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カテゴリ:南インド生活
こんにちは
明日は、インドで一年で一番大きなお祭り「ディワリ」 (北インドでは、明後日が「ディワリ」です) なので、今日の夕方からバタバタするため、その前にブログに書いておきたいことが ということで、市内にある孤児院へ支援を決めた話の続き 旦那が孤児院「GRACE KENNETT FOUNDATION」に電話をし、「支援をしたいと思っているが、どうすればよいか」と問いあせたところ、担当の方に「一度来てください」と言われ、旦那が金曜の午前中に訪問 「GRACE KENNETT FOUNDATION」があるのは、南インドでもトップに入る火傷治療を主とする大きな病院で 旦那は担当の方と病院の事務室で話したらしい 孤児院の責任者は、病院の医師のため、多忙らしく、話している間も色々と連絡が入ってきたとか この方の話によると、孤児院には、 常に30-40人の子が生活 おむつ代だけで1年間に170-180万ルピー(約296-313万円) 食事代(ミルク代含む)が毎月20万ルピー(約35万円 服は既にたくさん寄付されているので、今は必要ない 数ヶ月前に日本からもボランティアの方が来て、子供たちの世話を手伝ってくれた 旦那が「妻と一緒に、支援を考えていて」と言ったためか、「奥さんを連れて、一度、施設を訪問してください」と言われ、日曜日に行くことに 「日曜日はスタッフの方が少ないのですが、対応できるようにします」と言われ、「午前11時半~12時の間に来てください」と指定されました 孤児院への支援を決めた後、日本での孤児院・児童保護施設への支援について調べてみると “不妊治療で子供を授からず、養子を取ることに決めた”女性のブログを読み、養子をもらえるかどうかの最初の段階からの不安や、その手続き・手順の大変さや、子供を養子にできたときの嬉しさなど、色々な場面に感情移入してしまい、読んでいて号泣でした この方のブログで養子縁組について色々と学んだのですが、日本では 養子は選べない(男女の別や、障害の有無などはもちろん、選べない) 与えられた子を養子とするか、二度と養子をもらえないか 海外の映画(「スチュアート・リトル」など)だと「どの子を養子とするか選べる」感じがしたのですが、国によって異なるのかな 自分で出産した場合でも生まれた子を無条件で愛すのだから、それと一緒ですね あと、親が居ない子たちについての予備知識にも触れていて、「訪れる人に凄く懐くけど、心からは信頼しない」と 他に、日曜日に孤児院へ行くことで気になったのは、1歳11ヶ月の息子RISHIのこと RISHIを2時間ほど見ていてもらえる人が近くに居ないので(私の母が近くに居たら、間違いなく母に頼みますけど 旦那一家のみでRISHIを2時間見るのは無理)一緒に連れて行くしかないのですが 親の居ない子だけが居る場所に、親にべったりのRISHIを連れて行くのは無神経ではないか と ただ、旦那は「大丈夫だよ 小さい子たちだから、そんなの気にしない」と と言う事で、10月19日(日)に家族で ↑孤児院「GRACE KENNETT FOUNDATION」を訪問しました この日は、偶然にも私たち夫婦の結婚記念日で、結婚した2008年と同じ日曜日 ここを訪問したことで、この日は私たちにとって、とても意味深い日になりました 11時55分ごろ、孤児院に隣接する病院の敷地内に車を停め、病院受付で名前を言い、孤児院担当者を待ちました (本当は、指定されていた11時30分に行きたかったのに、旦那の実家へ行っていたため、ぎりぎりの時間になってしまった) 事前に話をしてあったため、すぐに担当女性が来てくれて、私たちを孤児院へ案内してくれました 敷地入り口には、愛想の良い警備員のおじいちゃん 敷地内へ入ると ↑こちらが孤児院 ここを通ったとき、すでに小さい子が二人、窓から私たちを見ていて 初めてこのような施設を訪問する私は、「子供たちを見た私は泣いてしまわないか」と、ちょっとドキドキでした ↑右の緑のサリーを着た女性は、ここで32年間も子供たちの世話をしている方で、今回、私たちに施設を案内くださり、私たちの全ての質問に答えてくださいました 左のピンクのサリーを着た女性は、掃除&洗濯担当 靴のまま室内へ入り、5mほど行ったところで、(ビーチサンダルの形の)室内サンダルに履き替え RISHIは、「ママに抱っこされたままなら、靴は脱がなくても良いですよ」と 旦那も「そのままでいいよ」と言ったので、脱がせなかったのですが、 このせいで、一瞬たりともRISHIを降ろすことができず ほぼずっとRISHIを抱っこしていた私は今も、両腕がちょっと痛い というか、抱っこしていても、靴から砂や土が落ちることを考えたら、脱がせるべきだった、と今は思う 靴を履きかえる場所の隣が、かなり広い部屋になっていて、そこで 13人の子供たち がテレビを見たり、遊んでました 前述で私たちを見ていた子たちは、この部屋から外を覗いていたんです 中に入ると、この部屋に居た全員が私たちの元へ寄ってきたので、私はプレの子供たちに挨拶する感じで、いつもどおり「は~い」 旦那が「ぐっも~にんぐ」と言うと、子供たちも「ぐっも~にんぐ」と言ったので、私も真似して「ぐっも~にんぐ」すでに12時だったけどね スタッフの方と一緒にあちこち見ている間、私の後をついてくる女児が数人居て、握手したり、名前を聞いたりしました(インド名前なので、聞き取れなかったけど) この広い部屋の奥にベッドルームが4つほどあり、それぞれの子供にベッドがありました ↑大きい子たちの寝室 これらの 部屋の壁に描かれている絵はボランティアによるもので、エアコンも寄付されたもの ↑0-6ヶ月の子の部屋 ここのベッドには ↑このようなラベルがあり、 ↑「個人番号」「名前(ほとんどの子が施設によって授けられた名です)(」「(ほとんどの子が推定)誕生日」「入所日」が記載 ↑この子は、「2014年5月20日に誕生(したと思われ)、6月3日に入所」 ↑「2014年5月30日に誕生(したと思われ)、6月5日に入所」と、生後一週間ほどで入所した子も居ました バス・ターミナルや端の下などに置き去りにされていた子供は、まず、警察に届けられ、そこで「世話する人が誰も居ない」という法的手続きを行い(親が後から、「子供を誘拐された」などといってきたときのために、法的手続きが必要)、小児科医が子供の成長具合から「生後~日」を推定し、逆算し、(日本で言う“大安”など)良い日を選んで誕生日を設定するそうです 未熟児で生まれたり、障害を持って生まれた子、双子で生まれた子などを養育できない貧しい女性が、自ら子供を連れてくることもあり、その場合も、まず警察へ行き、「自分では養育できないため、養育権を放棄します」という法的手続きをとるそうです 続く こちらのランキングに参加しています にほんブログ村 応援クリック 宜しくお願いします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.10.21 15:07:10
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