときから、riminさんの計画にはイスタンブール旅行が組み込まれていた。 夫妻は10月1日、午後4時頃到着ロビーに姿を現し、私は駐車場で待ち受けていたフュセイン・カプタンの車を呼んだ。出迎えと半日観光を頼んでおいたので、上天気の中、車はそのままホテルには行かず、まずはマルマラ海沿いに走ったあと左折して金角湾まで続くビザンティン時代の城壁を右手に眺めながら走った。 時刻が早ければイエディ・クレ(七つの塔=オスマン朝の第16代スルタン、英邁な君主と評判の高かったオスマン2世が、18歳にして近衛兵イエニチェリ軍団の叛乱で、命を落としたところ)に案内したかったのだが、あいにくその時間はなく、エディルネカプにあるカーリエ博物館に行った。 かつて教会だった建物は、オスマン帝国占領下でモスクとなり、共和国になった以降1948年博物館になった。 オスマン朝時代に漆喰で塗りこめられた天井や壁一面のモザイク画が、近年になって発見され、学術調査で漆喰をはがした際にかなり損壊してしまったものの、今に残る見事なモザイクがこの小さな博物館をきわめて価値の高い建造物にしている。 日本人の団体はほとんど来ないが、欧米や韓国のキリスト教徒達にとっては、聖地にも等しい場所なのだ。事実、クリスチャンである私の従妹ハティジェ(トルコ名)は、おととし来たときに、モザイク壁画のキリスト絵巻の一つ一つが全部分かったらしく、私に説明してくれたほどである。 ピエール・ロティの丘から、金角湾を望む。 次いで金角湾沿いにピエール・ロティの丘へ。丘の麓にあるエユップ・スルタン・ジャーミイ脇からロープウェイで上ったのだが、ちょうど夕日が傾く頃となり、丘からの眺めはまさに一幅の絵のよう。 夫妻はおおいに感動してくれたので、案内人の面目躍如である。2週間前に私を訪ねてくれた仙台の夫妻も感嘆の声を上げていた風光明媚なところである。 フュー・カプタンが断食しているので、イフタル(日没の断食明けの食事)に間に合うよう、スルタンアフメットに向かった。電車通りのプディング・ショップという食堂に入り、オープン・ビュッフェの家庭料理で舌鼓を打つ。 食後、私達は世界遺産の大建造物、ライトアップされたアヤソフィアとブルーモスクを見て歩き、夫妻はその威容に目を瞠った。 「加瀬さん、第1日目からこんなに感動できるなんて、想像もしていなかったわ!」 子供のように喜んでいるriminさんを嬉しそうに見つめて、ご主人も「その通りですよ」と相槌を打ちながら愛妻をモデルに仕立ててシャッターを切る。どうやらriminさんのブログの写真は「うちの彼」さんとの合作のようである。(ナイショ) ホテルはシルケジ地区に2年前にオープンした、4つ星のオルセプ・ロイヤル。もとかせレストランのコックだったハシム・ウスタが、その名もexecutive chef として厨房を仕切っている。部屋もなかなかお洒落で、茶色とベージュの組み合わせが落ち着いた雰囲気をかもしていた。 何冊もの書籍や食料品、薬など、riminさん夫妻からいただいた数々のお土産の中に、着物を着た可愛らしい縫いぐるみのクマちゃん人形があった。 これはriminさんがリンクしている「来楽暮」さん姉妹の手作りで、海外へのお土産用に人気を博しているものだそうだ。くるみちゃんと命名した。 riminさん、うちの彼さん、どうもありがとうございました。 さて、2日の朝も上天気。10時35分発のボスポラス海峡クルーズ船に間に合うよう迎えに行き、船着場に着いたときは10時10分過ぎだというのに、切符売り場にはもう長い行列が出来ていた。 幸い左舷の通路に作られたベンチに座ることが出来たので、見ものの多いヨーロッパ側の景色を眺めながら黒海の見えるアナドル・カヴァウに向かうことができた。 カンルジャの波止場を出るとき、少し前に通過したタンカーの横波とぶつかったのか、船が大きくローリングして、真っ白な波が津波のように左舷の通路を襲い砕け散った。 私達の隣の人あたりまで波を被ってびしょぬれになってしまった。riminさんと私はズボンの右側が少し濡れたくらいだったが、長いボスポラス海峡クルーズ経験で初の出来事だった。 やがてカンルジャ名物のヨーグルトを食べながら黒海の入り口が見えてくるとほどなく終点のアナドル・カヴァウである。 アナドル・カヴァウはアジア側の小さな漁師町、夏場は3便の船が1時間ごとにエミニョニュから到着し、復路も3、4、5時と3便ある。 しかし秋から春の間は、この、1日にたった1本のクルーズ船が運んでくる客だけがレストランや土産物屋の収入源だから、魚料理の値段が高いのが玉に瑕である。 私達は復路は船でなく、アジア側の雰囲気も楽しもうとフュー・カプタンの車を待機させ、アナドル・カヴァウの丘の頂上にあるヨロス・カレシ(ビザンティンの要塞ヨロス城址)に車で登って、絶景一番乗りを目論んだ。 誰もまだいない手付かずの見晴台から黒海の入り口を眺める。この日は船の運行がことに多く、ボスポラス海峡の尽きるところポッカリと口を開けたような黒海は、その名の通り濃いブルーの海面を見せていた。 夫妻の感動は最高潮のようである。私も何十回来ているかわからないほど足繁く訪れる場所なのに、そのたびに感動を新たにする。多分それは案内する相手がその都度違うからであろう。 海辺のレストランで魚料理に舌鼓を打ち、復路はアジア側から海峡を眺めながら、チャムルジャの丘に立ち寄った。エンジニアである「うちの彼」さんは、イスタンブールがまさにメガトン級の大都市であることにつくづく感じ入っていた。 イスタンブールでもっとも標高の高いチャムルジャの丘からは、発展しているヨーロッパ側は言うに及ばず、アジア側の地形の起伏の通りに林立する、色とりどりの新築高層アパート群がよく見える。 それもほとんどが20階建て以上だから、午後の柔らかな陽光の中に浮かび上がる未来都市図、のように見えていたのである。 ボスポラス大橋を渡るときも絶景パノラマが眼前に広がり、海面から60メートル上から俯瞰する海峡沿いの景色は、夫妻を飽きることなく楽しませたようである。 夕方の交通渋滞が始まっていた。私達はアヤソフィア博物館前の広場でカプタンと別れた。地下宮殿と呼ばれる、ローマ時代の貯水池をゆっくりと見学した。 昼なお暗く夏なお寒いこの貯水池の最奥には、柱の下にメデューサの首が礎石として使われている。横向きと逆さまに置かれ、怨嗟に満ちたメデューサの首は謎を孕んでいて人々を惹きつけるのである。 その後、近くのキベレ・ホテルに行き、ランプの下でお茶をいただいていると、オーナーのアルパッサンさんや、折から滞在中の澁澤幸子先生にも会い、エッセイストriminさんを紹介することが出来た。 夕食は近くの洒落たレストランで、トルコで人気第一のビール、エフェス・ピルセンやワインを堪能し、トルコ風な柔らかスパゲッティやサラダをいただいて、順調に2日目を終わったのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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